破鍋プルガトリオ

南紀和沙

プロローグ はじまりの戦

 地獄に火の手が上がっていた。


 地獄に、戦の烽火のろしが上がっていた。鬼と人が交戦している。死出の山には数百の鬼の死骸が転がり、刀剣の打ちあう音が響いている。


 鬼軍が形勢不利と見ていったん退いた。

 人の軍はそれを追わずに、陣を立て直す。

 青黒い顔の僧兵が、薙刀をかざして前に出る


「ここに進み出たるは、判官殿の家臣なる武蔵坊弁慶!」


 源九郎判官はんがん義経よしつねの腹心だ。


娑婆しゃばにては不覚を取らず、貴様ら鬼の首なぞ取るはたやすい。腕に覚えある者は進みいでよ」


 すでに数十の鬼を切り捨てている悪僧の声に、地獄の鬼たちは震えあがった。

 震える阿防羅刹あぼうらせつの中から、ひとりの鬼が進み出た。


「我が名は茨木いばらき!」


 人間の女のような顔をした、美しい鬼だった。


「閻魔大王のお慈悲により無間地獄を逃れた身のくせに、謀叛を起こすとはこの恩知らずめ! わたしが成敗してくれる!」


 鬼女はヒョウの皮衣に鎧をまとい、黒髪をひるがえす。

 鬼軍の大将・酒呑童子しゅてんどうじが叫ぶ。


「よせ、茨木! 奴は義経がもっとも信頼する荒法師ぞ!」

「なんの、ご心配めされるな、酒呑童子様――我が君!」


 鬼女は、主であり最愛の君でもある酒呑童子にほほえむ。地獄に似合わぬ、蓮華のような笑みだった。


「我が君は、わたしがお守りいたします」


 刃先が三つ又になった長柄の叉をかまえ、茨木は飛びだした。

 弁慶も同時に走りだす。


「卑しき鬼女め、成敗してくれる!」

「来いや鬼若、貴様も鬼子であろう!」


 叉と薙刀がぶつかり、火花を散らした。男が振り下ろし、女がかわし跳ねあげる。たがいにただならぬ剛力の持ち主であり、武具が悲鳴を上げる。


「あなたに斬れるか? わたしが?」


 斬り結ぶ刹那に、鬼と人は言葉を交わす。


「斬る」


 一瞬のスキをついて、薙刀が茨木の足に突き刺さった。


「娘も、斬った」


 弁慶の抜いた太刀が、茨木を割った。顔から股にかけて、バッサリ斬られる。


「茨木――――!」


 酒呑童子が絶叫する。

 両軍が咆え、乱戦状態に陥った。



「茨木、茨木!」


 揺さぶられる感覚で、茨木は目を開けた。

 もう何も見えない。血が流れ過ぎたか、もしかしたら目を斬られたかもしれない。


「地獄で死ぬとは……思いもよらぬことです」

「死ぬな、茨木。死ぬな!」

「我が君……ごめ、なさい」

「しゃべるな、血が」


 茨木は笑った。


「来世、も、あなた……おそば……に……」


 強く抱きしめられた。

 茨木は事切れた。

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