先輩と氷砂糖

鳥見風夫

第1話

 カリッ

  先輩の口に含んだ氷砂糖が、音を立てて砕かれる。


「ねぇ後輩君。君は私のこと、どう思っているのかな?」

「急にどうしたんですか?」


 高校からの帰り道。部活動も終了し、とうの昔に日も暮れているような時刻。僕と先輩は二人きりで、夜の帰宅路を歩んでいた。


「なぁに、星空の下で二人きり。私も少し、ロマンチックな話をしてみたくなっただけさ」

「先輩ってそんなロマンチストでした?」

「人間誰しも、ロマンや夢を抱えていかないと生きていけない。現実だけを見ていることには、それ相応の苦痛が伴う」

「夢のないことを言いますね」

「もちろんだ。夢を見続けることだって、覚悟が必要だ。夢と現実。そこらへんのさじ加減は、調節が難しいのだよ」


  先輩はいつもこうやって、僕の話を煙に巻く。


「いつも現実だの夢だの言ってますけど、そう言ってる先輩に、夢はあるんですか?」


 そんな僕の質問に対して、先輩は首を傾げた。


「さて、後輩君。それを話すのなら、まず夢とは何か、というところから論じる必要があるな」

「夢とは何かって……なりたいものでしょう?」

「なりたいもの、と一言でくくってしまえば、様々な選択肢が生まれてしまう。君は心の中にある数多くの選択肢の一つだと思ってるものを、自分の夢と言えるかな?」

「随分と理屈っぽいことを言いますね。じゃあ、心の中で特になりたい、と思っているものは?」

「そういう質問の答えなら。真っ当な人間、かな」


 その答えに、僕は少なからず驚愕した。まさか先輩の口から、そんな言葉を聞く日が来るとは。

 さて、なんと言えばいいのか。数秒考えこんだ後、僕は先輩を真正面から見つめた。


「何かしでかしたんですか? 一緒に警察行きますから、自首しましょう」


  しばらく、僕と先輩の間に沈黙が流れた。先輩の表情は段々と笑いを堪えるようなものになり、間もなくしてそのダムは決壊した。


「アハッ、アハハッ! まさか君から、そんな頼もしい言葉を聞けるとは。予想外だったよ!」

「何がおかしいんですか⁉」

「どうやら勘違いしているみたいだね」

「先輩がそんなことを言うなんて、人間としての道を踏み外しちゃったとしか思えませんよ」

「安心したまえ。私はまだ、人間としての道は踏み外してない」


 まだ、という部分がそこはかとなく気になるが、そこはスルーしておく。先輩のそういったところに付き合っていると、会話の内容は一時間経っても進まないと思う。


「私が真っ当な人間と言ったのは、性格的な意味でだよ」

「え?」

「まさかこの私が、犯罪を犯したとでも思ったのかい?」

「違うんですか?」

「違うとも。つい最近知ったのだが、私は少々、普通の人より性格が捻くれているらしい」


 少々? と首をひねる僕を無視して、先輩は言葉を続ける。


「それなら、普通の性格というものを知ることができれば、もしかしたら君が見ている世界、というものを知れるような気がしてね」

「僕が見てる世界、ですか?」

「あぁ、君が見ている世界だ」

「そんなもの、先輩と大して変わりませんよ」

「それでも、だ」


 そう言って先輩は、手に持っている袋から、氷砂糖を二粒取り出した。


「例えばこの氷砂糖は、まったく同じというわけじゃないだろう? 探せばどこかしら違いはあるはずだ」

「そうですね」

「だったら同じように、君が見ている世界と私が見ている世界。見ている人物やその位置が違う以上、違わないはずがない」


 先輩が手に持った片方の氷砂糖を手渡してくるので、素直に礼を言って、口の中に放り込む。

 ガリッ、と音を立てて噛み砕くと、塊となっていた砂糖が崩れ、砂のように広がっていく。崩れた氷砂糖は、一瞬、口の中に甘さを残して消えた。それはまるで、砂上の楼閣にも似ている。


「私は、君が見ている世界を見てみたい。君が考えていることを理解したい。君の全てを知りたい」

「そのセリフ、僕じゃなかったら勘違いしてますよ」

「私は別に、勘違いしてくれてもいいのだよ?」

「今は、勘違いしないでおきます」

 

  僕と先輩の二人きり。まるでこの世界には、僕たち二人しか存在しないのだと、錯覚してしまいそうなほどに静かだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

先輩と氷砂糖 鳥見風夫 @3141592

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ