ガスライト・シークレト
うらみまる
select.1 日本人留学生と不思議な少女
19世紀末――イギリスは産業革命にて他国を圧倒する大国となった。蒸気機関の発明、発達。そしてなにより未知の技術【マギ・ギア】の手法が確立されたのが大きかった。
蒸気機関の技術により炭鉱の深部まで掘ることが叶った結果、未知の鉱物ケイバーライトが発掘されたのだ。ケイバーライトを運用するために研究された技術――それが【マギ・ギア】である。しかしその技術がイギリスの未来を、正史という名のレールの上から脱線させた上、加速させた。
とある事件をキッカケとして突如【マギ・ギア】という技術は失われ、ケイバーライトの大型運用のみ確立したまま時代が進む。
かくしてイギリスの中心部であるロンドンには失われた技術【マギ・ギア】の行方を巡りスパイ、暗殺者、他国の諜報員が蠢く暗黒の都市となった。
そんなロンドンに足を踏み入れる日本人が一人。その日本人は腰まで伸ばした雅な漆黒の髪をたなびかせながら、町中を歩いていく。ブーツに脛真ん中辺りまでの丈の袴のようなスカート、上は白いシャツ。そして腰には日本刀と、脇差が一本ずつ差してあった。女性として明らかに浮いた服装の少女は周りの視線を気にせず、まるで辺りを観察するかのような視線を向けていた。
しかし彼女に視線が向いている理由が服装だけというわけでもなかった。なにせその少女、背が高いのだ。出るとこは出たボディの高身長。百八十センチに届きうるその身長と相性のいい、童顔の日本人にしては珍しく大人びた顔。それも美人である。誰も黄色い猿などと揶揄できないだろう。
なにせ服装が目に入り奇異な目になったかと思うと、顔を見た瞬間、恋をしたかのように皆見とれてしまうのだ。
(しかし、このソックスでしたか? 足袋よりも薄くて少し落ち着かないですね)
当の本人は周りの視線など意に介さず、自身の服装に少し不満を漏らしていた。しかし動きやすさで言えば、着物よりも上なので口に出すほどではなかった。
そんな少女は日本からの留学生の一人――
なんの手違いか学校の寮の部屋が足りなかったのだ。これ好都合と如姫はホームステイを提案し、現在そのホームステイ先の家がある地域の下見をしていたのだ。荷物類は一端学校へと預けてあるので、他の留学生達の荷物運びが終わり次第、ホームステイ先にお邪魔するつもりだった。
未知の技術が失われたとはいえ、それまでに確立してきた技術は健存である。活気こそは少ない都市ではあったが、首都ということもあってか人はいた。しかし人ごみが激しいというほどでもなく、見渡せばどこかしこに人がいる、程度の人口密度だった。
そこは早朝ということもあり、納得の人の数ではある。
そんなロンドンの道を人にぶつかりながらも必死に走る少女を如姫は目撃した。歳は十歳になるかならないかといったところだろう。背は小さく、何かを両手で抱え、必死の形相で後ろをチラチラと確認しながら走っていた。
そんな少女の後ろからは黒服の男二人が少女に罵倒を飛ばしながら追いかけていた。ひと目で少女を追う男二人という怪しい構図だった。周りの人は関わりたくないと言わんばかりに隅へと移動している。
完全に男二人が、いたいけな少女を追うという見過ごせない案件だが、男達の罵倒の内容から少女が盗みを働いて追われているというのが分かる以上、悪いのは少女の方であった。
如姫はそんな三人をスルーし、道を開け、やり過ごす。一瞬三人とも自分に目線を向け、何かしらの反応を示したが、そのまま走り去る。そして少女が路地裏へと逃げ込み男二人もそのあとを追ったところで、如姫は「あそこは確か行き止まりだったな」という街の人の声を聞き取る。
そのあとの行動は早かった。踵を返し、先程三人が入って行った路地裏へと入り込む。
如姫は有り体に言えば正義感が強かった。曲がったことが我慢ならない性格というのが正しい認識なのだが、彼女にとってそれは些細な違いでしかない。
例え少女が盗みを働いていたとしても、その少女が貧困に喘いでいたとしたら。やむおえなく盗みを働いたとしたら――それはまた一概に悪と決めつけるべきではないのではないか、と考えるのが彼女である。
誰であれ生きることに必死だ。少女が物を盗み、殴られ、死んでしまっても自然の摂理で、また、男達が少女を見失ってしまい何かしらの損をするのも自然の摂理だ。そんな摂理に他国の赤の他人という異分子が入り込むことが果たして正しいのか。おそらくその介入は傲慢で、偽善で、ほんの自己満足でしかない。周りから見れば気の毒な人間で、当事者三人からしたら傍迷惑な人間だ。
だが如姫は我慢ならない――目の前で、手を伸ばせば届くのに手を伸ばさないという選択肢が彼女の中では異端だった。
「わたくしは、長生きのしない、非常にロクでもない人間なのでしょうね」
そんな自分の迷いのない行動に対して自虐的に嗤う。
自分以外の誰も望まないこの行動に果たして意味はあるのだろうか。意味がないどころか徒労でしかない。マイナスだ。
しかし自分の行動で誰かが救われるのならば、意味はなくともそれでいい。
なにせこの、ちっぽけな島国出身のちっぽけな人間が起こす、超大国でのちっぽけな出来事なんて、そこら辺の石ころと同じで見向きもされないどうでもいいことなのだから。
どうでもいいことならば何をやってもいい。
「そこら辺で終《しま》いにしたらどうだ。そちらに損が発生しているのはわかるが、いささか倫理に反するぞ、先進国人」
刀の柄を肘置き替わりにし、まっすぐ見据える日本人の少女。背は百七十九センチと高く、腰まで伸びた漆黒の髪は雅に光を通していた。容貌は美人と言っても過言でなく、まるで人間の限界に達した容姿とでも言うような美の体系。出るところは出た体で、ブーツに袴のようなスカート、白いシャツ。
スラスラとまるで貴族のような、厳かなイギリス英語で喋る異国の少女に、その場にいた人間は呆然と動きを止める。
「罪を問うのは被告人、罪を止めるのは警官、罰を与えるのが司法だ。そして裁くのが人間。
(さて、これで引いてくれればいいのだけれど)
もし、引かずに武器を取り出した場合、こちらも暴力で対抗せねばなるまいと、柄の先端を指でトントンと軽くつつく。
だが、そうはならず男達は小さく舌打ちし、少女から盗品を強引に奪い取り、路地裏の出口へと歩き出す。
擦れ違いざま殺気を感じ取った如姫は男達を睨み返す。無論手は脇差の柄に添えてある。脇差でも近すぎるくらいの距離ではあったが、如姫にとってはなんの障害でもなかった。
しかしひと騒動起こることなく、男達は通りすぎて街中へと姿をくらました。
「さて、大丈夫か?」
事は終わったと少女の方を見た如姫は自身の目を疑った。目線の先に少女の姿がなかったのだ。目の前には高い壁しかなく、他に抜け道も見当たらない。
文字通り『跡形もなく消えた』としか形容できないその現象に、身震いすら覚えた。もしや気づかない内に外へと出たのだろうか、と如姫は路地裏を駆け足で抜け出す。しかしそこは人が少し増えた街の風景しかなく、先ほどの少女も、黒服の男達も見当たらなかった。
そんな呆然としている如姫に声がかかった。
「あまり、そういうことに首を突っ込まない方がいいと思うよ」
それが英語だったのならば、どこかの誰かへと向けた言葉だと無視したかもしれない。しかしその言葉は明らかに如姫へと向けられていたものだった。なにせその言葉が流暢な日本語だったのだから。
「善意を無駄にしてしまう。無駄な行為だからね」
振り返り、その言葉を発する諸元を見やる。それはすぐに見つかった。
肩までかかる白銅色の髪に濃い紫色の瞳。小さなシルクハットを被り、黒い量産性の高そうな軍服に、膝よりも丈の短いスカートに短いブーツ、黒いニーソックス。
そんな出で立ちの少女は先程如姫が出てきた路地裏の壁にもたれかかっていた。
しかし黒で統一された服装には明らかに不揃いな装飾品を腰につけていた。不気味な雰囲気を帯びたペストマスクである。明らかに異物のようなオーラを放つペストマスクが気にならないくらい、少女の纏う雰囲気というものは不思議さを持っていた。
顔は美少女と言って差し障りないが、少しばかり童顔ではある。
その童顔の口元がにやりと口角を釣り上げて笑う。
「それじゃあ、結局他人どころか自分すら救われない」
なぜ日本人と特定できたのか。
なぜ日本語を喋れるのか。
ふつふつと疑問が湧いて出てくるが、彼女が口にしたのは少なくとも頭に浮かばなかった言葉だった。
「無駄な行為ではない。現にあの少女は助かった」
少女の挑発だったのかもしれない。意味のない問答だったのかもしれない。しかし如姫は突っかからずにはいられなかった。自分の身を案じているような言葉を並べてはいるが、自分の行為を貶されているような感覚を覚えたからだった。
「どうかな? そのあと飢え死んだかもしれないよ。あるいはまた盗みを働いて別の誰かに殺されるかもしれない」
少女の表情は変わらない。
「このロンドンの路地裏は危険と恐怖の巣窟であり、深淵だ。受け入れてくれるような錯覚に陥るが、結局のところ自身を底まで落下しているに過ぎない。はっきり言うよ。君のやったことは善いことだが、無為なことだった。タダの浪費だった」
「善いことが無為なわけ、無駄なわけがない。赤の他人が決めることではない」
自分でも苛々が募っているのが分かる。なにせ相手はわかっていておちょくってきているのだ。
なにもかも――自分が曲がったことが我慢ならない正義主義者だということも、お節介焼きでお人好しだということも。
お見通し。
意味のないことといえば、たった今行われている問答なのだから。
「傍迷惑な行為じゃないのかな。周りから見れば君は異端だ。身内ではない赤の他人を助けるというのだから。救うというのだから。無駄か無為か、なんてのは確かに私が決めるものではにけれど、周りは君をそう見るよ。なにせ君の行為は中途半端で、歪んでいて、完結できないものなんだから」
「自己満足だと言いたいのか」
「おや、自分のしていることがわかっていたのかい。君の行為は歪んだ善意を投げつけるだけの、蛮行さ。目を覆いたくなる死屍累々の茨道――誰もそこを通りたいとは思わない。だからやめた方がいい。君は大事な四肢を犠牲に、救えない命を積み上げているだけなのだから」
「貴様の言葉はわたしにほんの少しも響かない。主体がない、ただの不愉快な言葉を並べているだけだ。これ以上も、益はない。これこそ無為な行為だ。これで終わりだ」
「そうかい。じゃ、これだけ言ってお別れとしよう。私は君が心配なんだよ、てね。それじゃあね」
少女はその場を立ち去る。英語と日本語の会話を、互いにあべこべな会話を、雑多な街の喧騒はかき消していく。
まるで先ほどの会話がなかったかのような――無為な会話だったかのような。そんな感覚を残して。
「初対面の人間相手に心配とは、戯言だな」
後味の悪い感覚が口の中に残っていた。否定するだけ否定して、最後に楔を打ち込んできた――引っかかる言葉を打ち込んでいった。二度と会うことはないであろう初対面の相手に。
「学校に戻りますか。そろそろ、皆様の荷物整理も済んだ頃合でしょう」
日本語で呟き。そして最後にこう返す。
「無為な行為――それはわたくしが一番痛感しています」
もうその場にいない、不愉快な笑顔の少女に向けて。
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