select.3 日本人留学生とアイ=ラ=セントル

「貴様は……!?」

「ま、立ち話もなんだし、家を案内するよ。お友達の方はどうする?」


 如姫の顔は無表情から驚愕へと切り替わる。そんな表情の変化になんの反応もせず、アイは如姫の後ろにいる少女達へと声をかける。


「遠慮しておきます。今日は如姫の住む事になる家の場所を知りに来ただけですので。ほら、行くよ」


 テイコは丁寧な英語で断り文句を告げ、他の四人を誘って家を離れる。


「そうかい。ま、いつでも遊びに来てね」


 アイの言葉を背にして。


 テイコは如姫の反応から『嫌がらせ』をしてきた人間がホームステイ先の住人だということを、なんとなく察した。察して後の始末を如姫へと放り投げた。当人同士で話し合うことではあるが、別に自分たちがいてもいいことでもある。

 薄情な行動だが、あの場で言い合いになった場合収拾がつかなくなるし、なにより相手に危害を加えた場合、如姫の住むところが最悪なくなる。意外とレイコ、マツ、ツグミは血の気が多いのだ。制御する側のテイコとしては火種が爆発する前に離れ、沈静化するのがベストな選択だった。

 実際この行動は英断だった。


「お入り。積もる話――もとい詰めた話があるだろうしね」


 標準的なイギリス英語で、アイは家の中へと誘う。


「邪魔する」


 如姫は足音を消しながら、家の中へ入り扉を閉める。扉を閉めたところで振り返ったアイと目が合う。


「改めて自己紹介。私はアイ・ラ・セントル――この家の家主だ。皆からは『アイ』と呼ばれているのでそう呼んで欲しい。職業は小説家をやっている」


 とその後は普通に、如姫は家の中をくまなく案内され、ロビーの椅子にてアイと対面していた。

 流石に刀は机に立てかけている。

 アイは鼻歌交じりに紅茶をカップに注ぎ、如姫の目の前に置く。ピンク色の花が描かれたシンプルなティーカップだった。


「なぜ、日本語が喋れるんだ」


 カップに口を付け、紅茶を飲む。舌にあったのか、如姫は少しばかり頬を綻ばせる。その様子を見てアイはにやりと笑みを浮かべる。


「紅茶は我が国が誇る飲料だからね。存分に味わうといい。私は紅茶に目がないからね……と、なぜ日本語が話せるか、だったね。それは私の職業が関係してくる」


 「おっ今日も美味しいね」と自身で淹れた紅茶を自画自賛しながら続ける。


「小説家、とは言っても売る相手は貴族さ。貴族から『こういうテーマで書いてくれ』と依頼されて、私は書き、売るのさ。色々な貴族から支援されていてね。この家もの一つなんだ。ま、市民にも売り出してはいるんだが、そちらはイマイチさ。市民は娯楽よりもパンの方が欲しいからね。で、だ。小説に限った話ではないが、創作物というものはネタと知識が要る。知識とネタを得るために様々な書物を読むんだが、流石にイギリス国内だけの書物じゃパターンが見えてくるし、飽きる。だから他の国の書物も読むことにした」

「なるほど。それで、他の言語も読めるようになったし、その候補の中にたまたまあった日本の書物にも手が出た、ということか。確かにそれなら日本語を読めることに説明はつくかもしれないが、流暢に喋れるようになるのとは別だ。要は読めればいいのだからな」

「そうだね。実は幼い頃日本人に命を救われたことがあってね。その人と話がしたくて必死こいて覚えたんだ。だからさ」

「独学か」

「ま、ね。訛りとか気にして結構矯正したんだけど。どうかな?」


 最後の『どうかな』だけ、日本語で発音する。

 如姫は紅茶を一口口に含み、味わい、飲み込む。アイの日本語を振り返り、頭の中で、あるいは鼓膜で反芻する。


「よく聞き取れる。憎たらしいほどにな」


 そして彼女の今までの努力が相当だったことを聡り、これまでの嫌がらせ案件を抜きにして、如姫は賞賛の言葉を送った。少しばかり蛇足がついたが。


「それは……よかった」


 アイは笑った。それは今まで見せてきたニヤケ顔ではなく、心の底からほっとしたというような、安心というニュアンスの笑顔だった。如姫の言葉を噛み締めるようにアイは笑っていた。


(よほど、命の恩人の母国語で話せるのが嬉しいのですね)


 如姫も釣られて笑みをこぼす。


「ま、憎たらしいっていうのは余計だと思うけれどね」

「そうか。すまない。なにせ思ったことはつい口にしてしまう正直者なのでな」

「そうかいそうかい。ま、君のことはこれから追々知っていくことにするよ」

「いや、わたしも身の上を話そう。貴様がある程度胸の内を話してくれたのでな。それに、美味な紅茶に免じて今朝のことも水に流そう」


 カップの紅茶を飲み干し、皿に置く。するとアイがそこにおかわりの紅茶を注ぐ。


「長い話になりそうだからね」

「簡潔に話すさ……そうだな。わたしの両親は学者であり財閥の人間だった。当主は代々女子が務めているものでな、女が強い血族だ」

「へえ、じゃあ君は次期当主かい?」

「いや、当主はわたしの姉がすることになっている。というより、わたしがこの国に来る間に、当主として継承されているだろう。わたしの姉は超人で努力家だからな」


 そして如姫は話す。父親のこと、母親のこと、姉のこと。婚約者がいるが会ったことはないし、結婚する気もないということなど。自分でも喋りすぎではないかというほど身の上を話した。

 その中には見取り芸もあった。


「見ただけで技術を覚える芸……ねえ。凄いものだ」

「極める段階まで行けるが、実際にそれが自分に馴染まないと実践で使えないので意味がない。結局、極めてからの鍛錬が大切なのだ」

「他にも特技はあるのかい?」

「そうだな……手刀で木材を、足刀で鋼を斬ることができる。これは見取り芸とは関係ない、わたし独自の特技の一つだ」

「君、本当に同じ人間かい? 木材はともかく、いやともかくじゃないけれど、鋼まで斬るだなんて。しかも他にもあるのか。そんな特技」

「いや、見取り芸と手刀足刀よりも逸脱したものではない。それにあまり化物でも見るかのような目はやめてくれ。わたしはこれでも女子だから、な」


 如姫は自分で言って恥ずかしくなったのか、頬が赤くなり目をそらす。


「わかったよ。キサキ。そうだな、今度友人が来るだろうから、その時に披露してほしいな」

「構わない」

「それじゃ、よろしくね」


 アイは手を差し出し、如姫はそれを握り返す。初対面が最悪だった二人とは思えない、一日目の終わりだった。


***


「どうだい? 話は聞こえた?」


 アイの家から実に二百メートルほど離れた路地裏にて、日本留学生組は屯していた。


「す、すいません。聞こえないです悌子ていこさ……姉様……」

「そうかい。。ま、怒鳴り声すら聞こえないなら喧嘩にはなってなさそうだね」

「わかりませんわよ。あの子なら音も立てず人の首を斬るなど造作もないですわ」


 レイコの発言に他四人は「まあ、うん」と歯切れの悪そうな表情をする。あまり考えたくなくて放置していた選択を、レイコが気にせず突っ込んで来たので少し気まずくなっている。

 自身のプライドが高すぎるが故に、自分の信念さえ曲がらなければ、意外と汚れることに躊躇なく突っ込めるのがレイコの良いところだが、逆に悪いところでもある。まるで諸刃の剣みたいな令嬢だった。


「あ、あの。多分ですけど。如姫姉様はご自分でわたしの糸を切ったのだと思います」

「まあ、斬撃って字を体現したような子だから造作もなかろうだけれど、どういう意味なのかね」

「はい」


 マツとツグミは同時に手を挙げ同時に返事をする。


「如姫の姉さんはこれは自分一人の問題と、私達のこれ以上の介入を拒んだ説。」

「如姫の姉さんはこれから聞かれたくない話をするために、私達の盗聴手段を文字通り切った説」

「この二つが挙げられますが?」


 最後は声を揃えて言う。


「ま、その二つが妥当なところだけれど。可能性が高いのは前者の方だね」

「明日学院で聞けばよろしいのでは?」

「レイコに賛成する」


 マツとツグミが同時に行ったとき、レイコは少しムッとした表情になる。


「私、気になったのですが、なぜ如姫のときは姉と付けるのに、なぜ私の時だけ姉を付けないのですか? 一応私の方が如姫よりも年上なのですけど?」

「レイコは」


 マツが言い。


「からかうと」


 ツグミが言い。


「面白いから」


 翌日、刀を振り回しながら双子の少女を追いかける、鬼の形相の女が目撃されたと新聞の隅に小さく書かれることとなる。

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