第4話

◇ ◇ ◇


「食後の珈琲というのもまたオツなものだ」


 補修したばかりの中央テーブルに着き、私と夜を焦がれる人は向かい合って珈琲を飲んでいる。


 さっき私が持って来たのは【魔法使いと珈琲を】という異世界ファンタジーである。

 舞台は『地球』なる惑星の『日本』という小さな島国にも関わらず、こちらの世界の魔法使いが登場する、という最近の流行りに乗った物語だ。

 こちらの世界でもあちらの世界でも、こういったそれぞれの世界を行き来するようなファンタジーが好まれているようで、生まれる本もやはりそんな内容のものが多い。


 私も彼も、そんなファンタジーが大好きである。見たこともない異世界の暮らしを、あたかもそこで生きていたかのごとく生き生きと書けるなんて、本当にもう頭が下がりっぱなしになるくらい。


 で、昨夜、ふと目を覚ますと、中段辺りにあったこの本が、ふわりと光っていたというわけだった。誰かに読んでもらえて嬉しかったらしい。


「しかし、いつも思うんだが、不思議な淹れ方をする珈琲だよね。湯に溶くだけで出来るなんて」

「異世界の一般家庭では、この『インスタント珈琲』というのが主流みたいですからね」

「そう。こんなに簡単なのに、なぜか美味い」


 ほわほわと立ち上る湯気に鼻を近付ける。豆を挽いて淹れたやつと変わらない香りがする。正直私も彼もそんなに味の違いなんてわからないの。


 夜を焦がれる人は何も入れずに真っ黒なままの珈琲を飲み、私はというと、【ミルクの本】2ページと【砂糖の本】を1ページ。これがちょうど良いのだ。

 温かくて、ちょっと苦くて、でも、ほんのり甘い。


 落ちかかっていた瞼が、もう少しなら頑張れそうだと、くくく、と持ち上がる。異世界の珈琲を飲むと眠気が覚めるっていうけど、本当かしら。


 夜を焦がれる人、もうちょっと眠そうな顔をしてるんですけど。


「夜を焦がれる人、もう眠いですか?」



◆ ◆ ◆


 梯子の君が持ってきたのは【魔法使いと珈琲を】という異世界ファンタジーだった。

 この本が生まれた時、梯子の君とよく珈琲を飲んだものである。


 俺達はいわゆる『本の精霊』というものに分類されるらしい。

 本の中を自由に行き来し、ストーリーの根幹に関わりさえしなければ、登場人物と会話したりも出来る。


 かなり古い異世界のおとぎ話にはもう何度も足を運び、囚われの王子様を助けるために旅をする勇敢なお姫様を陰ながら応援したこともあるし、異世界の旅行ガイドブックを開けば、ここにはない景色を肌で感じ、その土地の珍しい食べ物だって食べられるのだ。さっきの旅行記のように。


 カップから立ち上る湯気を追って、もう一度天井を見上げる。


『本の中に入れるなんて素敵! 羨ましいわ』


 そう言ったのは、この森にふらりと迷い込んできた少女だった。

 しかし、かと思えば、


図書館ここと本の世界だけなんて、可哀想に』


 と哀れみの目を向ける男もいた。それもやはり迷い人だった。


 きっと、彼は気付いていないのだ。


 この世のことは、いまある本、それからこれから生まれる本にすべて書かれている、ということに。彼らが生きている世界だけじゃなく、人が頭に思い描いた架空の世界に至るまで、すべてが。本にはそのすべてがある。


 だからつまり俺達は、もうどこにだって行けるのだ。

 彼が登場する本にふらりとお邪魔して感動の対面をはたしてやっても良い。きっと驚くだろう。


 眼鏡の奥の瞳を細め、そんなことを考えていると、


「夜を焦がれる人、もう眠いですか?」


 と梯子の君が首を傾げている。

 そんなことはないんだけど、そう見えたのだろう。


「いいや、まだ大丈夫。ねぇ梯子の君、明日、ちょっと行ってみたい本があるんだけど、良いかな?」


 そんな提案をすると、


「もちろん。どんな本ですか? 夜を焦がれる人が選ぶ本、大好きです私」


 満月の光をたっぷりとその髪に受けた梯子の君が無邪気な声を上げる。そんな彼女の笑みを見れば、胸の中にあった小さな意地悪心なんてこの湯気と共に消えてしまうのだ。


「とても可愛らしい異世界の子ども達が出て来る話なんだ。2人は年の近い兄妹でね――」


 さぁ、明日も君と共に本を巡ろう。



 ここは図書館、2人の家。



  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

図書館暮らし。 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説