select.8 日本人留学生と軍事施設2

 そこに孤独を抱えた少女がいた。

 アイ=ラ=セントル。彼女は自身が日本人留学生咲崎如姫に与えた部屋の中で、椅子に膝を抱えながら座っていた。

 如姫の部屋は実に質素で、彼女が持ち込んだものといえば座布団に枕、刀と刀を整備するための道具一式、衣類、櫛にたすきと風呂敷――そんなところだった。そしてアイは今、如姫のいつも座っている座布団を膝と顔の間に入れて、匂いを嗅いでいた。


「すぅーはぁー。すぅうーはぁー」


 いつもの大人びた、達観しているかのような笑ではなく、年頃の少女のような可愛らしい笑みを浮かべながら。


「キサキの匂いがする。いい、匂いだ」


 アイ=ラ=セントル。彼女は十三家ある王族の内のセントル家の一人娘だった。そうのだ。十二年前、十三家の内の五家が没落、四家が粛清され、五家になった。八家の王族が滅んだ事の裏では内務大臣であり、国家公安局をまとめるケネス=アレクサンダーが糸を引いていると言われている。

 そしてその五年後セントル家ともう一家一族郎党皆殺しになった。犯人は未だに分かっていない。

 アイは国の公式な発表では死んだことになっている。そして内に秘めているのは孤独だけでなく、暗く輝く復讐心もが積もっていた。


「まだ、帰ってこないな」


 アイは懐から無骨な懐中時計を取り出し、時間を確認する。懐中時計を見ながら十年前のことを思い出す。

 十年前――アイが如姫と邂逅した日。懐中時計――時計式ガスライトによる時間旅行の実験により、アイは十年前、現在のロンドンにいた。時間旅行の仕組み自体は分かっていないが、ケイバーライトによる重力遮断の効果を応用したものだ、とアイの父は言っていた。重力と時間は密接な関係がある、と。

 アイはその時、空腹だった。だから物盗りをした。たまたま盗んだ相手がフランス人のスパイで、たまたま盗ったりんごが機密情報の載ったメモが仕組まれたものだった。

 路地裏に入り込んだとき、行き止まりだったとき、詰んだと思った。殺される――そう思ったとき、侍が助けてくれた。

 背は百七十九センチ、光を通し雅に輝く腰まで伸びた漆黒の髪をした美人。出るところは出た体で、ブーツに袴のようなスカート、白いシャツ。

 スラスラとまるで貴族のような、厳かなイギリス英語で喋る異国の少女。彼女が視線を外したとき、時間旅行の効力が切れたため、元の時代に戻ってしまったのだが。


 その日からアイは名も知らぬ少女に尊敬、慕情、再開の念を抱いた。

 名も知らぬ少女に再開するとき、恥じない姿でいるため、自分を磨いた。

 一族郎党皆殺しにされたあと、更に修練にのめり込んだ。今では動きながら動く的を当てれるほどに。

 そしてアイの中では尊敬、慕情は混ざり合い、いつしか区別がつかなくなった。


「私はいったいナニをしたいのだろうなあ……」


 股に手を沿え、恥部から腹、胸と順に指でなぞる。

(いや、これではないな。こんな自己満足なんてのは望んでいない)

 心にあるのは恋心か、それともただの慕情なのか。再会した彼女は十年前と変わらず、自分を助けた。そういう結末になるとわかってはいても、内心緊張したものだ。果たして自分は何をしたいのだろうか、どうしたいのだろうか。答えがでぬまま時間が過ぎる。

 しかし熟考の時間は終わりを告げる。一つのノックオンだった。この家は防音に優れている他、扉に当たったものの音は家中に響くよう設計されている。これはアイが家の地下室で実験、あるいは執筆活動をしていた時に来客が来たことをわかりやすくするためである。

 ノックののち、レティーシャが対応したのだろう、彼女の声がする。どのみちこの家に来たということは、家主であるアイに会いに来ているのだろう。わざわざレティーシャに呼びに来させるのも悪いし、なにより今の自分の醜態晒すのも気が引ける。変な女ということでは通っているが、変態な女と言われるのはさすがに屈辱的だ。

 アイは座布団を元の位置に戻し、一回へと降りる。

 階段の上から一段目に足をかけたところで、足が止まる。扉が閉まる音と、火薬の匂いが漂ったからだった。この時代銃を持っている人間自体珍しくないが、火薬の匂いを漂わせるほど銃を撃っている人間自体は珍しい。弾丸は庶民にはそれなりに出費がかさむ代物だ。

 これを異常と感じ、耳を立て、会話を聞く。


「アイという女を出せ」

「わ、わかりましたから。その、それを下ろしていただけると」

「早くしろ!」


 声は二種類。落ち着いた声と、短気そうな声だ。二つとも男の声である。レティーシャの声は若干震えていたことを鑑みるに、おそらく彼女の発した「それ」というものは銃のことだろう。軍事関係者にしては礼儀がなっていない。おそらく裏の者――マフィアや路地裏の裏組織であろう。

 自分の小説をプロデュースしてくれている貴族の娘――レティーシャを預かっている身として、彼女を危険にさらすのは親に顔向けができない。そもそも今世間が危険な雰囲気ということで預かっているので、ここで守らなければ契約違反ならぬ約束違反である。


「そこまで剣呑にすることはないだろう、御客人。私はここにいるよ」


 階段を下りながら、銃の弾倉を確認する。三十二口径リボルバー式拳銃ラブリーは装填数六発だが、暴発を考慮して五発しか入っていない。さてどうしたものか、右手に無骨な懐中時計を持ち、あたかも時間を確認しているかのように見せかけ、姿を現す。


「なんの用かね。私は色々と忙しいんだがね」

「……? アイさんの部屋ですることなんてあるんですか? 掃除は午前中の内に終わりましたし」

「いいかいレディ、一応ここの家主は私だ。掃除のチェックくらいするさ」

「なるほど!」


 なんとも緊張感のない会話――その最中、アイは相手の様子を観察する。百七十はあろう男が二人。スーツとコートを着込み、つばの長い帽子で顔をわかりにくくしている。そして二人共右手に銃を持ち、銃口をレティーシャに向けていた。


「それで、改めて聞こう、御客人。要件は何かね?」

「貴様の持っているガスライト――それを頂戴しに来た」

「そうか、残念ながらこれは知人の形見でね。おいそれと渡せるものではない。お引き取り願おう、御客人」

「貴様には選択肢がないということを分かっていないな」


 落ち着いた声の男はあくまで淡々と言葉を紡ぐ。そしてなにか合図をしたのか、短期そうな男の方がレティーシャの首に、左腕を回し、彼女のこめかみに銃口を突きつける。


「こいつの命と引き換えだ。さっさとガスライトを出せ! 持ってくる時間くらい与えてやる」


 短気そうな男は怒鳴る。なんとも品性に欠ける脅しだなと、アイは冷静に見据えていた。人質という手段はある意味、窮地に陥るハイリスクを抱えている。だからこそ窮地に陥った人間は人質を最終手段として用いるのだが、今回の場合悪手である。なにせ窮地に陥っていない状態でそんな手段を取れば、真っ逆さまに転落あるのみである。

 アイは小さくため息を吐いて、無骨な懐中時計――ガスライトのボタンを押す。するとガスライトはカチカチと駆動音を奏でながら、大量の蒸気を吐き出す。その勢いたるや、家の一回全てを蒸気で埋め尽くすほどのものだった。しかし蒸気とは言えど、不思議と熱さは感じず、まるで霧のようであった。


「この蒸気は霧のようなものだ。霧というものは形を保たず漂う不定形だ。それはだが、この暗い雰囲気は自身のトラウマを引き出してくる。それこそ何ににでも見える――自身にとって最悪の過去の記憶を具現化してくれる」


 蒸気が薄まり、それこそ霧のように漂う中、アイは薄ら笑みを浮かべる。


「どうだい、トラウマを掘り起こされる気分は?」


 薄まったとは言え、未だ識別の難しい霧の中、アイは見た。男達の苦悶の表情を。ガタガタと体を震わせ、歯ぎしりをしている。

 本来霧の幻覚だけではここまでの効果は出ない。確かに理屈としてアイの言う通りのことを想定して作成された機能の一つである。しかしこれだけでは足りないだろうと思ったアイはこの機能に一手間加えた。

 それは薬物だった。薬物の粉を少量含ませ、体内へ吸収させることにより、軽い幻覚を引き起こさせやすくなるようにしている。あくまで引き起こさせやすくなるように――幻覚を見るきっかけを作るためだけに加えた。

 薬物の力でで幻覚を見せるのならば、薬物を直接注入した方が早い。しかしそれではいけなかった。自分も薬物の毒牙にかかってしまう。幻覚を確定で見てしまうより、見やすくする程度に留めることで、自分は幻覚を見にくくすることが必要だった。


「さて、君達には選択肢をあげよう。ここで私に撃ち殺されるか、後ろの扉を開け放ちこの場を去るか、だ。因みに私は動きながら動く的を正確に打ち抜けるほどの腕を持っている。ああ、銃声のことなら安心して欲しい。一応私は一日の内にランダムで数回射撃の練習をしていてね。近所連中は銃声くらいならいつものことだと流してくれる。できるなら、私に死体処理をさせないでいただけると嬉しいんだがね」


 わざと低く大きな声で男達に言い聞かせる。アイは懐から拳銃を抜き、銃口を男達に向ける。それを見た男達は小さな悲鳴を上げ、銃とレティーシャを手放し、扉を勢いよく開け、何かに怯えるかのような、顔面蒼白で街へと飛び出していった。扉からは蒸気の残滓が漂っている。街を行き交う人々は何事かと驚きを見せるが、男達が出てきたのがアイの家だったので、いつものことかと気にせず、すぐさま興味をなくしていた。


「大丈夫かい、レティ」

「えっと。ありがとうございます。気分は悪いですが」

「この蒸気の弱点といえば、幻覚を見せたい相手を選べないところなんだよね。私も見てしまうし、君も見てしまう。しかも開けた場所じゃ蒸気が漂わないから広場では使えない。あくまでも閉鎖空間のみの使用だに留めるべきものだ」

「でも、銃を撃っても良かったのではありませんか?」


 家自体防音な上、銃声を聴き慣れた近所という環境だ。レティーシャはアイの銃の腕がいいことを知っている。これにアイは肩を竦めて応えた。


「実は私、血が苦手でね。自分のはいいんだが、他人のはめっぽうダメなのさ。見ると吐き気を催すんだ。ま、今回は撃たずに済んだよ。さ、彼らの銃を検分して所在を考察しよう」


 そう言いながらアイはレティーシャに手を貸した。

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ガスライト・シークレト うらみまる @uramimaru

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