第3話 最後の謎解き

 二人は駆け寄って引き戸を閉めた。スルスル……

 これも三年前のあの日と同じ。扉の裏側に張り紙があった。


  〈 遅いぞ、やっと気がついたな?

    春日台中学推理部の諸君!

    これが君たちに贈る最後の謎だ。

    まずは、その謎を記した伝言が何処に隠されているかを捜せ。

    それは『心が安らぐチョコレートの中』にある 〉


「またぁ!?」

「先生、パターンがいっしょ!」

 呆れつつも、満面の笑顔で行動を開始する推理部の二人。

「てことは――」

 早速ロッカーを開ける東子とうこ。そこにはスーパーの白いポリ袋に幾種類ものチョコが入っていた。

 中央の机に並べる。

「むむむ? チョコは見つけたけど、どれだろう? 『心が安らぐチョコ』――ってか、一つ食べてもいい?」

「わかったわ!」

 じっとチョコの山を見つめていた咲葉さくはが手を叩いた。

 咲葉は机のチョコではなくクルリと背を向けて、ロッカー横の小机の上、電気ポットの横のお盆に視線を走らせる。部活特権のお茶会セット。紙コップ、ティーバッグが詰まった紅茶缶、ココアの缶、コーヒーやラテのスティックタイプの紙箱もある……

「これだ!」

 咲葉が手に取ったのはココアの缶だった。

「その根拠は?」

「うん、日本ではココアだけど、英語ではホットチョコレートって言うのが一般的なの。ホットチョコレート……ホット(する)チョコレート……」

「だから、〈心が安らぐチョコレート〉? ダジャレかい!」

 東子の突っ込みはさておき――

 缶の中には折りたたんだメッセージが2枚入っていた。


  〈 よくやった! 

    だが、ここまではウォーミングアップに過ぎない。

    ここからが本題だ。

    『この虎のもとは何?』

    この謎を卒業までに解け!

    見事に解いて、卒業式後、この部室で会おう!〉


 もう一枚は虎の絵だった。息を呑むようなダイナミックなタッチの虎がモノクロで描かれている。

 勿論、東子も咲葉も始めて見る虎だ。



「…この虎・・・の?」

「……もとは何・・・・って? 」

 紙片に顔を寄せ、つくづく見入る東子と咲葉。

「それにしても、凄い迫力の虎だな! 今にも飛びかかってきそう」

「だから、おりに入れられてるんじゃないの? ね、この、虎の上を走る黒いラインは檻の棒に見えない?」

 確かに、虎の絵には数本の黒い縦線が入っていた。

 だが、咲葉の指摘に東子が小さく首を振った。

「うーむ、私の推理としては――この絵はマンガから切り取ってきたんじゃないかな?」

「どうしてそう思うの、東子ちゃん?」

「〈色〉だよ。黒一色といえばマンガだもの。それにこの大胆で迫力あるデフォルメの仕方もマンガならではと思わない? となると、縦に虎を分断する黒い線はマンガの枠線かも」

「じゃ、そのセンで調べてみよう!」


 そう言うわけで、早速二人は悪虫あくむし先生からの最後の〈謎〉、モノクロの虎の絵を持って咲葉の家――正確には咲葉の父方の祖父母邸へ直行した。中学から2分もかからない住宅地にあるから入学以来、東子はしょっちゅうお邪魔している。咲葉の祖母はお客をもてなすのが大好きでいつも美味しいお手製のお菓子を出してくれる。二人はこの祖母が大好きだった。勿論、祖父も大好きだ。ちなみに祖父は歌が上手い。往年のミュージカルソングを歌って聞かせてくれる。今日はマイフェアレディの『君住む街角』とキャッツの『メモリー』を歌い上げたところで――

「ありがとう、おじいちゃん、素晴らしかったわ! それじゃ、私たち、ちょっと調べものがあるから――」

 やんわりとお引き取り願おうとした。

「いや、遠慮するな、咲。もう一曲、とっておきの名曲を――」

 ここでナイスタイミングにドアが開く。

「はーい、おじいちゃんを引き取りに来たわよ! ついでにおやつの差し入れ。今日はね、ラング・ド・シャよ! お紅茶も一緒にどうぞ!」

「わあ! ありがとう、おばあちゃん!」

「いろんな意味で助かりますっ、ありがとうございます!」

「おい、おい、俺はまだ歌えるのに――ん?」

 お菓子のお盆を置いた机の上、広げてあった例の謎の虎の絵を見て祖父がうなった。

「凄い虎だな!」

「そうだ、おじいちゃん。おじいちゃんの年代ってマンガに詳しいよね? この虎の作者が誰かわかる?」

 ハッとして咲葉が尋ねた。祖父たちこそ手塚治虫や石ノ森章太郎、赤塚不二夫、水木しげる、横山光輝……今やレジェンドとなった漫画家たちが現役で活躍した時代に育った世代だ。何か知っているのではないだろうか?

 だが、祖父からの答えは意外なものだった。

「いや、これはマンガじゃない」

「え?」

 祖父は右眉を吊り上げた。得意な時にやる表情だ。

「咲の言う通り、俺たちはマンガ世代だからこそ、一目でわかる。漫画はペンで描くがこれはどうみても筆――こりゃ、水墨画だよ」

「つまり? この絵は日本画ってこと?」

「だろうな。絵師の名まではわからないが、間違いなく日本画だ」

「さあさあ、若い女の子の邪魔はそのくらいにして、行きましょ、あなた」

 おいしいお菓子を差し入れてくれた祖母、自慢のミュージカルナンバーを聞かせてもらい、それ以上に、今日は重要な情報を提供してくれた祖父を丁重に送り出した二人。咲葉が自室のドアを閉めるや東子は仁王立ちになって言った。

「この私たち最後の謎解きを《卒業までの虎》案件と命名しましょ! 絶対、卒業式までに解明するって意味だよ」

「了解!」

 咲葉が右手を出した。その上に東子が右手を重ねる。これが、東子と咲葉、推理部二人の始動の儀式なのだ。

「《卒業までの虎》! 調査開始!」

「エイエイオー!」


 先刻の祖父の言葉から〈日本画〉の虎の絵についてパソコンで徹底的に――但しお菓子は食べながら――検索を開始する。おかげで二人は虎図に関してはちょっとしたマニアになった。

「虎の絵は室町時代辺りから描かれ始めた……」

「現存する日本最古の虎の絵は水墨画の屏風絵で単庵智伝の〈龍虎図〉……16世紀なんだね?」

「へー、面白いな! 江戸時代でも、絵師は虎を実際には見たことがなかったとはね!」

「猫を参考にしたから体がヘンテコなのね? 言われてみれば先生の示したこの虎も体つきはおかしいよ。でも、顔は凄い迫力だわ。ガオー!」

岸駒がんくという絵師が寛政十年、中国商人から虎の頭蓋骨を入手し、これに虎の皮を被せて写生したって! この人、凄い執念だよ。その後、虎の手足の剥製も入手してリアルな虎を描こうとした。でも、手に入らなかった胴体部分は相変わらず想像で描いてた……」

「ぷぷ」

 お菓子を齧りながら突然噴き出した咲葉を東子が振り返る。

「何? どうしたの、咲葉?」

「あ、ごめんなさい。この、おばあちゃんが焼いた今日のお菓子――ラング・ド・シャって、フランス語で〈猫の舌〉って意味なんだよ。ナイスだなぁ、と思って」

「アハハハ、これで〈虎の舌〉だったら三枚分くらいの大きさだな!」

 バリバリッ! 実際、三枚一緒に頬張る東子。とろけるような声で、

「大満足~~それにしても美味~~~猫の舌」

「お代わりもらってこようか?」

 こんな調子。調査なのかおやつタイムなのか……

 だが、女子中学生をあなどるなかれ。この日のうちに二人は悪虫先生から渡された虎の絵が、誰が描いたものか、ズバリ見つけ出したのだ。

 作者の名は長沢芦雪ながさわろせつ。江戸時代中期の絵師で円山応挙まるやまおうきょの弟子である。応挙もたくさんの虎を描いているが芦雪の虎は師を上回る大胆で奇抜、奔放な虎だと人気を博した。その代表作が〈虎図〉だっだ。

 元絵が判明すると、虎の体の上の黒い線の意味もわかった。

「ああ、なるほど!」

「そういうことだったのね?」

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