真実とは

 祖母の言葉は、呪いの真実を告げていた。

「あっ」

 祖母の指から血が出ている。刺繍針が刺さったらしい。何十年も続けている刺繍。祖母が刺繍針で指を刺すところなんて今まで一度も見た事はなかった。なにかが起こっているそんな予感がした。


 私たちは小さなプライドなんかではなくて、変化する事から逃げ出していただけにすぎなかった。私も父も母も。私は父で父は母で母は祖母で、対象は違えどそれぞれがそれぞれから逃げるという変化から逃げていたんだ。逃げるという変化から逃げる事。それが呪いの正体だったのかもしれない。父は家からは逃げ出したものの、それは実際に逃げなければならない母からの愛の強要というものに目を背けるという意味での逃げるという行為でしかなかった。抜本的な解決とは全く異なっていたが、あの時の父にそれを理解する能力があったとは思えない。ただ父自身は変化する事については失敗に終わったといえ、本当の意味での優越感や自己満足とは違った救いを見付け出したように思う。優越感でも自己満足でもなく私を呪いから解放する為だけに動くというのは、私たち家族が長年忘れていた、もしくは知らなかった、いや、知っていたのに知らない振りをしていた一般的な救いの形式だった。それを、記憶障害を抱えた父が実行したのだ。私の大好きだった父が混濁した記憶という闇の中で、そっと拾い上げたのだ。父が。パパが。

 だが父がそうだったといって、私や母や祖母が同じではないので、きっとこの先も私や母や祖母に本当の意味での救いなんてものが訪れる事はないのだろう。いや、ないのだ。

 私たち家族はそれぞれが台風の目で、寄り添う事でお互いの台風がぶつかり合い勢力を拡大させてしまうと無意識に感じ取り、それぞれが嘘や仮初めの言葉や行動や現象や第二次反抗期といった形式を呪いに置き換えて、それぞれの距離を一定に保っていたのだろう。

 でも、それは別に私たち家族に限った話ではないはずだ。

 なぜなら、あの言葉は桜ちゃんがいっていた言葉だから。

 救いについて聞いた私に、「優越感と自己満足ってところですか」と答えたのは確かに桜ちゃんだったから。

 その言葉が正しいなんてありえない。彼女もまた家族との間になにかしらの呪いがあったのかもしれない。しかし彼女はあの日、強い台風に襲われた神戸で言った。

「人間だって、台風を起こしちゃって良いんですよ。今日みたいな日は特に」

 と、そんな風に言ったのだ。

 あれは桜ちゃんなりに覚悟を表明していたのではないだろうか。そうしてあの日に彼女は呪いから解放されたのではないだろうか。そんな風に、なぜか思った。

 桜ちゃんから聞きそびれたけれど、父が私と同じような事をいっていた。という話。きっと小さなネジが一つなくなったところで、大きな歯車は回り続けてる。ちゃんと時計は時を刻めるって話だろう。あれはもしかしたら父がいつか私にいった言葉なのかもしれない。歯車のように、記憶も、呪いも、一緒くたになって循環していくのだろう。きっと、未来永劫。


「ようちゃん。あんたは神戸で生まれて神戸で死んでいくんや。お母さんの呪いを受けながらな。私の呪いを受けたお母さんからの呪いを受けて死んでいくんや」

 祖母は窓の外に目を向けたまま呟いた。

 どこかで聞いたような言葉は、尾道から神戸に向かう途中、静かに私の中から発生した小さな風のようなものだった。はずだった。しかしそれは私ではなく先祖代々の大きなメッセージだったのだろう。

 ただ台風の目にいた私には、それが理解出来ていなかっただけで。

 桜ちゃんがいっていた、「真実なんて知ったらつまらない事ばかりですよ」という言葉は本当だった。つまらない上に、つらい。

 祖母は外に向けていた目を私に向けて、

「ここにはもう残り滓しかあらへん」

 そう言った。

 今月は生理がまだ来ていない。

 もし妊娠していたとして、この子もまた呪いの対象者なのだろうか。

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今ここが台風の目 斉賀 朗数 @mmatatabii

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