第11話「決戦前夜」

 加賀谷輝カガヤテルの日常は、大半がぼんやりと考え込む時間についやされていった。

 もともと、知識と知性を詰め込んだ脳味噌のうみそを、常にフル回転させて生きてきた。それも全て、ただ一人、たった一人の女の子に勝つために。

 だが、今は言うなればアイドリング状態だ。

 漠然ばくぜんとしたイメージが、数字や文字にならずにぼやけている。

 そんな日が、今日で三日も続いているのだった。


「輝クン、前見て! 前! アスカをちゃんと見て!」


 少女然とした声が、なかば悲鳴のように叫ばれた。

 それで輝は、我に返る。

 花園薫ハナゾノカオルの焦りを体現するように、彼女の……いな、彼のフィギュドールがコーナーポストの外で身を乗り出している。

 そう、今は薫とゲームセンターでタッグマッチの真っ最中だ。

 そして、ぼんやりしていた輝のアスカに、相手のフィギュドールが襲い来る。

 ロープの反動を利用した猛ダッシュからの、ラリアットだ。


「あ、ああ……だが、どうしたものか。うーむ」


 手にしたスマホからは、最低限の指示しかできない。フィギュレスでは常に、事前にフィギュドールをカスタマイズし、思考ルーチンを練り上げることで勝負はほぼ決まるのだ。

 輝がそれをおこたったことはない。

 だが、満足してもいないし、充分だとも思えなかった。

 なにか、決定的なものが足りない。

 それがたった一つ足りないばかりに、今のアスカは未完成のパズルだ。ド真ん中にはまる一番大事なピースが、輝には欠けているように思えるのだ。

 だが、そんな彼を対戦相手は大げさに笑う。


「おいおいィ? 俺を相手によそ見かぁ? じゃあ……死にさらせえええええっ!」


 野蛮で下卑げびた言葉とは裏腹に、貞淑ていしゅく御令嬢フロイラインといった雰囲気のフィギュドールが襲ってくる。長いスカートのすyそを片手でつまんで、もう片方の腕は敵の首を刈るべく伸ばされている。

 だが、一瞬で正気に戻った輝がスマートフォンに指を走らせた。

 フィギュレスでは、自分のフィギュドールには大雑把な指示しか出せない。それは指示というよりは、ただの声掛け、応援だ。! とか、! とか、そういう曖昧あいまいで抽象的なものだ。

 だからこそ、想いを乗せて本気で願う。

 そして、丹精たんせい込めて育てたフィギュドールはその気持ちに必ず応えてくれるのだ。


「悪ぃ、アスカ。あと、頼むわ」


 ほぼ棒立ちだったアスカが、瞬時に臨戦態勢に移行する。

 アスカは、自分の首を狙うラリアットの、その嘘臭うそくさ細腕ほそうでへと巻き付いてテイクダウンを奪った。相手の突進力をそのまま回転エネルギーで逃して、瞬時に肩関節を極めた。脇固わきがためという技で、カウンターはアスカと輝の得意とするところである。

 タッグパートナーの薫が、筐体きょうたいをバンバン叩きながら興奮気味に叫んだ。


「いいよ、輝クンッ! いい調子! そのままめちゃえ! ……えっ? ちょ、ちょっと、輝クン?」


 勝利を確信していた薫が、驚きに表情を失う。

 そしてそれは、見事なカウンターのサブミッションを喰らっていた相手も一緒だった。

 輝は、そっとアスカに想いを伝えた。

 それを受けて、

 そのまま絞り上げればギブアップも目前だった、必殺の脇固めを自らほどいたのだ。


「輝クン、どしたの? あっ……! そ、そっか」

「俺様はまだ、考えている最中だ。そして、そうである以上つまらない勝ち方をするつもりはない」

「それは、わかる、けど……相手だってかわいそうだよ」

「ん? そうか? 楽勝な雑魚ザコならば、必殺技を編み出すための木偶デクになってもらうくらいが関の山だと思うのだが」


 ちょっとだけ、薫が怖い顔をした。

 一生懸命にらんでいるのだろうが、せいぜい小動物がねた程度にしか見えない。

 そんな愛らしい薫の怒りを、ちゃんと輝は感じることができた。

 それは、筐体の向こう側で怒り心頭の二人組も同じだった。


「くっそお! 舐めプなめプレイかよ! おいっ、相棒! お前もリングに入れ! こうなりゃ乱闘だ!」

「乱闘上等! ふざけた真似まねしやがって……ルール無用のツープラトンでブッ潰してやるぜ!」


 コーナーに控えていた、相手のタッグパートナーもしゃしゃり出てきた。

 あっという間に、アスカは二人のフィギュドールを相手にする羽目はめになる。だが、危機的な状況でも輝の気持ちはなかなか点火しなかった。燃え上がらぬまま、消化不良のようにくすぶっているのだ。

 先程の御嬢様が、組んでくる。

 そこに相方の、犬の着ぐるみを着たフィギュドールが加わる。

 このままでは、合体技のツープラトンで大ダメージを受けてしまう。

 だが、その可能性は実現しなかった。


「輝クンッ! そゆの、めっ! めーっ、だよ! 遊びでも……ううん、遊びだからこそ、全力で遊ばなきゃ! 相手をリスペクトしな、きゃーっ!」


 薫のフィギュドール、リンクスが猛ダッシュで割って入ってくる。矢のようなドロップキックを放つや、高飛車たかびしゃを絵に描いたようなお嬢様を蹴り飛ばす。

 その時にはもう、薫の援護を受けて輝も本気になっていた。

 乱戦に持ち込んだ筈が、以外にも対戦相手の犬少女ドッグガールは混乱している。

 テクニックとスピードで翻弄ほんろうするトリックスター、アスカの敵ではない。

 自然と輝も、言葉が熱くなった。


「ククク……フハハハハ! 俺様に勝とうなど、百万光年早いわ!」

「輝クンッ、光年は距離の単位で、時間の単位じゃないよ!」

「わかっている、薫っ! 今のは俺様なりの超一流ジョークだ。そらそら、そらぁ!」


 組み付くワンを振り払うや、アスカが鋭いハイキックを放つ。

 それは、輝が一人の少女を……その少女が従えるフィギュドールをイメージして、インプットしたデータだった。

 だが、派手はでに衝撃音こそ響き渡ったものの、KOノックアウトできない。

 いい角度で相手の首筋を打ちえたと思ったが、犬娘ドッグガールは立っていた。


「むぅ……ハイキック一閃いっせん一撃必殺いちげきひっさつというのも難しいものだな。ならばっ!」


 やる前からわかっていた。

 自分が勝ちたいと思って、想い続けた女を真似しても意味がない。倒すべき敵がいるなら、敵と同じであるだけでは不完全なのだ。それを実践してみて、わかった。

 やはり、有栖星音アリスセイネのアリスを超えるには、全く違うアプローチが必要だった。


「薫っ! そっちは任せた……見せてやろう、俺様のフィギュレスをなあ!」

「うわ、ノリノリ……ま、でもオッケー! こっちは任せて、決めちゃって!」


 薫のリンクスが、試合の権利がある御嬢様フィギュドールを放ってくる。ハンマースルーで無理矢理走らせる。よたよたと駆けてくる姿は、かなり体力HPあたいをすり減らしたようだ。

 すぐさま輝のアスカは、半端はんぱにふらふらしている着ぐるみ姿から離れる。

 そのまま、走ってくる深窓しんそう令嬢れいじょうをブン投げた。

 相手の突進力を利用した、巻投まきなげ……いわゆる、サイクロンホイップである。

 派手にマットがズバーン! と鳴って、相手が大の字に身を横たえた。

 だが、アスカは相手の縦巻きロールの髪を掴んで、無理矢理に立たせる。


「フィニッシュだ……俺様に出会った不幸を呪え!」


 

 そして、どこまでいっても唯我独尊ゆいがどくそんのわがまま人間、痛いを通り越してド激痛な人間……それが加賀谷輝だった。しかも本人は、そんな自分が嫌いじゃないときている。

 アスカは瞬時に、素早く相手のバックを取った。

 そしてそのまま、腰を両手でクラッチし、背後に向かって投げつける。


「うおおっ! 喰らえ……ウルトラ・デンジャラス・ハイパー・デラックス! ただのっ、ジャーマンスープレックスウウウウウウウッ!」


 ――

 和名は原爆固げんばくがため……プロレスの神様カール・ゴッチが得意とした、あらゆるプロレスファンが認めるキング・オブ・プロレス技である。シンプルゆえにごまかしが効かず、炸裂すればあらゆる人間を納得させる存在感がある。

 アスカは見事なブリッジで、ジャーマンスープレックスホールドを放った。

 マットに叩きつけた御嬢様はもう、ピクリとも動かなかった。

 CPUコンピュータによって操作されるレフェリーが、3カウントを宣言する。

 次の瞬間、相手の側から悲鳴があがった。


「うああああっ! 負けたあああああ! こんな素人しろうとっぽい奴に!」


 相手の二人は、どこにでもいる普通の男子高校生だ。その証拠に、輝たちとは違う制服を着ていて、いかにも下校途中の寄り道といった雰囲気である。

 それは輝たちも同じで、ここは通学路の途中にあるゲームセンターだ。

 そして、シェイクダウンを重ねて完成度を高めたアスカにとって、ここは道場みたいなものだ。一番の先生は薫のリンクスで、二人のタッグはここでは無敗だった。

 薫は華奢きゃしゃ矮躯わいくを浴びせるようにして、輝に抱き着いてくる。


「やった、やったよ! 輝クンッ、これで14連勝! この戦歴は確かに輝クンの実力だよ!」

「フン! まあ、それほどでもあるが……だが、何勝しようと奴にはまだ勝っていない」

「もーっ、輝クン? 今回は星音セイネさんはパートナーなんだから。でも、うん、そだね……必殺技、結局思いつかなかったね」

「なに、構わん! ……思いつかない訳でもなく、おぼろげに見えていて、まだ手探りだ。だが、戦う先に必ずそれはある! 絶対にモノにしてみぜるぞ! ウハハハハ!」


 かくして、大会前日の最後の戦いが終わった。

 日本で最強のフィギュドールを決める究極のトーナメント、レッスル・パペット・カーニバルは、明日開幕する。

 正直、アスカは万全ではない。

 思うように動いて、思った以上の仕上がりだとも思う。

 だが、まだ必殺技と呼べる奥義おうぎを体得していなかった。

 輝はそのことだけが気がかりで、それしか頭にない。大会前日になっても、有栖星音アリスセイネとタッグを組んでの綿密な特訓、打ち合わせをしていないことなど、彼にはどうでもいいことなのだった。

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レッスル・パペット・カーニバル! ながやん @nagamono

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