第78話 はじまり
夜道を走る車。運転席の門倉は、ルームミラーでエリオンの横顔を一瞥してから、助手席の池溝に話し掛ける。
「お前これからどうするんだ?」
「え? ああ今日は外泊許可を取ってますから、エリオン君はウチに泊まってもらって、明日また病院に――」
「いや、そういうことじゃなくてさ」
「――?」
門倉の質問の意味を再度吟味して、池溝はそういうことかと頭を悩ませる。
つまり彼が訊いたのは、エリオンの語る内容が事実であった場合、彼をどうするのか、そしてそれを知る者として何か行動を起こすつもりなのか、ということであった。
(こちらから持ち込んだ話とは言っても、正直なところまだ信じ難いんだよな。未来に存在する異世界から、この地球に大勢の人間がやって来る――なんて話は)
助手席の池溝からは後部座席のエリオンの顔は見えない。しかし半分ほど開いた窓から流れ込む風によって、虹色の髪をそよがせているであろう彼の姿は容易に想像がついた。
(門倉先輩もコールマン博士も、全部ではないにせよ、エリオン君の話を事実として受け取ったみたいだ。まあアレを見せられれば仕方ないか……)
エリオンが彼らに見せた結晶蝶。それどころか彼は、コールマンが尋ねた未解決の物理や数学的な問題を、全て淀みなく答えてみせたのである。
その解答にコールマンは深く感動し、途中からはエリオンの話よりも、現代科学が抱える難問に対しての質疑応答に時間を費やす破目になった。
それはそれで有意義な時間であることに間違いはなかったが、エリオンの話が真実であるとすれば、そんな科学の発展よりもまず先に、彼が告げた内容を何とかしなくてはならない。
しかし一医師、或いは単なる人間でしかない池溝には、その余りにも大き過ぎる問題に対処する術など、到底見当たらなかった。
「――どうするか、ですか。正直言って僕には何もできませんよ。国や警察に言ったところで信じてもらえるはずもないですし、証明するために彼の力や知識を披露したところで、逆にそれが彼に害を及ぼす可能性だってあります。何もできないとは言っても、少なくとも僕には患者を守る義務がある」
「そうか……。まあ、そうだよな……」
門倉は同意を示すように溜め息を吐く。それをきっかけにして車内が沈黙で満たされると、彼はハンドルをしっかりと握り、ヘッドライトが照らし出す先を見つめることだけに努める。
会話の足掛かりを失った池溝は、窓の縁に肘を掛けて頬杖をつき、宵闇で不確かな田園の景色が横滑りしてゆくのを、少し疲れた顔でぼんやりと眺めていた。
暫くの間、そうして外灯の少ない国道に車を走らせていたところで、しかし突然何かに気付いたように門倉が急ブレーキを踏んだ。
「っ――⁉」
池溝は食い込むシートベルトを握り、一体何事かと彼の横顔を見る。
「どうしたんですか、先ぱ――」
「おい……」
一言だけ発して前を向いたままの門倉は、呆気にとられた様子で固まっていた。
「先輩?」
池溝もその視線に釣られて前に顔を向けてみると、遠くの山の向こうに、薄雲から洩れる月光を遮るようにして巨大な影が佇んでいた。
細長いそのシルエットの高さは山ひとつかふたつ分――定かではないものの、いずれにせよ並大抵の大きさではない。
「何だ……アレ……」
目を凝らしてみると、それには長い首があるように見えた。そして雲を突き抜けたその先の頭には2本の角らしきものが生えている。
「視えるか? 池溝」
「ええ。でもハッキリとは……」
巨大な影は遥か彼方から、彼らの乗った車をじっと見下ろしている。実際のところはどうあれ、少なくとも池溝にはそう感じられた。
門倉は手前が明る過ぎると判断してヘッドライトを消した。周辺の暗闇が深まり、月と星の明かりによって遠景が際立つ。
そして彼がドアノブに手を掛けようとしたところで、その影は更に横へ大きくなった――翼を広げたのである。
「なんてこった」
そうなって初めて、彼らはその影が何であったのかを理解した。
夜空に現れた黒い切り絵は、紛れもなく竜の形を成していた。
「ドラゴン……ですよね……アレ」
「そう見える――というか、そうとしか見えないな……」
門倉はドアを半分開いたまま、池溝はシートに磔になったように、その体勢から動くことができない。
恐怖や驚愕といった感情ではなく、二人はただその圧倒的な威容に釘付けになったのであった。
しかし後部座席のエリオンは一人
「エリオン君……?」
池溝は呟き、慌ててシートベルトを外して外に出る。そして再び声を掛けようとすると、振り返ったエリオンが先に言葉を発した。
「池溝さん、門倉さん。ありがとうございました」
「ありがとうって、君は――いや、アレは一体……」
「彼は『
「そんな、本当にそんなものが……。じゃあ君の言っていた異世界からの転移というのは――」
「始まっています。お二人のお陰で
エリオンはそう告げると再び背を向けて、片手を天に
「――彼らは皆が皆、この世界に対して友好的とは言えません。ですが僕と僕の仲間たちは、お二人の味方です。それだけは信じてください」
「いやちょっと待ってくれ。友好的じゃないって、君たちはこの地球に戦争を持ち込む気なのか?」
「………………」
エリオンはそれに答えることなく、哀しげな微笑だけを見せてフワリと宙に浮き上がり、そのまま上昇して光の中へと呑まれてゆく。
そうしてエリオンの姿が完全に見えなくなると、球体は急激に形を変えて、城壁のような鎧を纏った白い巨人へと変化した。
「……ハドゥ……ミオン?」
池溝が漏らした言葉の通り、またエリオンがこれまでに語ってきた話の通り、それは機甲巨人ハドゥミオンに間違いなかった。
引き止めるどころか絶句してそれきり言葉を失った池溝と門倉を、ハドゥミオンはさらりと一瞥してから顔を上げる。
そして虹色の粒子を撒き散らしながら、ゴォウという一陣の風とともに空へと消えていった。
虹の髪のエリオン ヨシビロコウ @ys-renzo
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