エピローグ

エピローグ(1)

梅雨があけ、青空が広がって空気が乾いてくると、事件のせいで重苦しかった学園の雰囲気も軽くなっていった。目の前に迫る夏休みの楽しい計画に誰もが浮かれている。


 しかし、空の気持ちは逆に沈んでいった。


 夏休みをむかえられなかった生徒もいるのだ――


「浮かない顔だな」


「私が怪談の記事を書かなかったら誰も死ななかったのかなって考えると……」


「……」


 嘘のつけない陸の正直さが今日に限って憎らしい。空は聖歌の机の上についた輪を指先でなぞった。花を活け続けてきた花瓶の底の跡がついてしまったのだ。


 終業式のこの日、花ごと花瓶は片づけられてしまった。こうして事件は過去のものとなっていく……。


「津田沼校長の運命は二十年前には決まっていたんだ。空が記事を書かなかったとしても、いずれ殺されていたさ」


 海なりに気をつかったのだろうが、つっけんどんな言い方のせいで優しさがちっとも感じられなかった。


「市川先生は復讐の機会を待っていたんだ。空の記事がなくても、いつかは津田沼校長の犯罪を見抜いていただろう」


「市川先生は復讐のために学園に赴任してきたんだよね」


「十九年……長げえよな」


 自分たちの生きてきた時間を超える年数に気が遠くなったのか、陸が深いため息を漏らした。


「ずいぶん都合よく学園に美術教師の空きがあったんだ?」


「前任の美術教師が亡くなったんで空きが出来たんだ」


「まさか……」


 空は言葉をのみ、同じことを考えたらしい陸と互いに顔を見合わせ、肩を震わせた。


「そのまさかだ。美術教師は殺された。もっとも、殺したのは市川先生ではなくて、津田沼校長だけど」


「津田沼校長が?!」


 空と陸とは同時に声をあげ、穴でも開けられそうな鋭い視線を海にむかって投げかけた。


「ひき逃げ事故で亡くなったってことになっているけど、運転していたのが津田沼校長だとしたら――」


「海、どうして津田沼校長が美術教師を殺したなんて思ったの?」


「笹木弘明くんの死体は石膏で固められていただろう? 美術室の石膏像がなくなっていたことで何者かが侵入したと美術教師なら気づいたと思うんだ。笹木弘明くんの事件と何者かが美術室から石膏を盗んだこととを結びつけて考えたかどうかはわからないけど、津田沼校長にとって美術教師が都合の悪い存在になったのは確かだと思う」


「それで、轢き逃げにみせかけて殺したってわけなんだ。その時に津田沼校長が捕まっていれば……」


 市川は復讐を考えなかったかもしれない。七美たちも死なずにすんだかもしれない。たらればの話だが、空は唇をきつく噛んで悔しがった。


「津田沼校長が轢き逃げ犯だという証拠はあるのか?」


 陸にむかって、海は曇った表情で首を振った。


「安達刑事に調べてもらったら、津田沼校長は事件現場で目撃されたものと同種の車に乗っていた。ただし色違いの」


「色なんて、塗り変えられるだろ?」


「でも捜査は津田沼校長には及ばなかった。轢き逃げは事故として処理された。後ろ暗い秘密を知った美術教師を殺して津田沼校長は安心していただろうけど、おかげで美術教師の空きが出来て市川先生が赴任してくることになったんだから、自分で復讐者を学園内に招き入れたようなものだ。二十年前、美術教師を殺した時点で津田沼校長は自分の運命を決めてしまったんだ。空の怪談記事のせいじゃない」


 空の罪悪感を取り去ろうと海は海なりに努力していた。


 慰めの甘い言葉でもなく理路整然としていて味気ないが、海の気持ちが空は素直にありがたかった。


「石膏像がなくなっていたことから津田沼校長の犯罪に気づき、殺された。まるで今回の事件みたいだな。もっとも、今回の事件の犯人は市川先生だったけど」


「もしも津田沼校長が生きていたら、怪談の裏に隠された真実を知った人間は津田沼校長の犯罪を暴く者として殺されていただろうね。それこそが怪談を七つ知ると死ぬという噂の正体なんだ」


 海の思考回路は複雑にして怪奇、空には理解できない。あっけにとられている空をよそに、双子だけに海の考えはわかると言わんばかりに陸は口元をほころばせていた。


「そうか、そういうことか」


「なんなの、ふたりして納得しちゃって。どういうことか説明して、海」


「裏口入学の証拠を握った人間を殺し、死体を骨格標本としてそばに置いておく。殺人現場の目撃、笹木くんも殺し、死体は地下に隠す。その腐敗臭を防ぐために美術室から石膏を盗みだした。それが動く石膏像の怪談の真実だろ。笹木くんの死体を地下に運んでいく途中で脱げた靴が落ちていたことから、八角の間は異次元につながっているという怪談ができた。実際は地下通路につながっていたわけだが」


「そっか! ひとつひとつは独立した怪談だけど関連づけていくと津田沼校長の犯罪にたどりつく!」


 海と陸とやっとつながったのが嬉しくて、空ははしゃいだ。


「待てよ、美術室の動く石膏像、八角の間、開かずの間、生物室の骨格標本……四つしかない」


 指折り数えながら陸が素っ頓狂な声をあげた。


「残りは、血を流すマリア像とトイレの紙さま、だね」


「それでも六つだ」


 陸の小指がピンと立っている。

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