ライブ
それからは、バイト中も帰ってご飯を食べる時も、ずっと中田くんのことばかり考えていた。
一緒にライブに行くなんて、改めて考えてみたら嘘みたい。
本当に来てくれるのか不安もあったし、来てくれたとしても何話そうって今更のように心配になる。
だって私の知ってる中田くんは、無口で、一人で、いつも教科書にかじりついてるだけだから。
布団の中で何度も中田くんの姿を思い浮かべるうちに、いつの間にかウトウトとしていた。
寝る間際、今日もお酒の臭いを漂わせていた母のやつれた横顔が、一瞬頭を過った。
翌日の夕方。
私はジーパンに白のチュニックシャツ、ぺたんこのスニーカーという格好で家を飛び出した。
Mar’s Companyのライブがあるのは“G”っていうライブハウスで、この辺りでは一番栄えている駅の目の前にあった。
アマチュアやインディーズのバンドが主にライブを行う、小さめの黒いライブハウス。
辿り着いてすぐに、改めて彼らの人気を知った。
ライブハウスの前の歩道は、若い女の子達で溢れ返っていたから。
といっても今になって知ったことなんだけど、整理番号というものがあってどうやら順番に入場するシステムらしく、もう入場は終わり掛けていた。
外にいる女の子達は、どうやらチケットを買えなかったファンみたい。
自分のチケットの整理番号を見てみたら、ケタの数字が書かれていた。本当は、すごく早くに入れたんだと思う。
ぎりぎりに待ち合わせをして入りそびれたことを、コウ先輩に申し訳なく思った。
きょろきょろと辺りを見渡してみても、中田くんが何処にいるかわからなかった。
携帯の番号なんて知らないから、連絡の取りようもないし不安になる。
人混みの中を歩き回りながら、中田くんは何処かと必死に見回す。早くしないと、始まりそうだ。
その時入り口の脇に、だるそうに壁に背を預けて立っている、背の高い男の人を見つけた。
彼は、じっとこちらを見ていた。
手を上げたり、“やあ”とか何もない。
でもだからこそ、それが中田くんだと気づくのに、時間は掛からなかった。
中田くんは黒の細身のズボンにカーキ色のシャツを着ていて、頭には茶色い薄手のニット帽を被っていた。
学校で見る時よりもどこかしら雰囲気があか抜けていて、ひょろりとはしているけど背も高いし、元々整った顔だから、ついドキリとしてしまう。
目の前まで行ったものの緊張で何も言えずにいると、中田くんはじっと私を見つめてから目線を外し、ボソリと呟いた。
「始まりそうだけど」
「あ、うんっ。そうだね」
「入ろう」
相変わらず、落ち着いている中田くん。
私の返事を待つこともなく、先に入り口から中に入ろうとしている。
私も、慌てて中田くんの後に続いた。
クロークに荷物を預け、店員にチケットを渡しドリンク代を払う。
薄暗い室内、一面に落書きされた真っ黒な壁。
こういったライブハウスは、生まれて初めてだ。
未知の空間へと導かれる雰囲気に、次第に気持ちが高揚する。
「けっこう待った ごめんね、中田くんいつもと格好が違うからわかんなくて」
ホールへと続く通路を歩きながら、一歩先を行く中田くんに話し掛けてみる。
中田くんは、前を向いたまま答えた。
「俺は、すぐわかったけど」
「え、そうなの」
なら何で声掛けてくれないの、と思いつつ、同時にあんなに人がいたのによくわかったなって思った。
その後、ホールの手前にあるドリンクコーナーで、中田くんはドリンクチケットと清涼飲料水のペットボトルを引き換え飲み始めた。
早くしないと始まるんじゃないかと焦りながらも、私もオレンジジュースを選んでその場で飲み干す。
ホール内に入ると中は既に満員で、私達は一番後ろの端にどうにか入り込んだ。
ステージはまだ真っ暗だったけど、最後列からでも見渡せるから、前に行くほど客席が低い位置になる造りなんだと思う。
ステージの上には、ドラムやギター、マイクスタンドが整然と並べられていた。
MCのファン達はそこに目を向けながら、期待に満ちた楽しそうな声を、ざわざわとホール中に響かせている。
ひしめき合っているから、私の肩と中田くんの腕がぶつかってしまった。
体が触れたことにドキリとしてしまって、そっと窺うように隣を見上げたけど、中田くんはいつもの無表情でステージに目を向けているだけだった。
その時、入り口から誰かが入って来た。
そこには、派手な色合いの服装に金髪のツンツンヘア、思わず目を留めずにはいられない目立つオーラ全開の男の子がいた。
何処かで、見たことがある。
「あれ、リキじゃん」
男の子は中田くんを見るなり、大きな目を更に見開き、声を張り上げた。
そうだ、この人。同じ学年の、木村くんって人だ。
いつだったか、中田くんと木村くんが仲がいいというようなことを、ユイが言っていた。
学年一目立っている木村くんと地味なイメージの中田くんとじゃ、全く合わない気がしてその時は信じられなかったけど、本当のことだったみたい。
「何なに お前が来るなんて、めずらしいじゃん」
嬉しそうに、中田くんの背中を叩く木村くん。声が大きいから、自然と周りの視線を集めている。
「一人で来たのか 俺も一人だから、誘ってくれりゃあ良かったのに。……っていってもお前ケータイないよな、いい加減持てよ」
木村くんは終始笑みを浮かべていて、中田くんに会えたことが本当に嬉しそう。
「あれ リキのツレ」
その時、じっと木村くんを見ていた私の存在に気づいたみたいで、木村くんはやや驚いた声を出した。
それから食い入るように私を見つめて「どっかで見たなあ」と首を捻り、やがて「あーっ」とまた声を張り上げた。
何かと騒々しい人みたい。
「アゲハちゃんじゃん」
どうして、私の名前を知っているんだろう
「ユースケのやつがアゲハちゃんのこと気に入ってて、いつもうるさくてさ。あ、ユースケって俺のクラスのやつなんだけど。なんだ、リキの彼女だったんか」
「……いや、彼女ではないです」
赤くなりながら小さな声で反論したけど、木村くんには聞こえていないみたいで、「やるな~」なんて中田くんを小突いている。
中田くんはといえば否定もせず肯定もせず、ただ木村くんの声に鬱陶しそうに顔を歪めているだけだった。
「さてと」
ハイテンションだった木村くんが、そこで唐突に落ち着いた声を出した。
それから、にっと意味深げに私に笑い掛けて来る。
「ちょっと、リキ借りてくわ」
言い終わるや否や、木村くんは中田くんの腕を引っ張り、あっという間にホールの外に行ってしまった。
ひしめく人達の中、一人取り残された私。
これからライブが始まるというのに、木村くんが中田くんを連れ出した意味がさっぱりわからなくて、呆気に取られていた。
タイミングがいいのか悪いのか。
そこで辺りの人達が大歓声を上げ、一気に場内が熱気に包まれた。
ステージに視線を移せば、まだ暗いステージ上に、さっきはなかった人影が見えた。
シンバルが数回鳴り、場内を震わすギターの爆音が響き渡る。
同時にステージがライトアップされ、Mar’s Companyのメンバーの姿が鮮明に映し出された。
アップテンポでノリのいいそのメロディーに、皆が一斉に拳を上へ上へと突き上げ始める。
興奮し体を弾ませるファン達の間からどうにか見えたコウ先輩は、肩からギターを提げ、ステージの真ん中にいた。
つい昨日売店の前で話をした人が、今この会場の中心で全員の視線を浴びているのだと思うと、不思議な感じがする。
やがてコウ先輩は、マイクに向かい歌い始めた。
少し高めの、聴いているだけでぞくぞくするような澄んだ歌声。
しっかりと前を見据えた眼差しは、いつもみたいに柔らかくはなく、何処か鋭い。
歌いながら、時々マイクから顔を離しギターを奏でる。
その度に、光の中で前髪が揺れ、細い腕が激しく動く。
時々コウ先輩が笑顔を見せると、女の子達は一斉に悲鳴を上げはしゃいでいた。
Mar’s Companyの演奏を聴くのは、これが初めてだった。
失礼な話だけど、CDを聴いたことすら一度もない。
英語の歌詞を、コウ先輩が驚くほど滑らかに歌っているのにまず衝撃を受ける。
そして歌もギターもベースもドラムも、全てがハイレベルで、私の想像を遥かに超えていた。
とても、彼らが私と同じ高校生だなんて思えない。
初めは違和感のあった場内の熱気も、徐々に肌に馴染んで来る。
人々の熱気に埋もれていると、まるでこの建物丸ごとがリズムに呑まれ、揺さぶられているようだ。
どれくらい時間が経ったのだろうか。
汗で濡れた髪を掻き上げ一息吐いてから、コウ先輩はマイクに向かってこう言った。
「次で、最後の曲です」
「嫌だー」
「コウさーん」
「リョウ~っ」
「終わらないで」
辺りが、一斉に悲痛な声を上げる。
そんなファン達に彼は優しく微笑み掛けると、
「今までとは雰囲気が違うけど、聴いてください」
伏し目がちにそう言い、ピックで弦を弾き始めた。
続いて、ギター、ベース、と音が加わる。
その時、いつの間にか隣に中田くんがいることに気づいてびっくりした。
いつからいたんだろう
というより、初めにいたところからは押されて大分移動してしまったのに、これだけひしめき合っている暗い会場内で私を見つけてくれたことに驚いた。
中田くんはじっとステージを見つめていて、照明が彼の顔を半分だけ照らしていた。
私も中田くんの視線の先に吸い寄せられるように、ステージに目を移す。
その歌は、今までとは打って変わって単調なメロディーで、シンプルな歌詞だった。
そのせいか、心の奥底にストンと真っ直ぐに落ちて来る。
明るいテンポの曲なのに、何処か切なくて。
私はその歌に吸い込まれるように、ステージの上のコウ先輩から目が離せなくなっていた。
なぜかはわからない。
わからないけど、その短い曲に、激しく心を揺さぶられたんだ。
星空広がる 君の上
星空広がる 僕の上
僕らは星に包まれた
君の声に 世界が目覚めた
僕は思った 君が好きだ
誰も知らない 君のこと
誰も知らない 僕のこと
星空だけが知っていた
君の声に 世界が目覚めた
僕は知った これは恋だ
星になろう 星になるよ
君のために いつかきっと君のために
歌い終わり、客席に頭を下げてからステージを去るMCのメンバー達。
暗転したステージ上に、すぐに霰のように降り注ぐアンコールの声。
ふと我に返り、隣にいる中田くんを見上げてみる。
中田くんは、誰もいないステージをじっと見つめたままだった。だけど私の目線に気づいたのか、すぐにこちらを見た。
そして、なぜか少しだけ。
ほんの少しだけ、私に微笑み掛けた。
人々の興奮は絶頂のまま、ライブは終了した。
私と中田くんは、人の波に押されるようにライブハウスから出る。
入場時はまだ明るかったライブハウスの外は、もうすっかり闇に包まれていた。
メンバーの出待ちをしているファン達が溢れ、一向に人が減る気配もなさそうだ。
やっと声が喧騒に掻き消されない位置まで歩いてから、相変わらず一言も喋らない中田くんに声を掛けてみる。
「木村くんは」
「さあ、いなくなってた」
「木村くんと仲いいんだね」
中田くんは少し間を置いてから、「同じ中学だから」と答えた。
スマホで時間を見ると、まだ終電までは随分あった。
このまま帰るのは、あまりに味気ない気がする。
どうしようかと考えながら黙々と駅までの道のりを歩いていると、闇の中そこだけ光を放っている自動販売機を見つけた。
近くにベンチもあり、運良く誰も座っていない。
「今日来てくれたお礼に、ジュース奢るよ」
思い切ってそう声を掛けてみると、中田くんは少しだけ私を見て「うん」と答えた。
中田くんが選んだのはオレンジジュースで、私はストレートティー。互いにベンチの両端に腰掛け、静かにそれを飲む。
一息吐いて見上げた夜空は、雲一つなく星が瞬いていた。
都会の明かりに掻き消されながらも、星達は懸命にその輝きを地上に届けようとしている。
年前、ギターを奏でながら仰いだ星空を思い出す。
その時の夜空に、とてもよく似ていたから。
笑い合いながら、並んで座る私達の前を横切り駅へと向かう人々。
生ぬるい夜風が、私の頬を優しく撫でた。
「ライブ、良かった」
ふいに、中田くんがそう聞いて来た。
「あ、うん、えっと……」
中田くんから話し掛けて来たことに驚いて、返答に詰まる。
中田くんは私の方は見ずに、何処か遠くを見つめていた。
「うん、良かった」
そう答えてからどの曲がどうだったとか、もっと話を盛り上げようと考えたけど、結局今日演奏された曲をあまり覚えていない自分に気づいて焦る。
「あ、そうだ」
やっと思い出し、ホッとした。
「アンコールの前に歌ってた、星空が何とかって歌。あの歌、すごく良かった」
頭上に広がる星空を見上げながら、あの歌詞を思い起こす。
英語がメインのMCの歌の中で、あれだけがシンプルな日本語で異質だったからだろうか、その歌詞はいつまでも心に残っていた。
ふと視線を感じて中田くんを見ると、いつの間にかこっちを見ていた。
黒い瞳が、怖いくらいに真っ直ぐ私を見据え。
そして彼は突然、笑みを浮かべた。
目の端がゆるりと垂れて、唇が緩やかな弧を描く。
それはもう、本当に自然な、邪念のない無垢な笑顔で。
あどけないけど、どこか大人びたような、不思議な笑い方だった。
体が凍り付いたようになり、しばらくの間、中田くんの顔に見とれてしまっていた。
気がついた時には中田くんはまた元の無表情に戻っていて、空を見上げながら、黙々とオレンジジュースを飲んでいた。
─ この胸の高鳴りは、何なんだろう。
地面に投げ出された、長い足。
無造作に、ベンチの上に置かれた大きな手。
隣にいる中田くんの存在を、変に意識してしまって、私は急に軽い息苦しさを感じていた。
それから中田くんとは、ポツポツとだけ会話をした。
口下手な私だけど、中田くんには無理をして話さなくてもいい空気が漂っていて落ち着いた。
あの極上の笑顔を見せてくれてから、中田くんはもう笑ってはくれなかったけど、その無理して笑わない感じも心地よかった。
不思議な人。
本当は誰よりも綺麗に笑えるのに、誰にもそれは見せなくて、ただ話したい時に話して笑いたい時に笑うんだ。
中田くんとは、駅前の自転車置き場の前で別れた。
自転車で来るくらいだから、家はきっとこの辺りなんだろう。
闇の中に消えて行く、モスグリーンの自転車に跨がった中田くんの後ろ姿。
彼は、見送る私を振り返りもせずに行ってしまった。
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