近ごろ友人がライトノベルを書いているようだが、その内容が現実的すぎるんだ
ととむん・まむぬーん
ワインとラノベと旧友と
オレは旧友のNと連れ立って新宿から西に何駅かのところにあるリカーショップを訪れていた。
アルコールを受けつけない体質のNから誘いの連絡を受けたとき、オレは我が耳を疑ったよ。
ワイン?
Nよ、おまえは酒が飲めなかったんじゃなかったのか?
しかしNが言うには、飲むのはN本人ではなかったんだ。
実はNの父親は今年で還暦を迎えるらしい。そしてその誕生日が今週末なんだそうだ。そこでNは還暦祝いのプレゼントとしてちょっと背伸びをしたワインを選ぶことにしたって話なんだ。
それにしてもなぜワインなんだ?
そんなオレの疑問に答えるようにNは話してくれた。
Nの親父さん、最近ワインに凝っているんだそうだ。
親父さん、定年後の趣味を模索するとかで数年前から夫婦でいろいろな集まりに顔を出していたらしい。そうこうしているうちにワインサークルなるものにめぐり逢って、そこの人たちと意気投合、それで月に一度の勉強会という名の持ち寄りホームパーティに参加するようになって、そこで先達のみなさんからウンチクやら何やらを聞かされてるうちにすっかりその魅力にとり憑かれてしまったってことなんだ。
今までは晩酌といえば焼酎のウーロン茶割りばかりだった親父さんがいきなりワインですよ。もちろん一緒に参加してるお袋さんも同様で、おかげでここのところのN家の夕食は南欧風のメニューが中心になってるんだそうな。
実家から独立してはいるが比較的近くに住んでるNは週に一、二度は実家に立ち寄るらしいんだが、最近では夕食もアヒージョやらバケットとチーズ、そしてワインということが多く、酒が飲めないNはすっかり閉口してるって話だ。
「ところで親父さん、勉強会ってことはやっぱり赤か?」
オレは無数に並ぶワインを前にしてNに向かって尋ねた。
「最初は、赤だったんだけど……どうやら上には上がいるって痛感したらしくてさ、それならばって、最近は白ワインでの理論武装を目指してるみたいなんだ」
「白? 試飲会で白なんて、あまり聞かないなぁ……でもまあ、とにかくちょいとしたウンチクが語れそうなのがいいんだろ?」
「そうなんだ。高過ぎず安過ぎず、適度に見栄も張れて話題にもなるような……もちろん味もそれなりで。でもさすがにそれは飲めないオレには無理だからさ、それでY、君に協力を仰いだってわけさ」
「しかし、白かぁ……無難なのはブルゴーニュかなぁ」
オレはなで肩ボトルのブルゴーニュ産ワインが並ぶ棚の前に立って、何本かを手にしてみたんだが、ラベルに書かれている内容の意味なんてほどんど解らなかったよ。そんなオレの隣でNはオレが手に取るボトルにいちいち目を向けるんだ。
「なあY、ワインのボトルって二種類あるだろ、なで肩と首のあるのと。あれは白がなで肩ってことなのか?」
まったく飲まないNにとってはラベルの意味はおろか、ボトルの形の違いすらもこれまではどうでもいいことだったんだろう。
「ボトルの違いは産地の違いって考えておけばいいよ。ブルゴーニュー産がなで肩、ボルドー産がいかり肩ってとこかな。ほんとはもっと奥が深い話でバリエーションも豊富なんだけど、そっちは親父さんたちにまかせておけばいいんじゃないか」
Nは興味なさげに「ふ――ん」と鼻を鳴らすと店の奥の方に進んでいく。これでもていねいに答えてるんだけどなぁ……やっぱNには興味が湧かない話なんだろうか。
比較的お手頃価格の品が並ぶ入口付近に比べて、店の奥には西日や外気温の影響を嫌って厳重に温度管理をされた高級銘柄が並んでいる。そんなことは気にもかけていないだろうNは無言のまま居並ぶボトルを眺めながらぼそりとつぶやいた。
「高っけ――、これ一本でノートPCを新調できるじゃないか」
Nよ、今おまえの前にそびえるワインセラーに鎮座しているのはすべて年代物の高級ワインだぜ。ノートPCどころかちょっとした中古車が一台買えてしまえるお値段だ。
とりあえずそんなNのお相手は高級ワインたちにまかせて、オレは具体的かつ現実的な価格帯の白ワインを物色することにしたんだ。
「Y、なあY。ちょっとこっちに来てくれ」
年代物が揃うワインセラーをひとり静かに眺めていたNが声を潜めながらオレを呼ぶ。
「なあ、これ、このワインはどうだ?」
Nは床に置かれた木箱に詰まったボトルの一本を手にしてオレに掲げて見せた。やつが手にするその白ワインのボトルはいかり肩だった。
いかり肩?
ボルドーの白か?
まためずらしいものを見つけたものだ。いや、ちょっと待て、ボルドーの白?
それも店の奥の方に?
ひょっとしてそれは……オレは焦る気持ちを抑えながらNの
パヴィヨン・ブラン・デュ・シャトー・マルゴー。
それは有名なボルドーの赤ワイン、シャトー・マルゴーと同じ醸造所で造られた白ワインだ。白ワインなんだけど淡い黄金のようなその色が芳醇さと力強さを物語っている。そんなワインが木箱に詰まって無造作に置かれているのかよ。
そのとき、店の奥でオレたちの様子を伺っていた店主がおもむろに声をかけてきたんだ。
「それはね、ちょっといろいろあってね、その一箱限りのサービス品。よかったらいかがですか?
オレとNは揃って店主に小さく会釈すると互いに顔を見合わせた。
「なあY、これってそんなにすごいのか?」
「ああ、製造年にもよるけどお安い品じゃないぜ。親父さん、これならハナ高々かも知れないが……」
「知れないが、どうなんだ?」
「生半可な付け焼き刃じゃかえって……いや、このワインを語れるようになることを目標にこれからも末長く、なんて言うのも還暦祝いには『あり』かもな。そんなワインだよこいつは」
オレはボトルをNの手に戻した。Nもオレの話を聞いたせいかさっきまでとはうって変わって丁寧に両手でボトルを支えるように受け取ったよ。そしてNはその場に立ち尽くすようにして、そのままずっとボトルのラベルを見つめていたんだ。
オレは足元に置かれたそのボトルが収まっていた木箱に目をやってみたんだが、そこにはサインペンの手書きPOPで「残りはこれだけ! 4万円!」なんて文字が踊っていたよ。
4万円……酒なんか飲まないし興味もないNにとってたかが一本のワインに4万円は論外だろう。ノートPCの新調は無理でも何かもっと他の有意義な使い方ができるだろうし。そしてそのうちNは呆れた顔でもしながらそのボトルを元の木箱に戻すんだろうな。オレはそんなことを考えながらボトルを見つめるNをちょっと離れた位置で見守っていたんだ。
ところがそんなオレの予想に反してNのやつ、いつまでもいつまでもボトルを手にしてその場でラベルを見つめてるんだ。そしてよく見てみると、Nの視点はラベルじゃなくてボトルを越えたその向こうあたりを見つめてるみだいだったんだ。
どうにも様子がおかしい。
Nは今どこか別の世界にいるんじゃないか?
オレはNに近づくとやつを驚かさないようにそっと声をかけてみた。
「おい、N、どうしたんだ?」
Nは答えることなくラベルを見つめている。
「お――い、帰ってこいよ――」
Nはオレの声にハッとしたように反応してちらりとこっちを見たが、しかし再びボトルのラベルに目を落とした。
「どうしたんだよN、そりゃ飲まないおまえにとってたかがワイン一本で4万円はありえないだろうけどな」
「あ、ああ……」
力なく返事をするN。
「なあN、そんな極端なのじゃなくてさ、もうちょいお手軽なのを探そうぜ」
「ああ……」
またもや気のない返事。まるで何かにとり憑かれでもしたかのようにワインボトルに釘付けになっているNの様子を見たオレはそのとき思い出したんだ、同じく旧友であるKの言葉を。
「なあ、Y、知ってるか? 最近Nのヤツ、ライトノベルなんか書いてるらしいぜ。あのNがだぜ。あいつ、オタクっ気なんてあったっけか?」
まさか、オレの目の前で今、Nは手にしたマルゴーの白をネタにしたラノベのプロットでも練ってるんだろうか……。
面白そうだな、よし、ちょっとカマをかけてみるか。
さっそくオレはNに向かって声をかけた。
「なあ、N、今度はどんなストーリーなんだ? ひょっとしてそのマルゴーの白をネタにでもするのか?」
オレのその言葉にNの肩はピクリと反応した。やはりな、オレはそれを見逃さなかったよ。
「しかし、ワインをネタにってのはちょっと敷居が高そうだよな」
続くオレの言葉を聞いたNがオレの顔を見る。目を見開き、緊張感に包まれたその表情は、しかしすぐに緩んであきらめと安堵の表情に変わった。
「なんだ、Y、知ってたのか……そうか、KかRあたりに聞いたんだな」
「はは、まあな、そんなもんだ」
そしてNは再び手にしたボトルに視線を戻すと一本4万円のそのボトルに気を遣いながら続けた。
「隠してたわけではないんだけど、君にはもう少し作品が溜まったら話そうと思ってたんだ」
「せっかくだからNの作品、読んでみたいな。どこで公開してるんだ? 教えてくれよ。なろうか? それともカクヨムか?」
「カクヨム……」
Nはぼそりとそう言うと、転ばぬように足元に気をつけながら
まさかNのやつ……オレはそんなNを目で追った。
「N、それ……買うのか? 4万円だぞ」
Nはボトルをレジに手渡すとホッとした表情でこっちに振り向いた。
「そうだなぁ……おれからのお祝いが半分、あとの半分はネタのための取材費ってとこかな」
Nは会計を済ませると店員からボールペンを借りて、受け取ったレシートの裏面にさらさらとカクヨムのユーザーIDを書く。
「なんだか恥ずかしいな」
そう言ってNはレシートを二つ折りにしてオレに手渡してきた。そしてオレはそのレシートを財布に収めると、先を歩くNとともにその店を後にしたんだ。
――*――
週末の雑事をすっかり片付けた日曜日の夜のひととき、とろりとした甘い梅酒を舐めながらPCの前に座ってつらつらと投稿小説を読む、ってのが今のオレの楽しみになっている。
以前はだらだらとまとめサイトや時事ネタのブログなんかを読んでいたんだけど、だんだんとその内容に辟易し始めた頃、偶然に「カクヨム」なる投稿サイトにたどり着いたんだ。
最初のうちは読むだけだったんだけど、そのうち読んだ作品への応援やら長編作品のフォローやらをしたくなって、結局、自分のIDを登録することにしたんだ。
そして今夜もオレはブラウザにブックマークされた投稿サイト「カクヨム」のリンクをクリックする。
すると画面にトップページが現れる。
いくつか気になるキャッチコピーの作品が目についたんだが、今夜のオレには目的があるのだ。そう、Nの作品だ。オレは手元にあらかじめ用意しておいたしわくちゃになったレシートに書かれた文字を見ながら、そこに書かれているIDを入力した。
期待と緊張で力が入ってたのかな、ENTERキーを押したそのとき、手元のグラスの中で溶けた氷がカラリと鳴ったよ。
Nはいったいどんな作品を書いているんだろう。
少なくともオレが知る限りNは大層な読書家ってわけでもなく、以前から「もの書き」を目指すとか憧れるなんて話も聞いたことがなかったんだ。そんなNがライトノベルを書いている。
親父さんの還暦祝いは金曜の夜だって言ってたから、ならば今夜あたり、あのときNが思い
オレはちょっとばかり胸を躍らせながら検索結果からNのページを開いた。
果たしてそこには一話完結の短編や掌編が数本公開されていた。どれも現代ドラマのジャンルで、キャッチコピーやあらすじを見た限りでは、Nにとって身近な小話を書き綴っているようだった。
しかしそれにしても……タイトルをみる限り、Nが公開している作品はライトノベルというよりはエッセイ……いや、これは形を変えたブログじゃないか?
そして最も左上、そこは最新作が掲載される場所、そこには今日の夕方に公開されたばかりの新作があったんだ。
「ボルドーの白」
それはまんまド直球のタイトルだった。オレはさっそくそのタイトルをクリックする。またまたその手に力が入っていたんだろうな、クリックと同時に手元のグラスの氷が再びカラリって音を立てたよ。
"父親が還暦を迎えた。あの父親が、である。子供の頃には大きく、頼もしく
ときには畏怖の象徴でもあった父も今ではすっかりこじんまりした好々爺に
なっている。"
そんな出だしのNの作品には淡々と出来事が綴られていた。
う――ん、やっぱりこれはライトノベルって言うよりはエッセイや随筆じゃないかなぁ……。
そして文章は続く。
"父は今、白ワインにご執心である。先達のみなさんに負けじと白ワインでの
理論武装をするのだと言う。
酒を一滴たりとも飲めない私はそんな父のために友人の力を借りておあつら
え向きのワインを選ぶことにした。"
なるほど、この「友人」ってのはオレのことだろうな。そして物語はお祝いの宴へと続いていく。
"私は母に促されて父のために買って来たワインを
はやる気持ちを抑えながら不器用に包装を解く父をにやけた目つきで見守る
私。そのワインを見た父はどんな顔をするだろう。父親以上に私の気持ちも
高揚してきた。"
そのワインを目の前にしたNの親父さんは……オレはマウスのホイールを回してページを
"「おい、かあさん、コルク抜きを持って来てくれ」
父の言葉に私は我が耳を疑った。えっ、飲むのか、今?
親父、そのワインは……。
「これはマルゴーの白だろ。俺だってそれくらいはわかるぞ。ダテに勉強会
に参加してるわけじゃないしな」
父は続けた。
「ウンチク? そんなもん、まずは飲んでからだろ。どうだ、おまえも」"
どうやらNの親父さんは4万円のワインをその場で飲んでしまったらしい。それも冷やすこともなくそのまま常温で。
その場のNはどんな顔をしていただろう。それより何よりあのマルゴーの白を前にしてまったく
そうか、飲んじまったのか……そして物語はまだ続くんだ。
"今宵の宴は楽しく和やかに幕を閉じた。4万円のワインがあっさりと空にな
ったことには驚かされたが、しかし父本人が楽しめればそれでよいのだ。
何よりあのワインをその場で冷やしもせずに空けてしまったなんて、あの友
人が知ったらどんな顔をするだろう。"
"ワインを買ったあの日、私は確かにそのワインをモチーフにした作品の構想
を練っていた。そしてその姿を見た友人はそんな私の頭の中を見透かしたか
のように、ラノベのことを言い当てた。しかし私もそのときに気づいた。"
ムッ、Nのやつ、オレの何に気がついたんだ?
やつのラノベ趣味のことをオレはKから聞いたってことはあのときN自身が言い当ててる。他に何に気づいたってんだろう。
そしてオレは続く文章に目を向けたとき、オレ自身の顔が真っ赤に火照っていくのがわかったんだ。
それは決して梅酒のせいじゃなくて……。
"まさか友人の口から「なろう」や「カクヨム」なんて単語が、さらりと出て
くるとは。もしかしたら、彼も……。"
迂闊だった。すっかり油断していた。
あの瞬間、Nはオレが書いているか否かはさておき、少なくとも読者であることは察しただろう。もちろん、オレが読者として登録していることを隠す必要もなければ恥ずかしがる必要もない。だがあっさりと足元をすくわれたようなこの悔しさは何なんだ。
"父の還暦祝いの日取りは同行してくれた友人にも話してある。彼はおそらく
明けて翌日の日曜の夜、くつろぎのひとときにこの物語の存在に気がつくだ
ろう。"
"彼は果たして読んでいるだけだろうか。もしかしたらこの拙文を読んで対抗
意識でも燃やして執筆に挑戦するかも知れない。いや、是非とも彼にも書い
て欲しい。お互いに好敵手として切磋琢磨できたら、それは素晴らしいこと
ではないか、と私は思う。"
"そうなれば彼のことだ、私がこの作品を書くまでの顛末やら何やらを面白お
かしく書くのだろう。
そしてその作品にはさしずめ「彼のラノベはド直球」とでも名付けるのであ
ろう。"
そんな文で締めくくられたNの作品を読み終えたオレは何やら不思議な高揚感に包まれていたんだ。
これは……この作品はNからの挑戦状だろうか。
いや、違う。これはそんなもんではなく、彼からの、この新しい世界へのいざないなのではないか?
「Yよ、君も来ないか、この新しい世界に」
そう言って手をこちらに差しのべて微笑むNの姿がオレの脳裏に浮かんだ。が、しかしオレはその幻影をすぐに打ち消した。
Nよ、おまえの親父さんが赤ワインに対抗して白ワインに勝負をかけるように、オレもおまえの誘いに乗ろうじゃないか。少なくともオレにはおまえのブログだかエッセイだかのような作品よりも気の利いた話を創る自信があるぞ。語彙力は負けるかも知れないが、それならばアイディアで勝負してやろうじゃないか。
そうだ、オレはこれまでいくつもの投稿作品を読んでいるのだ。
Nよ、今宵、今この瞬間までの顛末をオレはオレなりにラノベ風に仕立ててやろうじゃないか。
タイトルだっておまえの予想を超えるものにしてやるぞ。
さあ!
こんなタイトルでどうだ。なかなか今風だろ?
「近ごろ友人がライトノベルを書いているようだが、その内容が現実的すぎるんだ」
―― 完 ――
近ごろ友人がライトノベルを書いているようだが、その内容が現実的すぎるんだ ととむん・まむぬーん @totomn
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