エピローグ(2)

「え? マリア像とトイレの怪談も関係があるんだ?」


 腰かけていた机の上から思わず空は身を乗り出した。それから、何か知っているだろうかと陸の方をみやった。


 陸は何も知らないと言わんばかりに肩をすくめてみせた。


「六つすべて二十年前の津田沼校長の犯罪と関係がある」


 話が長くなると言わんばかりに、海は空の隣の席についた。


 それならばと陸も手近な席から椅子を引き出し、後ろ向きに腰かけた。


「父さんたちの話によると、二十年前、マリア像は血を流した」


「その話が血を流すマリア像の怪談になったんだよね」


「血、血っていうけど、本当に血だったのか?」


「人間の血だった。山下聖歌の事件で警察はマリア像から二つの異なるDNAを発見した」


「まさか本当に血を流したんじゃ……」


「像が血を流すわけはない」


 海は空にむかってきっぱりと言い、


「血はつけられたものだ。というより、ついてしまったと言った方が正確だ。つけた本人は気づいていなかったんだと思う。気づいていたら、その場でふき取ったはずだろうから」


「それはつまり……」


 空はごくりと唾をのみこんだ。


「マリア像のある礼拝堂は宮内先生が殺された現場だった。頭がい骨の後頭部が割れていたから、たぶん殴られたんだ。襲われた時の血がマリア像に飛び散ったんだろう。数か月後に生徒に発見されて、マリア像が血を流しているという騒ぎになった」


「DNAは宮内先生のものと一致したんだ……」


 家宅捜索により、市川の自宅からは盗まれた骨格標本、宮内理恵の白骨体が発見された。布に包まれ、大切に保管されてあったのだという。


 腰かけている机の上を、空はそっと撫でまわした。聖歌と話す時はこうして机の端にちょこんと腰かけたものだった。たわいもない話で盛り上がっていた放課後や昼休み。聖歌の笑顔を二度と見ることはできない。


「トイレはどうなんだ?」


 陸に話題をふられ、海は再び話し始めた。


「死体は薬品を使って骨にされた。その処理をどこで行ったと思う?」


「トイレか……」


 少しの間考えてから陸が答えた。


「死体を処理した液体を下水に流した。不手際で髪の毛が不自然な形で残ってしまったんだろう」


「それが、トイレの紙さまは長い髪の女性ってことになった。異臭はただ下水が詰まっただけじゃなくて、宮内先生や笹木くんの死体の腐敗臭でもあったんだ……」


 空の頭の中で二十年前の出来事がつながり始めた。


「海の話をまとめると、つまりこういうことだ。津田沼校長は宮内先生を礼拝堂で殺した。その時にマリア像に血痕がつき、血を流すマリア像の怪談が出来上がった。死体の処理をしたトイレでの不始末からトイレの怪談が、白骨体は骨格標本の怪談を逆手にとってわざと人目に晒し続けた。殺人現場の目撃者、笹木くんも殺した。その時に脱げた靴が八角の間に残って、異次元へつながっているという怪談になった。笹木少年の死体は地下室に隠された。腐敗臭を防ぐため、死体は石膏で固められた。石膏を盗み出したせいで動く石膏像の怪談が出来上がった――血を流すマリア像、トイレの怪談、骨格標本、八角の間の怪談、開かずの間、動く石膏像――怪談はすべて津田沼校長の犯罪を暴くヒントだってことか。でも六つしかないぜ。七つ目の怪談は?」


「陸が今、自分で言ったじゃないか」


 きょとんとしている陸に対し、海はいたずらっ子のように目をくりくりさせている。


「俺、何って言った?」


 陸は空の顔を見た。空は呆れかえっていた。


「自分で言って覚えてないんだ? ヒントがどうとか言ってたけど」


「ああ、そうだ、それだ。海、もしかして怪談七つ目は津田沼校長の犯罪か?」


「あたりだ」


 海は両手を合わせて軽く叩いた。


「七つ目の怪談は、津田沼校長の犯罪。六つの怪談を関連付けて津田沼校長の犯罪にたどり着き、真実を暴いた者は口封じのために殺される。それこそが怪談を七つ知ると死ぬという呪いの正体だ。怪談を七つ知ると死ぬなんて話が出来たのは十九年前。おそらく自分の犯罪が露見するのを恐れた津田沼校長が流した噂話だろう。怪談、つまり犯罪のヒントを得れば得るほど、津田沼校長にとっては知られたくない真実に近づいてしまうものだから、呪いで牽制したつもりだったんだろうが」


「寺内くんも六つすべての怪談を結びつけていって津田沼校長の犯罪を知った」


「学園の歴史について探っていたようだから、地下通路とボイラー室の存在にはすぐに気づいただろう。地下倉庫に閉じ込められたはずの笹木くんがどこからか脱出したことから津田沼校長も地下通路の存在に気づいた。生徒が閉じ込められると危険だからと言って地下倉庫の入り口を閉じたのも津田沼校長だ。自分だけが出入りできる場所にしておきたかったんだろう。骨格標本が本物の人骨だってことはもしかしたらずっと前から知っていたかもしれない。一つ、二つの怪談からだけでも、寺内なら津田沼校長の犯罪を暴くことができたかもな……」


 ライバル寺内篤史をどんな形でも褒めたり認めたりしなかった海だというのに、その口ぶりには称賛の意がにじみ出ていた。もう二度と憎まれ口を叩いたり、張り合うこともないのだと思うと、寂しいのだろう。


「事件が解決して、怪談の呪いもないとわかって、学園は静かになるのかな……」


 学園に伝わる怪談をメルマガに書いてから三か月。この三か月の間に多くの命が失われていった。わずか三か月という短い時間だというのに、三年でも三十年でも時が経ったような疲弊感がある。夏休みを無邪気に心待ちにしていた日々は遠い昔になってしまった。


「いや、もう新しい怪談が出来てるって」


 そう言ってしまってから陸はしまったという顔をしてみせた。


 海はたしなめるように陸を睨みつけている。


 空には聞かせたくない話だったようだが、空はその新しい怪談とやらを知っていた。


 礼拝堂の一番後ろの席に座っている少女の幽霊、誰もいないはずのPC室のキーボードが突然かちゃかちゃと鳴り出す、死んだはずの七美からメールが届き、そのメールを開けてしまうと三日以内に死ぬ……聖歌たちの浮かばれない霊が悪さをするといった話だ。


 不思議なことに、空はそれらの怪談を聞いても怖いとはまったく思わなかった。怪談なんてものをもう信じていないし、幽霊より怖いのは人間だとわかったからだ。心の底では幽霊でもいいから聖歌たちにもう一度会いたいと望んでいる。怪談の中でだけでも聖歌たちが生き続けていってくれたらとさえ願ってしまう。


「空! 夏休みの予定は? 山、それとも海?」


 重くなりそうな空気をかきまわすかのように陸が調子っぱずれな声をあげた。


「両方!」


 空は勢いづけて机をとびおりた。


「海、せっかくの夏休みなんだから、勉強しないで遊ぼう!」


 ゆっくりと立ち上がった海とも腕を組んで空たちは教室を出た。ドアを閉める時になって空は、ちらりと聖歌の机を見た。


 九月になったらまた会おうね――


 胸のうちでそう別れを告げ、空たちは教室を後にした。


 校舎の外から見上げる空は高く突き抜けて、どこまでも青かった。

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ミラーツインの事件簿―学校の怪談殺人事件 あじろ けい @ajiro_kei

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