「与那国海底遺跡」③
届け。届けっ!
僕はどうなってもいい。身代わりになれるなら本望だ。
いつも明るくて優しくて、頭もいいし、運動神経だっていい。
だから、昔からみんなの人気者で。
なのに。
こんなにどうしようもない僕が生きて、美羽が死んだら。
おかしい。そんな世界は。
「おかしいよ、そんなの!」
悠の真っ黒な瞳から、ぶわ、と涙が溢れた。
「マスター……」
そんな悠を、ルヴァの巨大な青い瞳が覗き込んでいた。
すぐにふいと顔を前に向けたルヴァは、キッとフリゲートを睨んだ。
「お任せください、マスター。お友達は、ルヴァが助けてみせるのですぅ!」
「えっ? ル、ヴァァァァァァァ!」
ルヴァが急降下を開始した。空中に出でてあっという間に乾いた銀の髪が、ばたたたたと風に煽られ、暴れている。キラキラキラキラと飛沫も舞った。強烈な風で、悠はとてもまともには喋れない。
従って、「お任せください」と言われたものの、ルヴァが何をする気なのか、悠には問いかけて確認出来ない。刹那、猛烈に嫌な予感が悠の背骨を走りぬけた。
(まさか。まさかな。僕を片手に持っているんだ。見るからに凄い力がありそうなでっかいルヴァだけど 、あのフリゲートよりは遥かに小さいんだし、あれをどうこうしようなんて、無いだろう。美羽を片手で掬い上げれば済むことなんだ。万が一にも、中国艦なんかを攻撃することなんて、無いだろう。ないに決まっている。……でも、もし。もしもそんなことをされたら……? 戦争になっちゃうよ!)
祈るように心の中でそう考えた直後、悠は悪夢が現実になった光景を目撃する。
「そこの船! 邪魔ですぅ――――っ!」
ルヴァが水上に姿を現してから、ここまでわずか三分足らず。いかな最新鋭警戒システムを備えたフリゲートとはいえ、未知の敵への対処は時間的に不可能だった。
ルヴァはがっしと艦のブリッジ部分を掴むと「とうっ!」という掛け声とともに、
「ええええええ! ももももも、持ち上げたぁ――――っ!」
あまりのアメージングな出来事に、悠は喉が張り裂けそうになるほど叫んでいた。
フリゲートは空中で逆さまになっていた。最下部となった艦橋はルヴァが片手で掴んで支えている。ルヴァはなんの足場も無い空中に踏ん張り、フリゲートをまるでおもちゃのように掲げている。
今や夏の陽光を目一杯に受けた船底から、どざざざざ、と水が落ちている。海面にはたくさんの波紋が起こり、無数の泡を立てていた。艦の後方ではスクリューが、ばばばばばばと水を飛ばして虚しく回っている。
艦内は、きっと地獄絵図だろう。固定されていないものは悉く天井に張り付いているはずだ。食堂でカレーでも作っていたら。誰かが風呂に入っていたら。もし、トイレの途中だったら。そこまで想像して、悠の顔は蒼褪めた。
「えへへー。どうですかぁ、マスター? ルヴァ、頑張ったのですぅ」
「ががががが、がんがったって、お前……」
屈託のない巨大な笑顔を眼前に、悠は言葉を失くしていた。頭上を見れば、逆さまになった艦橋がある。
「そんなバカな」と限界まで見開かれた悠の目は、瞬きを忘れていた。
そして。
これほど恐ろしい力を持つルヴァが、かわいく見えてしまった事に、悠はさらに驚いていた。
「あ。お友達が浮いてきましたよぉ」
まるで使い終わったティッシュを捨てるかのような気安さで、ルヴァがぽいとフリゲートをほかった。
「あああああああ!」
悠が思わず悲鳴を上げる。悠の視線がきれいな上凸二次関数曲線を描いた。フリゲートは二〇〇mほど先で船首から海面に突き刺さり、どぱんどぱんと激しく揺れた。ほどなく揺れは小さくなった。乗員は全員壁に叩きつけられているだろう。総員が重軽傷を負っているに違いない。死亡もあり得る。まさに、今現在。沈まなかったのだけが救いだな、と悠は思った。
救いといえば、美羽も水面に浮かび上がっている。最新のダイバーズギアは、緊急時、バイタルサインに連動してバラストを自動調整し、ダイバーを浮上させてくれるからだ。仰向けに浮かぶ美羽のマスクはしっかりと嵌っているし、目を閉じたままではあるが、顔色もいい。
気絶しているだけだろう。悠はそう判断した。
「美羽。良かった……」
悠は胸をほっと撫で下ろした。が、すぐに別の不安が顔を出す。
海洋資源獲得と戦略上の理由から自国の領海拡張を狙う中国と激しく衝突をしている日本は、現在、文字通り一触即発。いつ戦争に突入してもおかしくないほどに緊張が高まっていた。
(フリゲートを放り投げられて、黙っている国じゃない)
そう思い、悠はくすりと笑った。
黙っていられないからって、「よくもうちの船を投げたな!」なんて苦情を言えるものだろうか? そう想像したからだ。あまりにも非現実的な出来事じゃないか。こんなことを真面目に言い立てたところで、どこの国も信用しやしないだろう。ルヴァの存在さえ誤魔化し通せば、さすがの中国もこれはこのまま終わらせるしかないと判断するかも知れない。
ルヴァは隠さなければならない。一瞬で、悠はそう結論を出した。
「お友達を助けますよぉ、マスター」
「あ、うん。頼むよ、ルヴァ」
ルヴァが水面を滑るように進み、美羽を目指す。足は全く動いていない。ルヴァは飛んでいた。プロペラ? ジェット? だが海面にはなんの影響も認められない。悠は首を捻った。
そうっと美羽を手で掬い上げたルヴァは、ダイビングスポットからは少し離れた岸に降り立った。三方が切り立つ岩に囲まれた場所で、猫の額みたいに小さな砂浜がある。そもそも与那国島は隆起した断崖そのもののような島で、上空から見れば断層が走っているのが良く分かる。現在も波による激しい浸食を受けて崩落が続くこの島は、どんどんと形を変えていた。自然、こういった地形も多数見られる。
ルヴァはそんな砂浜に美羽を優しく寝かせると、悠を傍らに降ろした。
美羽の顔を覗き込み、悠はマスクを外してあげた。ぱら、と薄茶色の短めな髪がこぼれた。「大福モチみたい」などと言われることもある肌に傷は無い。すー、すー、と小さな呼吸を繰り出す小ぶりの唇が少し青いが、特に問題はなさそうだ。
「ほっ。怪我はないかな?」
悠は美羽の細い体をぴっちりと包むウェットスーツに目をやった。可愛らしいピンクのウェットスーツは、美羽の女性らしいラインを際立たせている。最新技術で作られたスーツは、昔のもこもこしたものに比べてずっとお洒落だ。当然、今はこれが主流になっている。
破れがないか、不自然な凸凹がないかを確認して安堵したら、美羽の体をじろじろと眺め回している自分が急に恥ずかしくなった。悠は、顔を赤くして空を見上げた。
「ご無事なようで、なによりですねぇ」
とふ、と隣にルヴァが腰掛けた。ルヴァは狭い砂浜に正座して、にこにこと悠たちを見下ろしている。少し余裕が出てきた悠は、改めてルヴァを見上げた。
でかい。正座していても、とにかくでかい。ぬお、と悠の目の前まで突き出している膝小僧は、人間には抱えきるのも不可能だ。
でも。
怖くはない、と悠は思う。
無邪気な笑顔が警戒感を与えないからだろう。
まるっきり、大きくなっただけの少女。
悠はそう感じていた。
「うん。ありがとう、ルヴァ。美羽が無事だったのは、キミのお陰だよ」
だから、自然にお礼が言えた。
あり得ない存在を前にして自然体でいられる自分を、悠は不思議に思った。その理由を悠が知るのは、まだ後のことになる。
「う……」
美羽が呻いた。
「あ!」
悠は振り返る。
美羽の目がゆっくりと開きだした。
瞬間、悠はルヴァをどう説明したらいいのか、激しく迷った。別に危害を加えるものじゃない。しかし、知っていいことがあるとも思えない。
ルヴァは、ついさっき、中国艦船を“攻撃”してしまったような存在だ。ああなった原因を探ろうと、中国が動き出すのは容易に想像出来る。この場にいた人間を調べ上げ、中国側のエージェントが接触をしてくる可能性は高い。何かあれば自分はともかく、美羽にまで危険が及ぶかも知れない。
教えない方がいい。知らない方が安心だ。そうは思うものの、こんなでかいものをどうやって隠せばいいのか。そんな方法、すぐに思いつくはずがない。
「どうしましたぁ、マスター? お友達が目を覚ますと、何かまずいことでもぉ?」
意味も無く砂を握っていた悠に、ルヴァから長閑な声が掛けられた。
「まずい。まずいに決まっているじゃないか。ルヴァを美羽に見られちゃまずいんだ」
悠は泣きそうな顔でルヴァを見上げた。
「そうなのですかぁ?」
「そうなんだよ!」
まるで分かってもらえない苛立ちが悠の声を荒立たせた。
「では、携帯モードに移行しましょうかぁ?」
「携帯、モード?」
悠は美羽に砂をかけるのをぴたりと止めた。美羽を埋めるつもりだったらしい。生き埋めだ。悠はテンパリ過ぎていた。
「なにそれ?」
「えっと。ルヴァは小さな石になれるのですよぅ。そうすれば、マスターにも持ち運びしやすくなるのですぅ。ルヴァはそうして、いろんな所へ運ばれたのですぅ」
それは巨人たちが大量生産され、稼動地点に効率良く運ばれていたことを示唆していた。
だが、今の悠に、そんな推論を導き出している暇は無い。
「じゃ、じゃあ、すぐに小さくなってくれ! 早く!」
「かしこまりー、なのですー」
ルヴァはきりっとした表情を作って了解すると、
「そろそろそうしないと、マスターが死んでしまいますからねぇ」
そう言い残して一瞬光り、あっさりと消え去った。
「えっ? ルヴァ? ルヴァ!」
あまりのあっけなさに、悠は慌てた。消える前に言っていたことが気になったが、そんなことはどうでも良かった。悠は急いでルヴァの座っていたところへ這い寄った。
すると。
「あ。まさか、これが? ルヴァの“石”?」
白い砂に紛れて、翡翠のような色をした石が落ちていた。星形をした石は、真ん中がずんぐりとしていて、亀にも見える。亀の頭に該当する箇所には穴が開いていて、そこを銀色の鎖が通っていた。紐とも金属ともつかない不思議な物質で出来たチェーンだ。
「ネックレスみたいに、首から提げられるようになってるのか? 親切設計だな」
悠は石となったルヴァを首にかけた。
あれほどの大質量を持つ物体が、これほど軽くコンパクトになることなど考えられない。完全に質量保存の法則を無視している。が、悠はそこを深く考えなかった。考えて分かりそうなことなら考えるが、これはそうじゃないと瞬間的に理解したからだ。
「悠ちゃん……?」
そこで、美羽が完全に目覚めた。
「美羽。大丈夫? どこも痛いところとか、無い?」
悠はびくっと肩をすくめると、引き攣った笑顔を作って振り返った。
「うん。大丈夫みたい。ね、悠ちゃんが助けてくれたの?」
体の具合を確かめるようにゆっくりと体を起こした美羽が、悠に熱い視線を投げた。髪と同じブラウンの瞳に見つめられ、悠は「う」と逡巡した。
「あ、うん」
否定しても話がややこしくなると思った悠は、心苦しさを覚えながらも頷いた。
「そっか。ありがとう。でも、凄いね。あたし、逆らえなくなるほどの潮流に巻き込まれて……全然、逃げ出せなかったのに」
にぱ、と花が咲いたような美羽の笑顔が眩しくて、悠は目を泳がせた。
「か、火事場の馬鹿力ってやつかな。あは、ははは」
こんなに情け無い肉体の、どこにそんなものがあるのか、自分自身疑問だ。説得力ない嘘だなー、と思い、悠は頬をぽりぽりと掻いた。
「え?」
ふわりとしたものが悠の視界を塞いだ。首筋から胸にかけて、柔らかい感触がある。
「やっぱり。悠ちゃんは、いつもそう。あたしが困っている時は、絶対に助けてくれる……。ありがとう。昔から、悠ちゃんは……あたしにとって、スーパーマンなんだよ」
「みみみみみ、美羽?」
美羽が悠に抱きついていた。潮にも負けない良い香りが悠の鼻腔をくすぐった。こんなに美羽とくっつくのは、小学校の二年生以来だ。悠の顔は滝のような汗でびしょびしょになった。
と。
「あ、あれ?」
悠の視界がぐるりと回り、見えるものは空だけになった。
「きゃあっ! 悠ちゃんっ? どうしたの、悠ちゃん!」
悠は仰向けに倒れた。抱きついていた美羽も、つられて悠の上に倒れ込む。
「悠ちゃぁ――――ん!」
遠ざかる美羽の絶叫を聞きながら――悠は、意識を手放した――。
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