第6話 キザに決めたい

 特別な日ではない金曜の夕方。僕は鏡の前に立ちながら、マネキンの方が似合っているかもと苦笑していた。


「服装まずまず。レストランは個室を予約済み。あとは迎えに行くだけだ」


 優奈の降りる駅に車を走らせる。

 待っている間、初めてデートをしたときのことを思い出していた。西洋画を色々な角度から眺める優奈が、ただただ眩しかった。


「おまたせ」


 サックスブルーのワンピースがふわりと揺れた。

 仕事のカバンとともに、着替えを持って行っていたようだ。準備の良さに驚かされる。


 サプライズを用意していたのは優奈だけではない。僕は夜景が綺麗なレストランを選んでいた。メイキングを見て悩んでいたことを覚えていた甲斐があった。


 メインディッシュを食べ終わって一段落した。伸ばした背筋の綺麗さに見とれる。僕はカバンからあるものを取り出した。お守り代わりにそっと握る。優奈は空いた皿を端に移動させていた。


「優奈」


 視線が合ってから、僕は何度も予習してきたフレーズを口にする。


「気付いたんだ。このまま一緒にいるのは駄目だって」

「徹也?」


 焦りと戸惑いを混ぜたような表情に、固めたはずの決心が揺らぎそうになる。だが、止まらない。中途半端に終わらせたくない。


「だから、そろそろ一緒の籍に入らない?」


 僕は紺色のケースを開けた。灯に照らされ、ダイヤは七色にまたたいた。

 やれることは全てした。場所選びも、雰囲気作りも。後は返事を待つだけだ。


「……ずるい」

「えっ?」


 僕が聞き返す前に、優奈の口は固く結ばれていた。

 この反応は予想していなかった。何が駄目だったのか、ほかの候補も思い出してみる。


 結婚してください。シンプルだからこそ、緊張して「け、けけけけ」と不気味な笑い声になることを恐れた。

 僕のために毎日手料理を作ってくれ。一昔前まで定番だった言葉は、亭主関白を印象付ける。今の時代に合わないだろう。

 ずっと僕の隣で。恥ずかしすぎて頬が引きつりそう。大げさな言い回しや、上から目線の言葉は使いたくない。かといって、素朴すぎてスルーされるのは寂しい。優奈の反感を買わない言葉を必死に探した。ようやく決めた後は、指輪を渡すべきかどうかという問題にぶち当たった。検索履歴はプロポーズの時期に関するものばかり。計画の詰めが甘かったのだろうか。


 あたふたしていると、優奈は涙を拭って話し出した。


「別れ話なのかなって心配したのに……! 嬉しすぎて言葉が見つからないじゃない」


 僕は目を見張った。今まで見てきたどの表情よりも綺麗だった。

 ごめんと謝りそうになったが、すぐに笑顔を作った。のちに記念日となる日に、明るい気持ちだけ残したい。


「試着したときのデザインを覚えていてくれたんだね」

「うん。きみが店員さんに声を掛けるのは、本当に気に入ったときだけだから」


 うやうやしい手つきで優奈の左手を取った。私物を借りたおかげで、薬指にぴったり合う。

 一瞬だけ、優奈は不安そうに息をついた。


「先に、私の実家に行かなくて良かったの? 挨拶がまだだけど」

「それは大丈夫。明日しか空いてなかったって、義母さんが電話してきたから」


 父さんと陽介は私に任せておいて。自信たっぷりに話していた。

 店員が皿を下げるときに、僕はカクテルを注文した。プロポーズ前は緊張して飲めなかったが、飲んでいいとの申し出に甘えることにした。


 指輪を愛でる運転手に聞かせるように、今の思いをはっきりと口にした。


「スコーピオンを」


 せめて格好つけさせてくれないか。

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スコーピオン 羽間慧 @hazamakei

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