醜女の遺書

大家一元

 世界で一番愛しくて、世界で一番呪わしい貴方へ。


 私の死は貴方には随分突然のことに感ぜられ、また甚だ疑問に思われるかも知れませんが、私は随分前からいつ死ぬか、どう死ぬかばかりを考えて日々過ごしておりましたので、私からすれば寧ろ、なぜ今まで生きていたのかが不思議でならないのです。


 全く私の人生はお笑いです。こうして死に臨んでも、さしあたって大げさな悲しみも絶望もありはしません。

 ですから貴方も私の死を哀しんだり、自責の念に苛まれたりなどせず、どうぞ変わらず、笑ってお過ごし下さいませ。


 思えば私が貴方の中でどれくらい大きな部分を占めているのか、私の死が貴方にどれだけの影響を与えるのか。その心配だけが、私を生に縛り付ける留め金となっていたのかも知れません。

 そういう意味ではこんな私にも、たとえ人並み以下ではあっても、一応の人情というものは備わっていたのかも知れません。


 人情。これは全く、不可解な言葉です。


 魚を殺したり木を刈り取るのに何の疑問もなく、犬や猫を去勢して狭苦しい檻に閉じ込め飼い殺しにしながら「可愛い、可愛い」と言って愛撫し、挙句同類たる人間であっても、醜く、多少なりとも集団と異なる特徴を持つ者……例えば私のような者ならば、あらゆる罵詈雑言を吐きかけて虐め殺したとしても、多くの人は何ら良心の呵責に苛まれることもなく、健やかに生きている。

 そういう人が、世間がこぞって人情、人情と口にして憚らない。全く可笑しな話です。


 でも、そんな世の中で貴方は、こんな私を拾い上げ、救おうとしてくれた唯一の人でした。

 この、化け物のように醜い顔も、痩せこけて骨の浮き出た悍ましい体も、ためらい傷でボロボロになった手首も、全てを愛し、慈しみ、抱き締めてくださった。


 外見同様に中身も醜い私は、散々奇行を働いては貴方を困らせ、他の食客を恐れさせましたが、それでも貴方は私をお見捨てにならなかった。


「君には人と同じ価値がある」、「生まれた意味を一緒に探そう」、と。


 ですがはっきり言って、私は貴方と出会ってからと言うもの、朝から晩まで幸せだと感じられた日など、一日たりともありはしませんでした。


 私の頭は決して良くはありませんが中途半端に働くので、人の悪に敏感です。世間の悪にも敏感です。


 他の食客から迷惑がられ、気味悪がられ、陰口を叩かれながら、作り笑いの優しさを向けられ、そんな中、時折姿を見せる貴方に「幸せかい?」と問われて、嫌悪してやまない者たちから真似た、覚えたての作り笑いを浮かべて「ハイ」と答える、あの惨めさたるや。


 私は嘘が嫌いです。嫌なものは嫌だと言う。黒いものは黒いと言う。しかし他の食客はそうではない。「なぜそんな余計なことを言うの」というのは、私が、貴方に拾われる前から散々人にぶつけられてきた言葉です。


 余計なこと、果たしてそうでしょうか?

 世間の誤魔化しに対し、「これは誤魔化しだ」と声を上げる私の善意を、人は恐怖のために悪意だと断じて逃げているだけではありませんか。


 夫の暴力に苦しみながら、時折くれる抱擁に絆されて「あの人は悪い人じゃない」と涙ながらに語る馬鹿な女と、重税と貧苦に喘ぎながら、時折誰かが気まぐれに見せる善行に絆されて「世の中捨てたもんじゃない」と肩を抱き合う大衆に、一体何の違いがありましょう。


 結局人は、いや人を含むあらゆる動物は、程よく鈍感で、程よく馬鹿でなければ、幸せではいられないのです。全く世の人は、去勢された飼い犬に等しい。


 しかしこんな私でも、頬を張られれば痛むし、侮辱には傷つくし、腹が減れば食うし、寒くなればコートを着る。そして優しくされれば、愛してしまうのです。


 そう私は、貴方を愛してしまいました。


 時折訪れる貴方は、私の作り笑いをしばしば目ざとく見抜きます。そして言葉をかけてくださる。「悩みがあるなら言いなさい」、と。


 言えるはずがないではありませんか!

 貴方は美しく、賢く、裕福で、しかも世間一般に言われる善徳の、全てを持っている。その気になれば貴方を眩い目で見る女の全てをモノにできる。


 対してこの、見た目も中身も醜く貧しい私にあるのは、世間一般の価値観に照らせば、中途半端な知恵と、こうした「皮肉」の才能のみ。

 人並みに美しくもなく、優しくも賢くもないのに、なぜ人を愛し、人に執われ、人に欲情し、人を憎んでしまうのか。全く可笑しくって可笑しくって、もう生きてはいられないのです。


 いっそ犬に生まれていれば、妻と子を愛でる片手間の愛撫と、延命に必要な栄養のみを詰め込んだ不味い餌に満足し、ほんの十数年、己を騙して食って、寝て、去勢された体が勝手に朽ちてゆくのを待つのも悪くはなかったのかと、思った日々もありました。


 ですが驚いたことに、犬も利口が過ぎると自殺をするのです。


 この橋では、犬がよく自殺するそうです。私もそれに倣います。


 世間は私の骸に群がり、腹を抱えて笑うでしょう。「犬が自殺する橋で、汚い醜女が自殺したぞ!」、と。


 どうぞ貴方も、その列に加わって下さい。

 悲しんだり、自責の念に苛まれたりしないでください。貴方の欠点を唯一上げるとすれば、無垢に過ぎること。

 どうか私の死を通じて、どうあっても救えない命はある、どうあっても救えない魂はあるのだと、それだけでも知って頂ければ幸いです。


 そうしてまた一つ強くなり、輝きを増し、誰かの天使になってやって下さいませ。


 今までどうも、お世話になりました。世界で一番愛しくて、狂おしいほど憎らしい貴方。


 貴方は、私の中で大きくなり過ぎた。



 以上、名もなき醜女。

 犬の橋にて。

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