第77話 創世の秘密

「それじゃあ、失礼します」


 池溝と門倉が揃って頭を下げると、コールマンは名残り惜しそうな表情をしつつも、


「またいつでも来てくれたまえ」と手を振って見送った。


 陽はとうに落ちて辺りはすっかり暗くなっており、池溝ら3人が外灯の下を過ぎ去ると、その背中はすぐに闇の中へと消える。

 それでも暫くの間その暗闇を見つめていたコールマンの脳裏では、先程エリオンに語り聴かされた話が蘇っていた――。



 ***



「――かつて『いちなる世界』が創られるよりも前の世界には、べレク・・エンリルという一人の男が存在していました。彼は『界変のアルテントロピー』と呼ばれる力を使い、多次元宇宙のエントロピーを極限まで縮退させることで、情報次元を初期の段階にまで戻そうとしていました」


「なんでンなことしようとしたんだ? そりゃつまり、全宇宙を消滅させるってことと同義だろ」


 円卓で向かい合うアマラの問いに、エリオンはゆっくりと頷いてから答える。


「その通りです。彼の目的とする界変が成されれば、全ての亜世界とその発生元でもある源世界までもが無くなります。しかもそれは物理的に消滅するというだけではなく、かつて存在していた・・・・・・・・・という事実すら、完全に消えることを意味します」


 その言葉はアマラだけでなく、その場にいた全員の表情を凍りつかせた。

 過去の記録、歩んできた道、未来へ託した意志――。そういったあらゆる存在の証が、全て無かったことになるというのであれば、それは絶望や虚無などという言葉で言い表せるものではない。

 アヤメは無意識に唾を呑み、絞り出すような声で尋ねた。


「そのべレクという人は……何故そんなことを……?」


「それは彼が人間ではなく、情報次元の整合性を促すための存在――具象化した散逸構造場そのものだったからです。彼が人間のかたちをしていたのは、それが最も効率よくアルテントロピーを扱える情報構造だったからでしょう。ともかく彼は、その目的を達成するため極めて狡猾なやり方で事を進めていきました」


「狡猾なやり方……?」


「はい。実は、彼は以前にも界変を行おうとしたことがありました。しかしその時一人の少女の力によってそれは妨害されました。その経験から、強力なアルテントロピーを持つ人間をまず自分の側・・・・に置き、邪魔をされないように準備を整えたんです。WIRAウィラという組織を作り、世界を護るという名目で、本来敵となるはずの人間を規制官ルーラーとして味方に引き入れた」


「⁉」


 そこでアマラが口を挟む。


「――ちょっと待て、じゃあ俺たちがそいつの、宇宙を消し去る界変の手伝いをしてたってことか?」


「その通りです」


「そんなバカなことあるか。そもそも一等官だった俺やリアムですら、そのべレクってヤツを知らねえ。顔も、名前もだ」


 するとエリオンは少し俯いて、悲しげに視線を落とした。


「……知っています。それが母さんの――貴方たちが混沌の女神と呼ぶクロエ・リマエニュカの悲劇であったと、僕は思っています」


「クロエの悲劇、だと?」


「はい。以前の源世界、つまりWIRAウィラが世界情報統制局として存在していた世界ですが、そこで起きた最後の戦いで、母さんはべレクを倒して界変を阻止しようとしました。しかし彼との戦闘が始まるより先に、界変は始まってしまっていた。その際に彼の情報体アートマンは宇宙から切り離され、母さんを除く全ての人間の記憶や記録から、べレクという存在は消滅しました。だから誰も彼を覚えていないんです。というよりも、知らない状態・・・・・・になったと云うべきかもしれません。そして情報次元の整合性の働きによって、べレクの所業は全て母さんが行ったものとして置き換えられました……」


「………………」


 押し黙るアマラに倣って皆も口を噤むと、沈痛な空気がその部屋を満たした。

 エリオンは顔を上げてそれを払拭するように再び口を開く。


「――べレクを倒した後、母さんは既に始まってしまった界変から世界を護ろうと、亜世界中に配置された次元観測機AEODアイオードを経由して、多次元宇宙の全てをアルテントロピーでプロテクトしようとしました」


「全宇宙を情報保護プロテクト? 1つの宇宙を解析するんだって、インテレイド5万体で200年以上かかるって試算だぞ? それをたった一人でやろうとしたってのか?」


「そうです。アマラさんの言う通り、宇宙の総情報量というのは、情報子サンヒター換算でグラハム数の2千乗を超えます。しかもそのほとんどが人間には理解不能なもの。ですから当然の結果として、完全に保護できたのは一部の生命体や彼らに関する因果律、そして世界としての構造を維持するための物理法則だけでした。それ以外の存在は消滅するか、或いは情報構造的に共通点が多いもの同士で統合されました」


「存在が統合された……? そうか、デバイス石だな?」


「身近なもので言えばそうです。各宇宙に存在していた元素の99%以上は、かつて源世界で使用されていた元素デバイスと統合され、デバイス石という可変性量子になりました。他にも多くの亜世界で乗り物として使用されていた馬と二輪車や、特殊な例であれば宇宙船とその船員クルー、人型の強化兵装と人工知性体インテレイドなどもそうです」


 その台詞にピクリと反応したアヤメが、隣に座っているギルオートの顔を横目で見る。しかし彼の金属の顔は超然としたまま、口を開くことすらしなかった。


「――そして銀河や惑星も統合され、この『いちなる世界』が生まれました」


 エリオンの告げた内容は、正にこの宇宙の誕生秘話であった。

 唯一彼を除けば、もともと別の世界の住人であったアマラや他の者達は知られざる真実を前にして、天井を仰ぎ見たり、腕を組んで目を瞑ったり、深い溜め息を吐いたりした。


「……その統合は、クロエの意思だったのか?」とアマラ。


「違う、とは言い切れません。母さんは全ての情報を護ることができないと判断し、ある程度存在が統合されるのを敢えて見逃すことで、保護する情報量を軽減したんだと思います。完全に消滅して復元不可能になるよりは、ということでしょう。それによって生まれる混沌の世界が、その後どうなるかということまでは、恐らく考えている余裕は無かったんだと思います」


「そうか……」


 彼女が口をへの字に曲げてそれきり黙り込むと、今度はそれまで沈黙を守っていたアグノモが尋ねた。


「少し良いかな、エリオン」


「なんでしょう?」


「今の説明についてだが、君の口振りにはどうにも引っ掛かるところがある」


「それは、どの部分でしょうか」


「君は今『復元不可能になるよりは』と言った。しかしその台詞はまるで『消滅さえしなければ元に戻せる』というふうにも聞こえる」


 するとエリオンはこくりと小さく首肯する。


「はい、あくまで可能性としての話ですが。それが本題になります」


「……聴かせてもらおう」


 アグノモは居住まいを正すと、エリオンを正面に見据えた。

 対するエリオンは彼と目を合わせた後に一同の顔をゆっくりと見回し、それぞれの反応を確認するように言った。


「皆さんは、かつては自分たちが別の世界に存在していたということを記憶しています。しかしそれは情報の改変という点において矛盾しています。本来情報が書き換わったのであれば、皆さんの思考や記憶の中に『前の世界』という概念は存在しません」


 言われてみれば確かに、と皆が頷く。


「では何故皆さんがそれを知っているのかと言うと、それは界変以前の情報がまだ残っているからに他なりません」


「つまりバックアップが存在していると?」


「はい。べレクとの戦闘時、母さんは情報体アートマンであった彼に人間の肉体を付与しました。そして界変によって彼の情報が消滅した後も、その体が持つ物理的な情報だけは残りました。べレク・宇・エンリルの知識だけを宿し、魂を持たない『神の骨』として」


「なるほど……ではそれが――」


「僕です。神の骨にインテレイドと同等以上の演算能力を持つ人間の脳を組み込んで創られた存在。エンリルリオンという名は、『エンリルに似た者』という意味です」


「ならば君は、以前の宇宙の情報を記憶しているということか。そしてそれを元に世界を復元できると?」


 期待を込めて前のめりになったアグノモであったが、そこにアマラが横から口を挟んだ。


「そりゃ無理だぜ」


「? どういうことだ? アマラ」


「昔の亜世界ならともかくさ? 今のこの世界をまるごと改変しようってんなら、とてもじゃねえけど情報改変力アルテントロピーが足りねえよ。俺やリアムや、ユウにだって無理だ。そんな桁外れの力を持ってるヤツなんて存在しねえんだ。少なくともクロエ以外にはな」


「それならば彼女に――」


「できねーんだろ、多分。クロエは基本的に、何でもかんでも自分独りで抱え込んで、それを自分だけで解決しようとするタイプだ。できるならとっくにやってるはずだぜ?」


 アマラはそう言って、エリオンに確認するように目を向けた。すると彼は静かに首を縦に振る。


「その通りです。動き出した界変は止まらない……。母さんは今も力の大半を、この世界の維持のために使っています」


「ではどうやって復元を? 或いは君ならば行えるとでもいうのか?」とアグノモ。


「いえ。僕にも界変のアルテントロピーはありますが、僕の力だけでは不可能です。しかし方法が無いわけではありません」


「ふむ。どんな方法だ?」


「界変によって存在情報が統合されることを悟った母さんは、保険として最初の界変が行われるより前の過去を切り離し、世界履歴アーカイブとして別次元に保管しました。そこへ行き、ルーラーとなる前の母さんの力を借りて、べレクの界変を上書きします」


「過去の世界に……。それは君一人の力で可能なものなのか?」


「いえ。世界履歴アーカイブはその未来に存在するWIRAや、この『いちなる世界』と情報的に隔絶されています。そのままの状態で界変を行うことは難しいでしょう。そこでまず、最初に僕が向こうの世界に情報を与え、こちらの世界との紐付けを行います。その後に僕の殊能『バルドルの船』を使って、皆さんをあちらの世界に転移させます――」

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