第一幕 友達クロスローズ
第1話 アズマとリョウとツキ
キーンコーンカーンコーン。
「そんなわけで、『地獄草紙』というのは
コーンキーンカーンコーン。
甲高いチャイムが、学校中に響いた。
ムダ話に夢中になっていた教師が、ハッとして時計を見る。
「あー時間になっちゃったかー。授業はここまでー」
「起立!
放課後になった。
下校する者あり。クラブに向かう者あり。廊下がにぎやかになる。
そんな中、名物生徒が靴箱に向かっていた。
「番長、お疲れさまです!」
「……ああ」
後輩らの大げさな礼に、
アズマはでかい。高校二年生で、身長は一九〇センチに達した。四肢は筋肉質で、丸太を連想させる。容貌は鬼瓦か金剛力士像に似ている。この学校の制服である紺色の学ランが、誰よりも似合う。ついでに、革靴よりはゲタの方が似合うだろう。
ただし今は夏なので、実際の服装は白いシャツに紺のスラックスだった。
そんな彼のアダ名は「鬼番長」という。生徒たちの視線を一身に集め、ちょいとヤンチャな連中も素直に道を開ける。
ただ誤解がある。彼は不良でも何でもなく、ごく普通の高校生だ。
……すくなくとも彼自身はそう思っていた。
「おーい、ナベさん。待ってくれよ!」
そんな彼にも親友がいた。
「もー、どうせ一緒の塾なんだから置いてかないでくれよぉ」
「テンパリ、廊下は走るな。危ない」
「テンパリ禁止!」
リョウはアズマと違って、どこから見てもごくごく普通の高校生だった。体格は人並み、黒い髪は自然なウェーブがかかっている。
「これでも気にしてんだから言わないでよ、天パのことは」
そう「天然パーマのリョウ」略して「テンパリ」が彼のあだ名だ。加えて、やや垂れた目元が、彼の軽そうな雰囲気に拍車をかけていた。
「悪かった。だが廊下は走るな」
「大丈夫だって。スリッパで全力疾走くらいできるぜ?」
リョウは笑って灰色のビニールスリッパを軽く掲げた。生徒はみな、校内ではこれを履くことになっている。
「聞いたぜ。ナベさん、またインネンつけられたって?」
「鬼番長」というアダ名には理由がある。アズマは喧嘩にめっぽう強かった。
「
「いちいち覚えてない。番など張ってないと言ったのだがな」
「しょーがねーって。だってナベさん、見た目は番長なんだもんなー」
「迷惑だ。内申に響いたらどうしてくれる」
話しながら靴を変えていると、女子生徒がまた一人やってきた。
「アズマ君、木曽路君。今、帰りですか?」
「あ、ツキさん!」
夏の暑さを忘れさせる、涼やかな声だった。
隣のクラスの、
美しくそろえた長い黒髪は、愛らしいひな人形のようだ。白い半袖のセーラー服からのぞく腕は、細くて日焼けもしていない。地味でダサイと言われがちな制服だが、彼女が着るとかえって清楚に見える。
(でもツキさんに似合うのは、たぶん着物だよなー)
ナツキはセーラー服よりも着物、着物より十二単が似合いそうな、純和風の美少女だった。
「今日はたしか、塾の日ですね――きゃあっ!」
「っ!」
「おぷっ」
床が濡れていたのか、ナツキは突然バランスを崩した。アズマが彼女の手をつかんで支えたが、足からすっぽぬけたスリッパが、リョウの顔にヒットした。
「おい、リョウ。大丈夫か?」
「ご、ごめんなさい、木曽路君! 大丈夫ですか!?」
ナツキは真っ赤になって頭を下げる。
「へーきへーき! 気にしないで」
「でも顔に……」
「女の子じゃないんだから、顔くらいどーってことないって」
リョウはヘラヘラ笑って、スリッパをナツキに返した。
「まったく、変なところでどんくさいな」
「はい……」
アズマに言われて、ナツキはしゅんとうなだれる。
「ナベさん、そこまで言わなくてもいーじゃないかー」
「駄目だ」
「いーんだよ、オレは気にしてないもーん。ねっ、ツキさん」
「ホントにごめんなさい。これから気をつけます」
恐縮する美少女に、リョウは見とれる。
彼女がこれ以上引きずらないように、リョウは話題を変えた。
「あ、そーだ。さっき何か言いかけてなかったっけ?」
「あ、えっと……今日はたしか、塾の日でしたよね?」
「そそ、これから行くんだ」
「そうでしたね。がんばってください」
「ツキさんは帰り?」
「はい。じゃあ、また明日」
ナツキは軽く会釈した。
「アズマ君」
アズマに向き直る。
「ありがとう」
「ふん」
アズマはそっぽ向く。
ナツキは困ったように笑い、出ていった。
「バイバーイ」
リョウはひらひらと手を振って、黒髪の美少女を見送る。
「はー、きれーだなー」
リョウはぽやんとした表情で、ナツキのうしろ姿を見つめる。
「うらやましぃーなー、あのツキさんと幼馴染なんてさっ!」
リョウはぱんっとアズマの腕をはたく。
一方のアズマは、どこかムスッとした表情だ。
「あいつのどこがいいんだ」
「おい! それは学校の男子全部を敵に回す発言だぞー! ただでさえナベさんをうらやんでる連中が多いのに」
「なぜ俺がうらやましがられるんだ?」
「噂になってるぜー。二人が付き合ってるって」
「付き合ってなどいない」
「またまた~。一緒にいるところ、結構目撃されてんだぜ?」
「誤解だ。あっちが勝手にまとわりついてくるだけだ」
「そーゆー発言が敵を作ってんだよ!」
下駄箱前でぎゃいぎゃい騒いでいると、教師が通りかかる。さっきまで日本史のマニアックな知識を垂れ流していた教師だった。
「お、二人、帰りかー」
「あ、先生」
「最近物騒だからなー気をつけろよ」
「はい、さようならー」
「はい、さよなら」
二人は校舎から出た。
「はーそれにしても、長井センセの授業はムダ話が多いなー」
先ほどの日本史の教師のことだ。幅広い知識を持つかわりに、それを語り出すと止まらないタイプなのだ。
「こないだは何だっけ、ステ……いやシュノミ?」
「酒呑童子」
「そそ、それそれ」
リョウはシャツの襟元をゆるめる。
「面白い話だったけどさ、鬼の話じゃ受験の役に立たねーなー」
「…………」
アズマの表情がわずかに曇ったが、リョウはそれに気づかなかった。
「おーい、テンパリー!」
グラウンドの方から、男子が何人も走ってくる。体育会系のクラブの連中だ。陸上やら軟式野球やら剣道やらが混じっている。
「テンパリ言うなー!」
「んなことどうでもいい! こないだの話、考えてくれたかー!?」
「部活に入れって話? 助っ人ならいいけど、所属する気はないよ。めんどくさいし」
「そりゃ才能の無駄づかいだぞ!」
「そうだそうだ!」
猛抗議しかけた男子らの前に、アズマが割り込む。
「リョウ、こいつらは?」
「うっ……」
男子らはリョウの肩を抱き、すささささ、と離れた。
アズマに背を向けて、声をひそめる。
「な、なあ、お前、あの鬼番長のパシリにされてんじゃね?」
「はあ?」
「正直おっかねーもん。何か弱みとか握られてんだろ!」
「何言ってんだ! ナベさんは優しい上に甘党な優しい人だよ!」
「テンパリ、騙されてるって!」
「ってか言葉乱れてる! お脳の病院へ行こう!」
「何がお脳じゃ! この話はおしまい!」
「ちょっ、待ってくれよ~」
「オレらこれから塾だから!」
リョウは体育会系らをさっさと追っ払い、アズマのもとへ戻る。
「……良かったのか?」
「いーのいーの」
「リョウはスポーツがよくできる。どこかに入ってもいいだろう」
「だめだめ。部活入ると、毎日遅くなるだろ? ウチ、親が家を空けてるからさー、早く帰れないと不便なんだよ」
「そういえば、家事もするんだったな」
「そうそう。ま、妹と分担だけどさ」
塾へ向かう路地を歩く。
家が密集していて、その中の道に沿うように川が流れている。コンクリートで護岸された細い川は、夏の強い日差しを反射していた。
「ちょっと待てや、破鍋東!」
突然、怒鳴り声がした。前からうしろから、ガラの悪い高校生がわいて出る。灰色のズボン、シャツの校章からすると、よその学校の不良どもらしい。
「テメーちょっと強ぇからって調子乗ってんじゃねーぞ! ツラ貸せ!」
「断る」
「あ? ナメてんじゃねーぞ!」
「そ、そうだぞ! ツクダ先輩ナメんじゃねーぞ!」
ツクダ先輩とやらはともかく、取り巻きのやる気は低そうだった。おそらく彼らはすでにアズマにやられている。腰の引け具合からすると、ボッコボコに。
その彼らを見かねて、ツクダ先輩がしゃしゃり出てきたのだろう。
アズマは首筋のうしろに手をやる。困ったときの仕草だ。ひとつため息をついて、リョウに自分のカバンを渡す。
「少しだけ持っていてくれ」
「な、ナベさん」
リョウは、ただあせるしかない。アズマのカバンを持ち直し、いざとなれば通報できるよう、自分のカバンにしまってある携帯をこっそり手に取る。
その間に、ケンカが始まった。
「オラアアアアアッ!」
ツクダ先輩が拳を放つ。
しかしアズマの方が上手だった。パンチをかわし右手で相手の手首を取る。ひねる。その回転にバランスを崩され、相手は尻餅をついた。同時にアズマは素早く身をかがめ、左手で相手の足首をすくいあげる。そして両手を持ち上げた。
一瞬のことだった。
「離せ、離せー!」
先輩とやらは見事に吊り上げられていた。まるで丸焼きのブタだ。たとえ暴れても、ミミズのようにモゾモゾするのが関の山だった。
「まだやるか?」
相手のボスをゴミ袋のように吊り下げたまま、アズマは尋ねる。その背からズズズズズ……と重いオーラが流れ出る。
「うわー怒ってる怒ってる」
リョウは苦笑した。
アズマの怒気に、取り巻きは完全に戦意喪失。先輩のギャーピー叫ぶ声だけが路地に響く。
「もういいだろう。塾に遅れる」
アズマは川に向かって、ぽい、と先輩を投げ捨てた。
「うわああああっ!」
「せんぱあああい!」
ビシャーン!
間抜けな水音が響いた。
「すまん、リョウ」
「あ、うん。はい」
「ありがとう」
アズマはリョウからカバンを受けとる。そして何事もなかったかのようにスタスタ歩きだした。リョウはあわててあとを追う。
幸い、不良たちは追いかけてこなかった。
「……相変わらず強いねえ」
「相手が弱すぎるだけだ」
「そりゃナベさんが強すぎるからでしょ!」
「何でそんなに嬉しそうなんだ?」
「だってナベさん、ヒーローみたいだもん。オレもあやかりてー」
「あやからんでくれ。面倒くさいだけだ」
内心ヒヤヒヤしていたのはどこへやら。
リョウはケラケラ笑いながら、巨体の親友と並んで歩き始めた。
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