第10話「今は名もなき明日への架け橋」

 ――そこに寝て。

 こんな刺激的な台詞せりふ、美少女に言われたら普通は喜ぶかもしれない。

 だが、加賀谷輝カガヤテルは「はぁ?」と頓狂とんきょうな声を出してしまった。

 しかも、ベッドではなく床に転がれというのだ。

 因みに、輝の部屋はフローリングである。


「おい待て、何故なぜ俺様が寝そべる必要がある?」


 当然の問に、幼馴染おさななじみ四条史香シジョウフミカは満面の笑みを浮かべた。


「何故って、これからドロシーの必殺技を編み出すのよ!」

「説明になってないぞ、貴様きさま……」

「だーかーらっ! 私、思ったんだけどね。結構、サブミッション? 関節技、面白いなあって思って……ね?」


 再度「ねっ?」とかわいい仕草しぐさで史香は輝を覗き込んでくる。

 そこでようやく、友人の花園薫ハナゾノカオルがポン! と手を叩いた。


「ああ、そっか! 輝クン、ほらあれだよ。!」

「それよ、それ! さあ、覚悟しなさい……私、色々ネットで調べてきたんだから!」


 輝は一言で言って、げんなりした。

 史香は、特別勉強ができない訳でもないが、馬鹿だ。

 いわゆるアホの子になってしまうことが、これまでも度々たびたびあった。

 その奇行はいつも、トラブルの種をばらまきながら輝を巻き込んでゆくのである。


「断る! そういうことなら、俺様より薫を使うがいい」

「そうだねっ、ボクを……って、こここ、こらぁ! ヤだよボク、女の子となんて。輝クン、ご指名なんだから! ほら!」

「ま、待て、押すな! ぐぬぬ……どうしてこうなるのだ」


 なし崩し的に、渋々しぶしぶ輝は仰向けに寝そべった。

 男子としては、特別長身でもないし、恰幅かっぷくがいい訳でもない。だが、適度に鍛えていると自負しているし、そうでなければあの女には……有栖星音アリスセイネには勝てない。

 負け続けだが、勝負を成立させるにはまず、食らいついていくだけの力が必要なのだ。

 知力、体力、そしてフィギュレスでのテクニック。

 加えて言えば、輝は相棒のアスカを最強のフィギュドールに……最凶のヒールレスラーにしようと思っているのだった。


「よろしい! じゃ、じゃあ……上、乗るね?」


 文字通り史香が、馬乗りになってきた。

 嬉しそうに薫が、スマホのカメラをパシャパシャと歌わせる。

 なにが面白いのかと思ったが、溌剌はつらつとした表情を史香はわずかに紅潮こうちょうさせている。


「これが有名な、マウントポジション、だよね?」

「ブッブー、不正解!」

「え、嘘? ちょっと、薫君? このままこうやって、パンチするのよね?」

「もっとちゃうんとマウント取らないと、ガードポジションに戻されちゃうよ?」

「えっと……エヘヘ、ゴメン。なに? それ」


 史香が小首をかしげると、ポニーテイルに結った髪が揺れる。

 輝も、時々海外のチャンネルで総合格闘技MMAの試合などを見ることがある。ショーアップされたプロレスとは違い、単純に強さを競う競技だ。ゆえに、打つ、投げる、極めるの技が極限まで発達し、それぞれが噛み合うことで試合自体が芸術的なロジックを広げてゆくのだ。

 マウントポジションとは、非常に有利な態勢を言う。

 相手に馬乗りになって、上から攻撃し放題だ。


「えっとね、史香ちゃん。まず、マウントを取ったら」

「マウントを取ったら! そのまま怒涛どとうの知ったかぶりで論破ね!」

「そっちのマウントじゃないよー、もう。こうやって、ね……輝の両脚に自分の両足をフック、からめて。そうじゃないと逃げられちゃうよ?」


 薫が言うままに、史香が脚を絡めてきた。

 外側から左右の脚で、ちょうど輝の太腿ふとももを挟むような感じである。柔らかくて温かい感触が密着してきて、輝を奇妙な感覚が襲った。

 妙に顔が熱くて、気取られまいとすれば汗がにじむ。

 そして、もう逃げ出したいと思ったが……マウントポジションが完成しているので、体力差があっても思うようには動けなかった。なるほど、本当にマウントを取った側が圧倒的に有利なのだと、輝は納得させられてしまった。


「む、むぅ……抜け出せん」

「ふふ、輝クン? 力技じゃ無理だよ。もちろん、近代の総合格闘技じゃ、マウントポジションだって無敵の必殺技じゃないけどね」


 だが、史香はどうやらご不満らしい。

 ガッチリと輝をホールドしたまま、腕組み考え込んでしまった。


「違うんだよなあ、ほら、もっとあるじゃない? いぶし銀のテクニックってのが」

「例えば?」

「えっと、STFエスティーエフってのやってみたい! あとはね」

「ステップオーバー・トゥホールド・ウィズ・フェイスロック、略してSTFだね。他には?」

「やだ、薫君ってば詳しい。んとね、他にも何件かググってて、それらを分解、再構成してオリジナルの関節技がほしいの」

「なるほどー、結構考えあってのことだったんだね。ボク、最初はびっくりしちゃったけど」


 とりあえず、早く上から降りて欲しい。

 なんだか、身体のとある部分に血液が民族大移動しそうな気配なのだ。

 だが、有無うむを言わさず輝は、立ち上がった史香によってうつ伏せにさせられる。そして、やはり彼女は恥じらいもせずに乗っかってきた。


「えっと、脚をこう」

「グハッ! い、痛いのだが……おい史香!」

「痛くて当たり前でしょ? 我慢、我慢。ほら、男の子なんだから」

「ちょ、ちょっと待て、脚が……!?」


 むっちりとした史香の太腿が、ジャージの向こう側から圧迫してくる。今、輝は片足を折り畳まれた上に、脛を両の太腿に挟まれているのだ。それだけでもかなり痛いのに、さらに史香は上から覆いかぶさるようにして顔面に腕を回してくる。

 背中にギュムと、圧縮された胸の膨らみが押し当てられた。

 瞬間、輝の中で今まで感じたことがない感情が爆発した。

 それが劣情で、思春期の少年には当然の反応だとわからない。正体不明の熱いもやもやが、自然と脳裏に一人の少女の姿を結んだ。


「ぐっ、がっ! や、やめ……星音! やめるのだ、俺様がおかしくなる!」

「ちょっとー、誰が星音よ。んー、でも……じゃあ、この上半分をドラゴンスリーパーに」

「それ、もうある技だよ? STD……そのまんまの名前だけどね」


 薫はクスリと笑って、止めてくれる気配がない。

 そして、その後も輝は手足を抱き締められ、引っ張られて、逆関節に極められたりした。

 散々輝のことをオモチャにした挙げ句、ようやく史香は立ち上がる。


「んー、なんかイメージと違う……いぶし銀な感じ、出ない……」

「貴様、あれだけのことをやっておいて、言うことがそれか」


 ようやく立ち上がった輝は、正直助かったと胸を撫で下ろす。

 小さな頃からの幼馴染で、史香とは何度も取っ組み合いをしたし、一緒に風呂に入った仲である。そしてそれは、星音も変わらないはずだ。

 何故、言葉にできない興奮状態の中で、自分は星音の名を口にしたのか。

 それを考えると、さらなる熱が胸の奥より込み上げてきた。

 今は、渦巻く感情を星音への対抗心、ライバル心だと片付ける。

 そう、輝の究極の目的……それは、

 そのために今、フィギュレスのドールマスターとなったのである。


「ん、そういえば……薫」

「ん? どしたの、輝クン」

「フィギュレスで……プロレスで、最も好まれる技とはなんだ?」

「えー、それは人の好き好きだよぉ。ほら、史香ちゃんみたいに、サブミッションにハマるマニアックな人もいるし。打撃が好き、パワー技が好き、輝クンみたいに、反則技が好き」

「俺は反則技が好きなのではない。客を盛り上げ注目を浴び、そのあとで……そう、そのあとで真の力を見せつける必殺技が必要ということか。ふむ、話は読めてきたな」


 そう、必殺技こそがフィギュレスのはなだ。

 フィギュドールの一人一人が持つ、フェイバリットホールド……無言の説得力を持って、相手をマットに鎮める一撃必殺の技である。

 だが、輝にはまだそれが見えていない。

 それどころか、好きという概念すら彼には曖昧なのだ。

 フィギュレスで好きな技をと言われても、手段を選ぶことを彼は知らない。星音との長い戦いが続く中、好き嫌いで手段を選んでこなかったのである。

 選べなかった、と言うべきか。


「んー、じゃあさ、輝クン! やっぱ、必殺技の王道は……スープレックスだよ!」

「スープレックス、つまり投げ技か」


 スマホであれこれググってる史香を他所よそに、ほうほうと輝は頷く。


「まずはね、輝クン! プロレス技の王様、ジャーマンスープレックス!」

「ほう!」

飛竜革命ひりゅうかくめい、ドラゴンスープレックスでしょ! 猛虎継承もうこけいしょう、タイガースープレックスでしょ!」

「ほうほう!」

「前から組んでも、多種多様なスープレックスがあるんだー。ノーザンライトスープレックスとか、フィッシャーマンズスープレックスとか」

「ふむ! よかろう、気に入った!」


 スープレックス、それもそのまま叩きつけてフォールを狙う技がある。

 これぞプロレスの王道だ。

 フィギュレスでも勿論もちろん、多種多様なスープレックスが毎日リングに花咲いている。先達から脈々と継承された伝統技や、複雑に絡み合うオリジナル技まで多彩だ。

 早速さっそく輝は、自分の中にイメージを探す。

 シルエットとして脳裏に浮かぶアスカに、相手を与えてみる。

 だが、イマジネーションがさっぱり湧かない。

 そのことを素直に口にしたら、薫は笑った。


「とりあえず、今はどんなスープレックス技があるか、一通り見てみようよ!」

「あ、ああ……そうだな。まずは知識、それも大量の情報を網羅する必要がある。下調べなあらゆる分野で、最も重要な作業だからな」

「そゆこと!」


 ふと振り向けば、スマホを片手にまだ史香は関節技を調べていた。

 熱心に画面を睨みつつ、自分でも合いた片腕を動かしている。なんだか、見えない相手に技をかけようとしてるらしいが、ヨガか盆踊ぼんおどりかという奇妙な格好だった。

 そのことを薫が口にすると、史香は顔を真赤にして怒り出した。

 結局この日は必殺技が完成しなかったが、徐々に輝は熱を帯びる自分に胸を高鳴らせるのだった。

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