第6話 彼の話(土星の環)
その男性は、天文台とこの図書館との合同企画である、土星観察会の特別展示を食い入るように見ていた。そして、小さくため息をつくと踵を返し、図書館からでていった。私はその後ろ姿をしばし見送った。
もう二度と会うことはないと思っていた彼、2年前に別れたコイビト。あの日、ほんの数十秒の電話を最後に私は、彼の前から姿を消した。会社を辞め、携帯を解約し、住所を変えて。
会社を辞めたのも、引っ越したのも彼のせいではない。実家の両親が相次いで入院したためだ。父は、事故で、母は持病が悪化して、頼りとする兄は、転勤で家族ごと遠方にいた。動けるのは私しか居なかったのだ。会社にその旨を告げ、退職の届けを出した時、休職扱いにしてくれると言ってもらえた。しかし、その時は、父も母も予断を許さない状況だった。休職しても戻れない可能性の方が多かった。だから、会社を辞めて、実家に戻り両親の看病にあたった。
半年後、両親は奇跡的(と医者は言う)に回復し、兄一家も、再びの転勤で実家のある市に戻ることができた。敷地に離れを建て、両親の隠居所にして今は、同居している。私は行き場を失った。
結果論として、休職扱いにしてもらっていれば、復職できたのだが、すっぱり辞めてしまったのでどうもこうもできない。兄は、ダメ元で復職願をだしてみてはとアドバイスしてくれたが私は、いっそさっぱりできてよかったと思っている。仮に戻れたとしても、彼とどうすればいいのかわからなかったから。
その後、私は大学の科目履修講座を受け、司書と学芸員の資格をとり、図書館か博物館で働くための求職活動を行った。そして運良くこの複合施設に併設された市立図書館に就職できた。それから1年、彼を忘れ、昔からの夢だった、”図書館で働く人”になり、充実した、穏やかな日を過ごしてきた。そのはずだった。3週間前、彼がこの図書館に現れるまで。
あの日、私は、図書館入り口正面の中央カウンターで本を探している女性利用者の対応をしていた。女性は、2週間ほど前の新聞の切り抜きを持参し、その記事についての参考文献などを探していると言うことだった。この要望に応えるのが、図書館におけるレファレンスサービスで、図書館司書の腕の見せ所である。女性の話を聞いている途中、正面入り口から入ってきた男性が、呆然と立ち止まるのが目に入った。男性は、すぐ気を取り直したように雑誌閲覧コーナーに向かって歩き出した。私は、目の前に居る女性に意識を向け直し、カウンターサイドのレファレンスサービス席に彼女を案内し、椅子に掛けてもらいレファレンスを続けた。
女性の要望、新聞の切り抜きから得た情報をもとに、業務用PCで検索し、いくつかの参考となる文献をピックアップし、館内からそれらを回収する。そのとき、雑誌閲覧コーナーの方をみて、心臓が跳ねた。さっき来館した男性、あれは、2年前に別れた(ことになる)元カレだった事に気がついた。
ナゼコンナトコロニイルノ。
自分の職場をこんなところにというのもあれだけど、かつての会社の所在地とは全く違う土地にある図書館にいきなり現れたりしたのだから驚くのは無理もないと思う。
ドウシテ…?
深呼吸して、落ち着いて、考えてみた。今日は平日で、彼はスーツで、スーツケースとかパソコンバッグとか持っているわけだから、仕事でこのあたりに来たんだということが推測できた。ここは、駅の複合施設、恐らく特急の時間待ちなのだろう。そうか、あの会社このあたりに、客先を持ったんだ。
そして、彼は、多分私に気がついたのだ。あの頃とは、全く違う姿になった私に。どうする…。正直、逃げ出したくなったが、今は、仕事中、私は、必要な本を抱えて、待っている女性の元に戻った。
女性の前に本を置き、1冊づつ説明をしていく、その間、彼の視線がこちらに向いているのがわかった。見られている、間違いなく。
女性は、集めた本の中から3,4冊借りていき、残りの数冊の一部のコピーを希望した。
コピーと、貸し出し処理を終えた本を女性に渡すと、彼女はお礼をいって帰って行った。私は、業務用PCに、レファレンスの内容を打ち込んだ。その間も、彼の視線を感じていたが気がつかないふりをして、作業が終わるとバックヤードに移動した。丁度シフトの休憩時間に掛かろうとしていたのでそのままカウンターには出ないようにした。電車待ちの時間つぶしだろうから、30分もしたら出て行くだろう。それで終わりだ。そして、事実そうなった。
次の日、特別展示コーナーに展示する資料やパネルなどの準備をしながら突然現れた彼のことを考えた。何故、よりにもよって、今年、今なんだろう。皮肉なもんだ。2年前、彼に否定された天文ショーが今年観測できる。土星の環が消えるのだ。あの時、彼はなんと言ったんだっけ。そうだ、
『そんなことは、今まで聞いたことがない』
だ。私が、観測したことがあるといったら、
『夢でもみたんじゃない、それとも関係ない星と取り違えてるとか』
といった。ネットで国立天文台のサイトを見れば紹介されているというと、
『そんなことにムキになるな』
といれわれそれ以上会話にならなかった。それだけではなく、
『知識をひけらかすのはみっともないし、間違ったことを指定されて素直に聞かないのも可愛げがないよ』
といわれたんだっけ。悲しかった。時間がたった今、私、ほんと馬鹿だったと思う。でもあのとき、恋に堕ちていた。どうしようもないくらい。
知り合った切っ掛けは、会社の飲み会で、それから、挨拶を交わすようになり、ランチにいって、夜のみに行って、休日会うようになってと段階を踏んで、その間ずっと押されていて、恋愛に免疫のない私は翻弄された。最初は、かわいいと言ってくれた私の言動をそのうち、可愛げがないねと否定されるようになった。もう、長くは続かない、これ以上は耐えられなかった。
その時、両親に起こった災難で私は会社を辞めざるを得ない状況になった。せめて最後直接会って終わりにしたいと思い、電話をした。最後に会いたいと言うつもりで。でもそれすら言わせてもらえず私たちは終わった。
彼は、またここに来るだろうか。その時、この特別展示を目にするだろうか。そもそも、土星の話を覚えているだろうか。きっと覚えてないだろう。そんなことを考えながら私は特別展示の準備を終えた。
※※
踵を返して去って行った彼の後ろ姿を見て、彼が土星の環の話を覚えていたか思い出したのがわかった。多分、彼は、もうここには来ない。これから何度も仕事でこの駅を利用することになるだろうが、私がいるこの図書館には来ないだろう。
私たちは、本当に終わったのだ。
あ・ら・か・る・と 花野屋いろは @hananoya_iroha
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。あ・ら・か・る・との最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。