ひろしは自分が退院する日のことを思い返していた。


 会社への復帰予定が決まり、いよいよ病院から出るという頃合いで、真由子まゆことその両親――磯谷いそたに しげるさんと磯谷 みどりさんに出会った。

 宏と真由子の関係は、両家の親も公認している。挨拶と社交辞令を交わしつつも、宏は三人と話をし始めた。

 寡黙で不器用なオヤジというイメージを持っていた茂さんだったが、意外にも親バカであり、事あるごとに娘を褒め称えていた。また、親としてはやはり娘の今後に気が向くようで、結婚はいつやるか、子供はどうするのか、という話が続いた。内容が内容なので暈すぼかす程度にしか伝えなかったが。

 真由子が検査の為に戻ることになり、いよいよとなった時、ずっと佇んでいた翠さんがこちらに歩み寄り、別れの挨拶をした。


「娘と一緒にいてくれて、ありがとうね」


 そこまで回想して、宏の頭は限界を迎えた。

 頭に浮かぶのは嫌悪、恐怖、拒絶――

 何事もなかったと思われた話だったが、不自然に思える点は幾つかあった。


 例えば、茂さんは車椅子に腰かける娘の身体を執拗に触っていた。その度にてのひらや指が、彼女のぶよぶよ・・・・の身体にめりこむ――彼女の容体ようだいは先生から話があったはずだが、それにも関わらずだ。

 当時は親の愛情とばかり思っていた。奇跡的に大事故から生還したのだから、親として喜ぶのは当然だろう――しかし、改めて考えてみると別の可能性も出てきた。

 あの時、茂さんは確かめていたのではないか――娘が本当に・・・生きているのかを。


 翠さんはその様子を静かに見守っていた。まだ自然な態度に見える。話の途中で何回かハンカチで顔を拭っていたが、それ以外に目ぼしい態度は見られなかった。だが、語る内容が「思い出話」ばかりというのが、どうにも気にかかる。

 仲が進展した娘と彼氏を考えれば、親としての一種の惜しさがあるのは分かる。しかし、それでも「未来」の話が出てこないのは不可思議なことだ。茂さんが語り尽してしまったからかもしれないし、そうであって欲しいと願うが。


 真由子は――笑顔を浮かべていた。両親と一緒だったこともあって、少し恥じらっていたようだったが、そこに後ろめたさは微塵も感じられなかった。

 会話にも不自然さはない。大手術を乗り越え、彼女の身体には皮膚代わりの人工膜を始めとしたおびただしい数の施術が加えられている。副作用や苦痛は絶対にあるはずなのだ。なのにここまで明るく振る舞っている。

 不自然だ。不自然さが見られないことが、あまりにも不自然だ。 


 考え過ぎかもしれない。だが、考えてみれば誰もが行き着くだろう。

 時速200キロの車に衝突されて、生きているなんてことがあり得るのか。

 自分がリアルな妄想を見ているか、他人・・が真由子の振りをしている――そちらの方がまだ納得できるが、脳検査も心理鑑定も問題を検出してはいないし、振りをする理由も見当たらない。

 何より、あの真由子の笑顔は本物だ。あの屈託のない笑みに惹かれて、自分は彼女と一緒にいたいと思ったのだから。にも拘わらず――

 自分でも何故こんなにも冷酷になれるのか不思議でならない。

 この思考は「真由子が生きている訳がない・・・・」ことを前提に組まれている。つまり、自分は――

 

 真由子を、殺したがっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Round And Round 脳幹 まこと @ReviveSoul

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る