第2話 遭遇する地獄変

「は~終わった~」

 リョウは大きく伸びをした。塾が入るビルを出ると、すっかり暗くなっていた。

「あ、コンビニ寄ってこーぜ。アイス食べたい」

「わかった」

 リョウの誘いに、アズマは快く乗った。見た目に似合わず甘党なのだ。

 コーンアイスを買って、食べながら歩く。同じ銘柄を買ったはずなのに、アズマの方がはるかに小さく見えた。

「そーだ、ミーちゃんは元気?」

「ああ」

「この辺だったなぁ、ミーちゃんを拾ったの」

 リョウはしみじみと思い出していた。



 一年あまり前、高校に入学したての頃だった。

 雨の夕方、あたりはひどく暗かった。リョウは帰宅する途中だった。そしてこのあたりで、リョウはアズマと出会った。

『あの……大丈夫ですか?』

 アズマが傘もささずに道の端でうずくまっていた。制服が同じ高校のものだったので、リョウは思わず声をかけた。ぬっと立ち上がったアズマを見て、リョウは一瞬後悔したものだった。

「おっきかったなー。もう壁かと思ったよ」

 リョウはアズマを見て、すぐ〈鬼番長〉破鍋東だと思い至った。入学式の日からすでに、悪名と武勇伝が噂となって校内を駆け巡った人物だ。

 思わずすくんだリョウに、アズマはぶっきらぼうに両手を突き出した。

『……どうしたらいい?』

 アズマの手の中に、小さな小さなネコがいた。

「しかしネコを拾うとかベタベタな展開だったよな!」

「何だ、その展開というのは」

 リョウはすぐ事情を呑みこみ、アズマとともに自宅へ急いだ。まだ乳飲み子のネコは、幸い風邪をひいたふうもなく元気だった。

 リョウの家は、昔からネコを飼っていた。扱いはわかっている。保温やミルクの与え方をアズマに教えた。いかつい大男が、とまどいながら哺乳瓶を傾ける。それを見て、リョウはすっかりアズマを見直していた。

「怖いのは見た目だけ。ホントはフツー以上に優しくて、ちょっと不器用なだけだって」

「…………」

「あれ? ナベさん、照れてる?」

「なぜ」

「へへっ」

 そしてそのネコは、アズマの家に引き取られた。アズマはそれからも何かと相談をもちかけ、リョウもいろいろとアドバイスした。二人は三か月と経たずに、ネコ以外のことでもつるむようになった。

 親友と呼べる仲になった。

 それが二人の始まりだった。



「リョウが来てくれてよかった。この辺りは人通りが少ない。あのとき通らなかったら、どうなっていたか……」

 まだ建築中のスーパーマーケットの横を通る。高い足場を覆うシートが、駐車場予定の空き地の向こうに見える。

 ぼんやりとした街灯が、チカリチカリとまたたく。

「ここ、いつまでたってもできあがらねーなー。まわりも暗いし」

 周囲はビルが多いが、テナントのないなかば無人の建物ばかりだ。不況のせいなのだろう。

「ん?」

 二人は足を止めた。

「何だ?」

 街灯の光の下に、何かが立っていた。人影と思ったが違う。

「寝袋が立ってる……?」

 まぬけな感想が口をついて出た。手足のない、人型の袋に見えた。

「……バカな」

 アズマの表情がこわばる。十数人の不良に囲まれても平気だった彼が、額に汗をにじませている。

「リョウ、下がれ!」

「うわっ、何!?」

「逃げるぞ!」

 アズマがリョウの首根っこをひっつかむ。今来た道を引き返そうとして――。

「あだっ!」

 見えない壁にはじかれた。リョウは思い切り尻餅をついた。

「な、な、な……!?」

「もう結界が……生じたのか!」

 アズマに腕を引かれ、リョウはなかば強制的に立たされた。振り返る。

「…………!?」

 影が増えた。よく見れば、汚れた包帯のようなものでグルグル巻きにされている。

「クキキキキ……」

 ビリ、プツ、と包帯が切れる。ゾンビのような口元があらわになる。

「ピギャアァアァァァア!」

「バ、バケモノ――!?」

 リョウは叫んだ。

 バケモノの口には、無数の牙。包帯をひきちぎって現れた手足はねじくれ、皮膚はただれている。指先には汚いカギ爪がある。ゾンビ映画か災害ハザード映画に出てくる、モンスターに似ている。

「や、やべえ、何かやべえよ。ナベさん、逃げよう!」

「無駄だ。結界が生じている」

「ケッカイ……?」

 アズマは落ち着いているように見えた。しかし眉間に深くシワが寄っている。

「なぜだ……なぜリョウまで」

 アズマはブツブツ不可解なことをつぶやく。

「そ、そうだ、携帯! 助けを……」

 リョウはあわててバッグをあさる。そして電源を入れて――。

「圏外!? 嘘だろ、街のド真ん中だぞ!?」

「リョウ、隠れていろ」

「え、なに」

「隠れてろ!」

 路上駐車した軽自動車の陰にリョウを押し込み――アズマはバケモノの中に飛び出した。

「臨メル兵、闘フ者、皆、陣列シ前ニ在リ!」

 アズマが呪文とともに、両手をさまざまな形に組み替える。するとその両手の中に光が生まれた。光はアズマの両腕に広がる。まるで炎に包まれているようだった。

「ナベさん!」

 リョウは顔を出しかけた。その途端、ビシャ! と血が飛んだ。

「ひっ」

 あわてて顔を引っ込める。自動車のガラス窓ごしに、様子をうかがう。

(何だよこれ、何だよ!?)

 リョウは混乱した。

(何で戦ってんだよ!?)

 目の前の光景が、信じられない。

 アズマの巨体が舞いあがり、バケモノを屠る。光に包まれた腕を振るう。引きちぎり、叩き潰し、蹴り飛ばす。バケモノたちは徐々に肉塊になる。

「ナベさん……!」

 混乱しすぎて泣きそうだ。血の臭いに耐えられず、口で息をする。吐き気がして、それを押さえるだけで精いっぱいだった。

「グピピピピ……」

 いつの間にか、リョウのうしろにバケモノが回り込んでいた。ゲームで見たゾンビ系モンスターにそっくりだった。

「キシャアアアアアアッ!」

「うわ、うわわ――ッ!?」

「リョウ!」

 リョウは車の陰から飛び出した。ゾンビが追いすがる。

「離れろ!」

 アズマが、拳を振り下ろす。ゾンビの背骨が折れる。下半身が動かなくなり、上半身だけがカサカサと悶えた。

「うわ、うわ、うわ」

 もはやリョウは意味のないことをつぶやくばかりだ。

「リョウ、落ち着け。俺のうしろにいろ!」

 アズマはそう言うと、結界という壁と、自分という壁のあいだにリョウをはさむ。襲いかかるゾンビを投げ返し、リョウをかばう。

「くっ……」

 アズマは動きを封じられたも同然だった。しかし、確実にゾンビの数を減らしていく。

「ナベさん! 右! いや左から!」

「わかっている!」

「数が減ってきた! 逃げよう!」

「駄目だ!」

「な、何だぁ!?」

 ごぱ、といきなり地面に大穴が空いた。赤黒い光を放ち、熱と異臭が噴き出してくる。

 ゾンビたちはまるで小虫のように逃げる。逃げきれなかった者は、穴の中に呑みこまれる。

「来る――!」

 アズマが額に汗をにじませた。

 熱の渦の中から、巨大なバケモノが姿を現した。土気色の肌、禿げあがった頭、でっぷりと出た腹――日本史の教師が教えてくれた、餓鬼の姿にそっくりだった。

「うわ、わ、わ……!」

 餓鬼は自身に絡みついている包帯をブチリブチリと引きちぎる。まるでわずらわしいものから解放されるように。

「オオオオオオオオオオオオォンッ!」

「リョウ!」

「うわああっ!」

 アズマはリョウを担ぎ、飛んだ。餓鬼の巨大な拳が、今いた場所にめりこんだ。

 餓鬼のパンチが飛ぶ。アズマがかわす。飛ぶ。かわす。リョウを守るため、アズマはまるで鳥のように跳躍した。

「ナベさん! オレにかまわないで!」

「しゃべるな……うおっ!?」

 何度目かのジャンプに、餓鬼が反応した。アズマの足を空中でとらえる。

「しまっ――ぐわッ!」

 地面に叩きつけられる。めりこみそうな勢いで、アズマは這った。リョウはその直前、アズマが突き飛ばすように解放したため、尻を打っただけで済んだ。 

「ナベさん!」

 リョウはアズマに駆け寄った。

 地に這ったまま、アズマは拳を握りしめた。すぐには起き上がれない様子だ。

「オオオオオ……」

「あ、あ……」

 目の前に、餓鬼が迫る。その周囲にゾンビが群がる。餓鬼はリョウたちに向かって、ゆっくりと手を伸ばした。先ほどよりずっと緩慢な動きだが、かえって不気味だった。

「やめろ、やめて、誰か、助けて!」


「――鉄磑テツガイ!」


 凛とした声が、あたりを切り裂いた。

「な――」

 隕石、とリョウは思った。

 巨大な黒い塊が宙を飛び、餓鬼の顔面に突っ込む。直撃を受けて、餓鬼が倒れる。塊は止まらず、まるで暴走した車のようにバケモノたちを轢き殺す。塊はそのまま浮き上がり、視界から消える。

 キラリ、と夜空に何かが光った。

「うわっ!?」

 リョウの目の前に、抜き身の刀が突き立った。

「――取って!」

「へ!?」

 建築中のビルに、人影がある。そこから声が降ってくる。

「その刀を取って――戦って!」

 リョウは否応なく刀を両手で引き抜いた。襲いくるゾンビを薙ぎ払う。ゾンビが、まるで枯れ葉のように千切れた。

「何で……オレ……」

 自分で斬ったのだと認識するまで、時間がかかった。刀をまじまじと見つめる。銀の刀身に、青い炎が揺らめいた。

「リョウ、油断するな!」

 ようやく立ち上がったアズマが警告する。

 リョウは顔を上げ、同時に二体のゾンビを斬った。思わぬ事態に、ゾンビらは戸惑ったように一歩二歩下がっていく。

「いったい、どうして……」

「来ていたのか」

 アズマがビルを見上げる。リョウもつられた。

 紺碧の星空をバックにして、あの人影が揺らめいた。

「ハッ!」

 人影が飛んだ。アクションスターのように、華麗に宙を舞う。すらりとした足で衝撃を吸収し、着地した。

「間に合ってよかったです」

 その日本人形のような黒髪を、リョウは知っていた。

「ツキさん!?」

 竹葉夏木だった。黒のボディスーツに全身を包んでいる。普段の清楚な姿からは想像もできない、艶っぽさだった。豊かにふくらむスーツの胸元には、無数の鳥が雫型の宝珠を囲む白いマークが刻まれている。

「アズマ君、大丈夫ですか?」

「……ああ。問題ない」

 アズマはいつもの仏頂面で答えた。ナツキはにっこりと笑う。

 餓鬼が起き上がった。

「ツキさん、何で!? てか危な……」

「リョウ君、話はあとです。戦いを終わらせましょう」

 す、とナツキが手を掲げる。餓鬼の頭を巨大な塊が直撃する。餓鬼はふたたび地を這った。

 その周囲から、ふたたびバケモノたちが湧いてくる。泣き叫ぶ。その声に押されるように、餓鬼は塊をどけ、半分潰れた頭をふりかざした。

「オオオオオオオオ……ォンッ!」

「行きますよ!」

 三人は、バケモノの群れに突っ込んだ。

 ナツキの操る塊は、巨大な鉄くろがねの臼だった。バケモノを巻き込み、すり潰す。ミンチになった血肉が容赦なく飛び散る。

 アズマの腕も容赦がなかった。腐ったバケモノを容赦なく引き裂き、その半身をゾンビに叩きつける。たちまちシャツが赤黒い色に染まった。

 リョウは――まるで夢の中にいるようだと思った。ヒーローになって戦う夢。誰もが想像するその通りに、リョウの体は動いた。ゾンビをなで斬りにする。

「ウォオオンッ!」

 餓鬼の拳が、ナツキを襲う。

 ナツキは腕をクロスさせ、その打撃を受けた。華奢な体が吹っ飛ぶ。

「ツキさんっ!」

「効きませんよ」

 華麗に受け身をとって着地し、ナツキは腕を下ろす。ニコッと笑顔になる彼女に、ダメージはないようだった。

「いいスーツです。これなら安心ですね」

 どうやらボディスーツが、衝撃を吸収したらしい。

「おい、もういいだろう。そろそろ仕上げに入れ!」

「わかりました、アズマ君」

 ナツキが、戦いの輪から一歩下がる。アズマとリョウはその前に立ちはだかり、ゾンビを屠る。餓鬼の攻撃を防ぐ。

南無ナム帰命頂礼キミョウチョウライ熊野三所クマノサンショ大権現ダイゴンゲン

 聞きなれぬ呪文が、ナツキの紅い唇から紡がれる。

我呼召ガコショウ十六小地獄ジュウロクショウジゴク第十一別所ダイジュウイチベッショ――金鶏キンケイ!」

 ゴ、と熱風が舞った。熱く心を燃やし、まとわりついた穢れが浄化される。そんな風だ。

 大地に、方形と円を組み合わせた陣が現れる。それは曼荼羅まんだら――仏教における宇宙の図像に似ていたが、リョウにはわからなかった。

「クキエエエエエッ!」

 陣から現出したのは、黄金のニワトリだった。ただし大きさはトラックほどもある。

 金鶏のクチバシから、炎がほとばしった。ゾンビを片っ端から焼き尽くす。

「クキエエエエエエエッ!」

 凄まじい勢いで、餓鬼の頭をつつき倒す。ひと突きごとに肉片が散った。餓鬼はやがて原型を留めぬほど解体された。

 金鶏は翼をひと振りして頭を下げ、光とともに地面の中に消えていった。

「終わりました」

「……ふう」

 アズマが深々と息をついた。

 あたりはまさに地獄絵図だった。アズマやリョウの体には返り血が、地面や放置された建設資材にはゾンビのペーストがこびりついている。

 リョウは刀を構えたまま、動けなかった。今さら、体が震えだした。

「木曽路君、お怪我は?」

「ひっ!」

 リョウは思わず、刀の切っ先をナツキに向けた。しかしナツキは動じなかった。すっと右手を掲げ、とん、と刀に当てる。

 途端、バラバラバラと刀身が三つ折れになった。青い炎に包まれ、燃え尽きるように霧散する。柄だけがリョウの手に残った。

「あわわわ」

 リョウはへたりこんだ。すっかり力が抜けていた。

「木曽路君、大丈夫ですか?」

 ナツキは心配そうな表情でリョウを見つめた。リョウも落ち着きを徐々に取り戻す。

「あ……あ、うん。たぶん」

「アズマ君も――」

「なぜだ!?」

 いきなりアズマは、ナツキの胸倉をつかんだ。ナツキの体がわずかに浮く。

「なぜ、彼を巻き込んだ!? 答えろ!」

「ナベさん、やめ――」

 リョウが止めようとしたとき、アズマの体が浮いた。

 比喩でも何でもない。ナツキがアズマの腕をつかんだかと思うと、その巨体を持ち上げていた。まるで重量挙げのような光景だった。

 ズン、と重い音がしてアズマが投げ飛ばされていた。

「メール、しました。今夜このあたりが危ないと」

 ナツキは困ったような顔で、地面に伸びたアズマのポケットを探る。

「ケータイ……ああ、電源を切ってしまって。これじゃあ連絡できないって、何度も言ったでしょう? いざというとき困るから、なるべく見てほしいんです」

「ナベさん!」

 アズマは頭をさすりながら起き上がる。

「でも……」

 ナツキはにっこり笑った。

「木曽路君をかばったアズマ君、とても素敵でした」

 黒い長髪がひるがえる。ナツキがくるりと踵を返し、血に染まった地獄絵図の片隅に立つ。

活活カツカツ

 ナツキの唇から、短い呪文がこぼれた。

 再び地面に穴が現れる。その中から無数の人影が現れた。

 人ではなかった。赤や黄色や青の肌、三つ目を持つ者、角のある者、筋肉質かと思えば老婆のような姿の者もいる。ほとんどの者が上半身裸で、トラやヒョウの毛皮を腰に巻いている。

 それは鬼の姿であった。

「ば、バケモノ!?」

「大丈夫です」

「へ?」

「味方です。皆さん、あとはお願いしますね!」

 鬼たちは手際よく死骸を片づけ始めた。水を流したり、肉塊を集めて包帯を巻く。バケモノたちのなれの果ては穴の中に放りこまれ、片付けられていく。

 それが済むと、鬼たちはナツキに一礼して穴に戻っていった。中には手を振っている者もいた。

「結界が切れます」

 やがて――何かがふっつりと切れた。

 あたりが静かになった。涼しい風がサラサラと流れてくる。いつもの夜が戻っていた。

「ごめんなさい、木曽路君。驚かせてしまいましたね」

「えっと、大丈夫だけど、その、血が……」

 制服を見る。

「あれ!? 血……血の痕がない!」

 あれほど返り血を浴びたはずの制服は、土ぼこりがついているだけだった。そういえばあたりも、血痕の一滴さえ残っていない。

「そ、そうだ、携帯!」

 リョウはポケットに押し込んでいた携帯を取り出す。

「時間……そんなに経ってない」

 数時間経ったような気がしていた。だが携帯の時計は、ほんの数分しか進んでいなかった。

「結界の中でしたからね」

「結界……?」

 プップッとクラクションの音がした。濃紫色のミニバンが停まっている。

「行きましょう。話はそこで」

 ナツキは、アズマとリョウを促した

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破鍋プルガトリオ 南紀和沙 @nanayoduki

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