select.2 日本人留学生と歓迎

 午前十時頃のロンドンは人の群れで覆われていた。そんな群れの中、二人の男は縫うようにして進む。

 この二人は先程如姫と一悶着あった男達だった。しかしこの情報には少しばかり偽りがある。詳しく言えば、男一人と美青年に見える女が一人、である。


「なぜ手を止めたのです」


 素朴な疑問を女の方が男に投げかける。女性にしては低めで、透き通った声だった。


「恐らく、手を出せば殺されていたのは俺の方だった。傷を隠せそうな肩辺りを抉ってやろうと思っていたが……恐らく俺が肩にナイフを入れるよりも速く、俺の首を刎ねていただろう。とは言ってもこれは予測ではなく、実際に幻視したことだ」

「まさか。武器を持っているだけの他国の貴族に見えましたが?」

「東洋人は何かと不可思議な武術を扱えるらしいからな。奴ら、実力を隠すのは思ったよりも上手い。何度か殺し合ったが、いずれも手練だった」


 女――レティシア=メルローは男――エドモン=パネルの実力を知っている。コンビを組んで一年経過したが、エドモンが傷を負う場面に遭遇したことがない。完全無傷で様々な任務を達成してきた男が『首を刎ねられたかもしれない』と言うのだ。相手の実力が高いことは明らかだった。

 しかし相手は女性だった。自分も女である手前、自分にも返ってくる言葉だが『買いかぶり過ぎでは』と思ってしまう。


「幻視……ですか」

「殺気だけで俺に死を見せられるとは、相当修羅場を潜っていそうだ」

 楽しそうにエドモンは笑う。一瞬、獲物を狙う狼のような目つきになる。しかしすぐにその好戦的な目つきは鳴りを潜める。

「しかし、食べかけのりんごを買い取るなんて言われちまったが、どうすればよかったんだろうな」

「さて、私にはわかりませんよ。それに、あの盗人ぬすっとの少女……どこかで見た覚えがあるのですが」

「まさか、貧困街の人間だろう? 他人の空似だと思うがな」

「そうですかね……」


 歯切りが悪いレティシア。


「しかし、俺達に向かって『先進国人』ときたか。俺達がこの国の人間だと思って言ったのか、気づかないで言ったのか」

「我々が東洋人の顔の見分けが付かないのと同じ感覚だと思いますがね」

「そんなこったろうな。ま、話は終わりだ。これから大事な任務が始まるからな」

「はい」


 二人は雑多な人混みに気配ごと溶け込むように消えていった。


***


「どうした、不機嫌そうな顔をして」


 咲崎如姫に声を投げかけたのは同じ日本からの留学生であるテイコであった。長い髪を器用に肩にかからないよう結んでいる、少し大人びた少女である。

 現在二人がいるのは時計塔学院【クロック・ハイスクール】の中庭である。クロック・ハイスクールは男女共学であり、貴族などの裕福層から、試験をクリアした頭の良い生徒が通う学院である。頭さえ良ければ人種関係なく、というよりは頭の良い様々な人種を集めるために作られた学院である。

 国家経営で、教師陣も留学生を客人見たく扱うか、国内の人間と平等に扱う者しかいない。しかし国内産まれの生徒の方はというと、必ずしもよく思っていない者が少なからずいるのも現状である。

 因みに時計塔ビッグ・ベンの中にあるわけではなく、時計塔に近いためこういう名前になっている。


「嫌がらせを受けました。ただそれだけです」

「嫌がらせを受けておいて『ただそれだけ』ってのはないンじゃない? お姉さんに話してみなよ」

「……わたくしの価値観や主義諸々面白半分、否、面白全部興味本位で否定した上で――突き放した上で、甘い言葉をかけられました。『君が心配だから』と」

「ハッハーン。これは状況がてんでわかっンないわね」

 現在二人は母国語で話しているため、通りすがりの生徒達には話の内容がわからない。そのため、少し奇異な目で見てくるが二人は気にしていない。

「あと、日本語で話していました」

「はぁ? そりゃおかしな話だね。あたし達みたいなちっさい島国の言葉なんて覚える価値あんまりないと思うんだけどね。ま、そんなことはイイさ。本題はそいつが初対面の人間だったってことだね」


 テイコは顎に手を添えて考える仕草をする。自分のかわいい妹分の一人である如姫が、初対面の人間に嫌がらせを受けたのだ。放っておけるわけはないのだが、案件が案件である。

 『初対面の異邦人に母国語で嫌がらせを受けた』という非常に特殊な例である。恐らく世界初の経験なのではないだろうか、いやそうに違いないと、テイコは考える。


「この学院の人間じゃなのかい?」

「来ている服は制服のようなものでしたが、この学院のものではありませんでした。しかし、この国内の学院すべてを訪ねてもその服を着ている生徒はいないでしょう。あれは少しばかり先進的すぎます」

「先進的ねぇ。まあ『心配だから』なんて抜かせるほどだ。その言葉が戯言だったとしてもまた会えるさね。縁ってやつがそいつと、あんたを結んでる気がする」

「二度と会いたくはありません。顔を思い出すと嫌な気分になりますから。しかも妙に頭からあの顔が離れないんです。嫌な気分になるのになぜか、懐かしさまで感じてしまう」


 ――「あはは、如姫は面白いねえ。かわゆいよ」


 如姫の脳裏に一人の少女のニヤケ顔が思い浮かぶ。それは白銅色の髪の少女ではなく、幼い頃から馴染みのあった少女のものだった。


「まるでいい思い出を穢された気分です」


 妙に似ている。顔が似ているというわけではなく、雰囲気や笑い方、そして自分をイジったり茶化してきたりする、悪戯っ子のような性格が似ている――気がする。飽くまで気がするという次元の話ではあるのだが。


「なんだいなんだい。まるで恋する乙女みたいな顔しちゃって」

「していません」

「いやさ、してたね。頬が化粧したみたいに赤いさ」

 同じく茶化してくるテイコと、あの少女とのは感覚が違うな、と如姫は再確認する。

「お待たせいたしました。……おふた方、なにか楽しそうなお話でもされていたのですか? 楽しそうな声が遠くでも聞こえましたよ」


 二人に声をかけたのは、如姫と同じく、腰に日本刀を帯刀している長い黒髪の少女だった。彼女の名はレイコ。正統派剣術の道場――維新流剣術道場の免許皆伝取得者及び、師範の一人娘である。


「顔が赤いね」

「如姫の方が赤いね」


 同じ歩幅、同じタイミングで地に足を付ける双子も話に加わる。二人はマツ、ツグミ。双子の姉妹で、顔が全く同じである。見分ける方法が簪の刺し方だけなので、刺し方を変えられると、どちらがマツでどちらがツグミなのか判別つかない。如姫とテイコのみ、見分けることができるのだが、他は親でも判別が難しい。


「あ、あの。如姫様。お荷物お持ちしました」


 そして最後に低身長の黒髪オカッパ少女が旅行カバン一つを抱えやってくる。この少女の名はコウメ。日本人留学生の最年少である。


「ありがとうございます、コウメ。それでは、行きますか」


 如姫はホームステイ先へ荷物の移動、他五人は興味本位や仲間の下宿先の偵察だったりと様々な理由である。

 六人の日本人はロンドンの街中を歩み始める。


「気になったんだけどさ」


 とマツとツグミは同じタイミングで話し始める。


「レイコと如姫はどっちのが強いんだい?」


 口喧嘩の火種がころりと落とされた瞬間だった。しかし意外にも燃え上がることはなく、鎮火していく。


「試合、決闘であればレイコの方が勝つでしょう。しかし戦闘や殺し合いならば如姫ですね」

「なんともまあ、完璧な回答ですこと。その回答には十利あります」


 お互い剣術を修める者同士である如姫とレイコ相手に自然と出てくる質問なのだが、状況によって変わるという回答をぼかして答える二人。


「へぇ。如姫の見取り芸でもレイコ相手じゃ試合は負けるのかい?」

「一度見れば覚え」

「二度見れば弱点や改善点が分かり」

「三度見れば極める、だったよね」


 とマツとツグミは交互に、最後は一緒に言った。


「れ、レイコ様の維新剣術を三度見て極めても勝てないのですか!?」


 コウメは驚いは風に如姫とレイコを交互に見る。


「つまり、レイコの剣術は既に極みの位置にあるということさ」


 自慢げにテイコは人差し指を立てて、コウメに言う。


「十回やって十回負けるわけではありませんが、そういうことです。まあ、もちろん奥義などは見せてもらえませんでした。見せて頂けたのはよく使う型や技だけでしたし」


 テイコを見ながら如姫は苦笑し、続ける。


「それに、例え奥義を見せていただいたところで、勝てるわけではありませんから」

「如姫の得意分野は飛んだり跳ねたりの戦場でしょうし、仕方ありません。わたしの剣術は地に足のついた守りの剣。刃こぼれをさせぬよう刀を扱い、どっしりと構えて相手の隙を一撃必殺する――それが維新流剣術ですので」


 刃こぼれさせぬよう刀を扱うが、刃こぼれのしやすい直刀を扱うなんともひねくれた流派だなと、如姫は暗に思っているのだが表には出さない。


「げ、源流が薩摩の剣術ということですし。一撃必殺の心構えがあるのは頷けますね」


 コウメは納得したように頷く。


「薩摩のそれとは違いますわ。なにせ一撃必殺で打ち込み、外れたとしても次の一撃必殺が打てるよう計算された剣術ですから」


 飽くまで一対一を想定した剣術であるため、複数相手は向いていない。それが如姫の剣術との違いだった。ただ、維新流剣術的には一対一を連続でこなせばいいという非常に脳筋的な思惑があることは忘れてはいけない。


「あぁ、あそこのようです」


 剣術談義に花を咲かせていると、如姫のホームステイ先が見えてきた。

 レンガ造りの至ってありふれた二階建ての一軒家だった。

 如姫はホームステイ先の家の場所しか聞いておらず、どんな人が、何人住んでいるのかも知らない。行ってみてからのお楽しみと、教師からはいわれている。

 ノックをすれば扉の奥から『入ってどうぞ』と声がする。


「今の声……どこかで」


 如姫は少しの違和感に、ドアノブへと伸ばした手が止まる。そんな少しの戸惑いを見せた数秒後、扉がひとりでに開く。


「やあ、私はアイ。スペルはIの一文字」


 如姫は扉の先にいた人物を見て、顔から表情が抜け落ちる。


「よく来たね。キサキ・サキザキさん。歓迎するよ」


 白銅色の髪が揺れていた。


 

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