蛟と人柱

陽月

蛟と人柱

 喉の違和感から、咳き込む。それが、意識を取り戻すきっかけとなった。

 少女はまだ、自分がおかれた状況を理解できていなかった。


 固い地面にそのまま寝かされていた。木の床ではなく、押し固められた土か岩の上。

 大きな布が一枚かけられていたが、他は何も身にまとっていない。

 片手で布を押さえ、上半身を起こす。濡れた髪が、背中に張り付いてきた。

 周りは薄暗いと言うべきか、ほのかに明るいと言うべきか。

 四畳半ほどの広さの円形のその場所は、壁の下の方がわずかに青白い光を放っていた。


 再び、咳き込む。この違和感はなかなか消えてくれそうにない。

「気がついたか」

 しわがれた、低い声が聞こえた。なんとなく、喋りにくそうに感じた。

 どこから聞こえるのだろうかと、辺りを見回す。

「ここだよ」

 声の主を認識して、少女はびくりと体を硬くした。それは大きな蛇だったから。

 壁が光っていると認識していたのは、本当はこの大きな蛇の体で、自分はその蛇がグルッと囲む中にいたのだ。

 恐ろしさで、声は一切出なかった。


「なんだい、助けてやったのに。取って喰うならとっくに食べているよ」

「あなたが助けてくれたんですか。ありがとうございます」

 礼を言われ、蛇は少し機嫌が良くなったようだった。

「何があったかは覚えているのか? その縄の跡はなんだ」

 押さえていた布と体の間に少し隙間をあけ、見てみれば、胸の上の辺りと腰に縄の跡がある。

 そうだ、私は人柱だったのだ。


 少女の住む集落の近くの川は暴れ川で、何度も橋を架けては流されてきた。

 そこで、今度こそは流されないようにと、人柱を立てることになった。

 どうやって人柱の人選が行われたのかは、知らない。彼女が選ばれた、それが事実だった。

 三日にわたる清めの儀式を終え、橋脚となる木に縄でくくりつけられた。そして、川の中へ。

 最初こそ息を止めていたものの、そう長く持つはずもなく、水を飲み、意識を失った。


 少女は、思い出しながら、自分が川で意識を失っていた理由を蛇に伝えた。

「そうか、立ててすぐの橋脚を壊したって事か」

 蛇は分かったようだが、少女は何のことか理解しかねていた。

「ここに戻ろうとしていたんだけど、また邪魔なものができてたから、体当たりして壊してやったのさ。そしたら、流れてるあんたを見つけて、命はあるようだから助けてやったのさ」

 少女が意識を失ってから、まだ助かる間に壊されたのだから、本当にすぐに壊されてしまったのだろう。

 人柱とはなんだったのだろうか。こうして生きているから、効果がなかったのだろうか。


「今までも、あなたが橋を壊していたのですか」

「邪魔なものをどけていただけだよ。人間の道に川が邪魔だから橋を作るだろう。その橋がワシの道に邪魔だから除くだけさ。同じ事なんだよ」

 それもそうかとも思うが、それでも納得はできなかった。

「橋がないとみんなが困るんです。ですから、壊さないでください」

 蛇がシュルシュルッと舌を出した。まるで笑っているかのようだ。

「橋があるとワシが困る。だから建てないでもらいたい。人が道を切り開くと、その道に分断される動物が困る、だから道を切り開かないで欲しい。人はその願いを聞くのか」

 少女は頭を横に振った。

「同じ事だよ。人間は人間のことしか考えないのだから、ワシはワシのことしか考えない」


「ですが、それだとまた人柱にされる人が出ますから」

「そうか、ならすぐに壊してやらないとね」

 少女には、蛇がおもしろがっているように感じられた。

「何人も何人も人柱なんて関係ないことを知らずに、死ぬことになるんですよ」

「人柱が上手くいくという話が広がれば、どこでも人柱を立てるようになる。それこそ何人も死ぬことになるだろ。ここで、5人で済むか、10人かかるかは分からないが、人柱が無意味だと分かれば、それで終わるだろう」

 理屈ではない。遠くのどこかの誰かより、少女が幸せに暮らして欲しいと願う人がその5人の中に入るかもしれないことの方が大事なのだ。


「蛇さんは冷たいんですね」

「ワシは蛇ではない、みずちさ」

 そう言って、蛟は体を起こした。少女にも、蛇にあるはずのない、4本の足を確認することができた。

「蛇が長く生き、霊力を溜め、蛟となる。だからこそ、こうしてあんたと会話ができる。一緒にしないでもらいたい」

 どうやら、蛇というのはいってはいけない単語だったようだ。

「ごめんなさい、蛟さん」

 蛟は、改めて足を折り畳み、もとの体勢に戻る。

「それに、冷たいのはあんたの方だろ。自分の周りしか考えていない」

 それ以上何か言うことはできず、少女は押し黙ってしまう。


「さて、あんた自身の話だ。どうしたい」

「家族の所へ戻りたいです」

 反射的に答えていた。

「いいのか、それで。人柱を立てた橋脚が壊れたのに、人柱が戻ってくる。何か細工をしたんじゃないか、だから橋脚は壊れたのではないか、そういう話にならないか」

 そうなるであろう事が想像できた。おそらく、戻らなくても人柱の効果がこうもなくては、家族は居心地が悪いだろう。

「川下のどこかの集落の近くの川縁に」

「わかった」


「着物は、あなたが持ってくれているのですか」

「ああ、濡れていたので、そのままでは体温を奪われるだろうと脱がした」

「返していただけますか」

「ああ、乾くまでまだ時間がかかるが」

 そこまで言って、今すぐにだということに気付いた。

「まだ濡れているが」

「どうせ川を通るなら濡れますから」

 少女は、すぐに出発するつもりでいた。


 着物を受け取り、蛟にはよそを向いてもらい、肌にまとわりつく着物を身につける。

 早く選択肢をなくしてしまわないと、決心が揺らぎそうだった。

「それでは、お願いします」

「背に乗り、しっかりと捉まっていることだ」

 蛟の側まで行く。これに乗るのかと思うと、それはそれで勇気が必要だ。

 まずは、左手の平で、触れてみる。ひんやりとしているが、嫌な感じはしない。

 よじ登り、腕と足で太い胴体抱え込む。

「お願いします」

「すぐだから、ちゃんと息を止めるんだよ」


 少女を指定の場所に置いてきた帰り、あの娘は「殺してくれ」とは言わなかったなと、思っていた。

 言ったなら、食べようとして「生きたい」という言葉を引き出してやろうと、考えていたのに。

 人柱に決まり、一度は死の覚悟をしたとはいえ、自分が生きたいのだということは、きちんと分かっていたのだろう。

 まあ、後は勝手に生きればいいさ。


 ただ、気まぐれに助けた少女を生かすのと、橋を壊して死人が出るのと、それはまた別の話なのだ。

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蛟と人柱 陽月 @luceri

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