第4話 卒業までの虎!

 翌日の土曜日。

 東子とうこ咲葉さくはは電車に揺られていた。悪虫あくむし先生の最後の謎、〈虎図〉のホンモノを見に行くためである。

 幸いその絵は二人が住む街から日帰りで行ってくることができる場所にあった。JR紀勢本線串本駅より徒歩10分のところにある禅寺の無量寺。その境内に建つ応挙芦雪おうきょろせつ館に〈虎図〉は展示されているのだ。

 護衛役に東子の三人いる兄の一番下、現在高校2年生の北晴きたはるが一緒についてきてくれた。ちなみに柴田兄弟、一番上の兄は西明にしあき、二番目は南澄なずみという。三男の北晴は見た目は悪くないのだが、シャイすぎる。この日も、可憐な咲葉を前にして、緊張のあまり挨拶の声が裏返った。

「ほ、ほ、本日はお日柄もよく……!」

「北にい。そこは『こんにちは』でいいんだよ?」

「あ、そう? あはははは……」

「いえ、こちらこそ、北晴さん、今日はどうぞよろしくお願いいたします」

「あは、あはははは」

「やれやれ、これじゃどっちが付き添いなんだか……」

 それはともかく――

 目の当たりにした虎の絵は素晴らしかった……!


「わぁ!」

「What a beautiful picture!」

「……こりゃ、凄い!」

 本物を前に言葉を失う東子、咲葉、北晴だった。


 〈虎図〉 天明六年(1786)、長沢芦雪ながさわろせつ・画 重要文化財。


 そう、それは計六面からなる襖絵ふすまえだった! 横幅およそ4m、高さ1.8m……

 爛爛らんらんと輝く目、大きな前足にググッと力を込めて今にも飛びかかってきそうな虎!

 悪虫先生の〈謎の虎〉はここにいた……!

 立ちすくんだまま、どれくらいの時間、三人は見入っていたことだろう。

 ふいに咲葉がつぶやいた。

「でも、やっぱり……変だわ」

 吃驚して即座に東子が訊き返す。

「え? 何が?」

「うん、私ね、部室で悪虫先生にこの最後の謎をもらってからずっと、違和感を覚えていたの」

「違和感? この素晴らしい虎のどこが?」

「違う。絵じゃなくて――記してあった言葉よ」

 咲葉は今一度、ココアの箱に入っていたあの紙片を取りだした。


 『この虎のもとは何?』


「ほら、私は帰国子女だから、中学入学が決まって、自分の日本語が変だと笑われないか凄く不安だった。憶えてる? 初めて東子ちゃんと会った頃のことよ」

 一語一語噛みしめるように咲葉は言う。

「だから、変な日本語に敏感なのかもしれないけど――ここに書かれている文章、『この虎のもとは何?』ってオカシクない? しかも悪虫先生は国語教師なのに」

「そう言われれば、その通りだ!」

 兄の北晴も勢いよくうなづく。これが付き添いである彼のその日で一番冷静で賢明な言動だった。

「フツーなら『この虎の絵の作者は誰?』とか『この虎の元絵について調べろ』とか書くよな」

 東子もホウっと息を吐く。

「そうね。確かに『もとは何』って不思議な文だわ。ひょっとしてこの言葉自体に謎が仕込まれている?」

 いかにも推理部顧問・悪虫涼あくむしりょう先生らしい!

「てことは、私たち、もう一度考え直す必要があるのかも」

「せっかくここまで来たのにね……」

 だが、落胆したのは一瞬だ。二人の推理部魂に火が付いた。

「絶対、解明して見せるっ!」

「うん! 自分たちはホンモノの前にいるんだから、どんなに時間がかかってもここ、この場所でキッチリ謎を解いて帰りましょ!」

「えーと、ソレ、し、終電までに、なにとぞよろしくお願いいたしますっ」

 北晴の声は女子中学生の耳に届かなかったようだ。咲葉の差し出した手に東子が手を重ねる。

「〈卒業までの虎〉! 完全解明へ!」

「エイエイオーーーーーッ!」


 『この虎のもとは何?』 


 東子と咲葉は呪文のように悪虫先生の投げかけた言葉を繰り返した。

「もと、もと……」

「もと、もと、元……」

 十数分後、館内で――正確には虎図の裏側の襖絵を見た瞬間、二人は同時に叫び声をあげていた。

「あーーーーっ! これだ!」

「このことだったのね!?」



        *



 3月9日の空はキリリと晴れてどこまでも澄み切っていた。

 春日台かすがだい中学校卒業式当日。

 無事、式を終え、担任の先生と固い握手を交わし、クラスメイト達と抱き合い、肩をたたき、メッセージを交換し、賑やかな別れの涙に目を腫らして――

 柴田東子しばたとうこ左藤咲葉さとうさくはは最後に北校舎3階端の推理部部室へやって来た。

 推理部顧問・悪虫涼先生は待っていた。

 初めて会った3年前、屋上に持ち出していたのと同じパイプ椅子から立ち上がると、これも同じ、輝くように晴れやかな微笑みで二人を迎え入れる。

「ようこそ! 推理部へ!」

「先生、これを受け取ってください」

 まず東子が手作りの額縁に入れた(虎図〉を差し出した。

「まあ、素敵! ありがとう、柴田さん!」

「私は、コレです」

 続いて咲葉が差し出す。こちらも綺麗に飾られた額縁。その中の絵は、三匹の子猫だ。

「では、先生、私たち、先生に与えられた最後の謎について謎解きを披露します」

 二人、声を合わせた後で、まず東子が言う。

「先生の示した虎の絵は正式名称〈虎図〉。描いた絵師の名は長沢芦雪です。この〈虎図〉は襖の六面に描かれた水墨画でした。左が四面、右が二面。先生の示した虎に縦に入っていた黒い線は、だから、襖の枠だったんです。でも、ここまでではまだ完全な答えではありません!」

 咲葉が言葉を継いだ。

「この〈虎図〉の裏側の絵は〈ばらに猫図〉と言います。私が先生に送った額の中の絵がそれです。そして、実は表に描かれている虎は裏の襖に描かれた子猫たちの〈夢〉の姿なのです。小さな猫たちが自分が虎になった、その姿を夢見ている……〈虎図〉は猫の〈夢の絵〉なんです」


 『この虎のもとは何?』


「先生がこの言葉――謎かけで私たちに解かせたかった答えは」

 ここで再び東子と咲葉は声を合わせた。

「私たちは、今は猫だけど、夢を持て。夢を忘れるな。自分の夢をしっかりと抱いてこの推理部を旅立って行け――です」

「お見事! 大正解よ!」

 小さな部室に響き渡る拍手の音。悪虫先生はサッと頬に伝う涙を拭った。

「柴田さん、左藤さん、あなたたちは私の大切な……心から誇れる推理部・部員第1号、第2号です!」

 今度は先生が二人に、やはり手作りの小さな額を手渡した。そこには笑顔の三人が写っている。あの夏の旅行で撮ったものだ。緑の田んぼの前で笑っている先生と東子と咲葉。

 写真をしっかりと胸に抱いて東子が一歩、前に出る。

「私の夢は、いつか、ミステリ作家になることです!」

 息を弾ませて咲葉も一歩、踏み出す。

「私の夢もとてつもない大きな夢です。初めて口に出します。私、アナウンサーになりたいんです。英語力を生かすことができればと思っています」

「大丈夫! 二人とも、その夢、絶対、かなえられるわ! 先生、応援してるからね!」

 先生は笑って二人を抱きしめた。それから、机の前の壁に自分の分の写真――三人の写ったそれを飾る。

「ふふ、先生の夢は、推理部員の写真でこの壁が埋まること!」




 そういうわけで――

 もし春日台中学に入学予定の人で推理小説に興味のある人――あなたですよ、あなた! ほら、ちゃんとこのお話を最後まで読んでくれたでしょう?――そんな推理好きのあなたなら、ぜひ、北校舎3階端、階段前の推理部部室を覗いてみてください。きっと扉は全開のはず。中に入ったら、必ず扉を閉めるべし。スルスルと閉じられた引き戸の裏側。そこに推理部顧問・悪虫涼先生からの(謎〉のメッセージと、初代部員が残した色紙が張ってあります。




 『〈卒業までの虎〉はちょっとマチガイ☆

 

  〈卒業までは猫〉が正しかった!

   明日から虎になる日まで

   私たちは歩いて行く!


   春日台中学校・推理部 

    部員第一号 柴田東子

    部員第二号 左藤咲葉      

 

         2018’ 3’ 9      』

  



 

  《卒業までの虎~推理部の二人・東子と咲葉~》 FIN


☆おつきあいくださりありがとうございました!


〈虎図〉をご覧になりたい方はこちらです!


http://www.dnp.co.jp/denshoubi/works/fusuma/m01.html

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卒業までの虎!~東子と咲葉・推理部の二人~ sanpo=二上圓 @sanpo55

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