後日談:振り返っても

「こーちゃん、こーちゃん」

「……」

「こー、ぉー、ちゃんっ!」


 布団にて眠るオレの体を、結唯が揺さぶってくる。最悪とまではいかないが、なかなかに寝覚めの悪い朝だった。


「ほーらー、起きてくださーい」

「……はええよ」


 寝ぼけ眼で時計を確認すると、不機嫌もあらわにぼやいた。

 普段ならばあと二十、三十分は寝ているところだ。そんなに早く起きたところで特にやることもないので、眠れずともせめてこのまま布団に潜っていたい。


「だーめっ、です。ちゃんと早起きしましょ、ゆっくりのんびり朝の語らいを致しましょうよぉ」

「……」

「む~」


 断固として起きてやるか――と布団を被り直して対話を拒否する。

 すると何を思ったのか、オレの耳元へ結唯の顔が近づいてくる気配がして、


「起きてください? ――お・に・い・ちゃ・ん……っ♪」


 ノールックで頭を引っぱたいてやった。そこそこ良い音が響いた。


「ぃ……ったぁーいっ! なーにすんですかっ、バカになっちゃいますよ!」

「これ以上か?」

「心外な。私にだってまだまだバカになれる余地はありますよ、伸びしろの塊ですよ」

「威張るとこじゃないとは思うが……まぁ、それは困るな」


 どうもおとなしく寝かせてくれそうもないし、すっかり目も覚めてしまったので仕方なく起き上がる。

 困ると言ったのは偽りない本心だった。結唯がバカになってしまうと勉強を教える身であるオレの負担が増えるし、予定している『進路』にも支障も出てしまう。これからは引っ叩くのは頭じゃないところにした方がよさそうだ。


「ってか、オレはオマエの兄じゃねえ」

「いーじゃないですか。予行演習ってやつですよ」


 あの後すぐに、半同棲の生活が始まった。

 と言ってもまだ荷物の整理が済んでいないというだけで、オレたちの住んでいるアパートは近々引き払うため、そこからは完全な同棲となる。

 籍はまだしばらく入れないらしい。オレの苗字が急に変わってしまったら、クラスで浮いてしまうかもしれないことを危惧きぐしてのことだそうだ。別にそんなの気にしないのだが、二人にも色々と準備があるのかもしれない。主には『心の』だと思うが。

 なので予定としてはオレたちが高校に入る頃を目安に考えているらしい。そこらへんは本当に大人同士の話になってしまうし、オレも結唯もそれ以上急かすつもりはない。

 二人がちゃんと幸せを感じてくれているなら、それでいい。


「おにーちゃんのお目覚めですよー」

「だから気がはええって……」


 あくびを噛み殺しつつ階段を降りていく。するとキッチンの方からは母さんが、リビングの方からは隆則さんが声を掛けてきた。


「あらおはよう、

「やっ、おはよう。

「……」


 ここからは視認できないが、二人のニヤついた表情が目に浮かぶ。くっそ、完全にアウェーじゃねえか。


「結唯ちゃん。できたお料理、運んじゃってくれる?」

「かしこまりました、!」


 結唯の後を追ってキッチンへと向かうと、そっちももうその呼び方してんのかと、二人へ意味深な視線を向ける。先にそれに気づいた母さんが首を傾げていた。


「ん? どしたの、孝貴?」

「いや……突っ込まねえの? 『おかーさん』呼びに対して」

「実質もう家族みたいなもんなんだからいいじゃない」

「でも、なぁ……よくそんなすぐ馴染めるな」

「元々娘みたいに思ってたからね、誤差みたいなものよ。それに細かいこと気にすんなって言ったの、アンタでしょ?」


 意趣返いしゅがえしだと言わんばかりにドヤりながら、料理を盛りつけている母さん。それをせっせとダイニングテーブルへと運んでいる結唯は、「手伝おうか?」と隆則さんが聞くも「お構いなく!」と笑顔で元気よく答えている。

 何とも平和な、明るい家庭の朝の一ページだった。思わず表情が緩む。

 結唯がオレを早く起こしたのは、この時間を設けるためだったのかもしれない。出掛けるまでに少しでも長く、家族の団欒だんらんというものを共有したかったのかもしれない。


 意図せず、ふっと笑いがこぼれた。

『今度からはちゃんと、早起きしてやるか』と――。



     ◇     ◇



「あの、おにーちゃん」

「……」

「こーきおにーちゃん」

「……」

「……こーちゃん?」

「なんだ」

「聞こえてるなら返事してくださいよ!」

「オマエにその呼び方を慣れさせたら困るんだよ。学校で『おにーちゃん』呼びされたらたまったもんじゃない」

「あっはっはー。だいじょぶですって、ちゃーんと学校では気を付けますて~」

「オマエのことだから、こんがらがって『おーちゃん』とか『にーちゃん』って呼ばれる未来しか見えないんだが」


 通学中、そんな他愛もないやりとりをしながら歩を進める。

 過去に結唯は男性教師を幾度も『おとーさん』と呼んでいる前科持ちだ。信用などとうに地の底まで落ちている。女性教師を『おかーさん』と呼んだことがないのは、その呼び方になれてなかったからに他ならないだろう。

 しかし残念なことに、これからはその心配もせねばならない。無論、オレに対する『おにーちゃん』も非常に困るので逐一ちくいちとがめることにする。


「で、なんだよ?」

「あの、本当に目指さないといけませんか? 聖煉せいれん学園……」


 オレたちは先日、進路についての話をした。

 まだ中学一年生であるため受験勉強を始めようという話ではないが、目指す先の意識だけは、はっきりさせておきたかったからだ。


「ああ。問題あるか?」

「そりゃー、一緒のとこ通えた方が楽しそうですけど。こーちゃんならもっと上のとこ狙えるでしょうし」

「自分も死ぬ気で受験勉強したくないし、ってか?」

「そーです、そーなのです。……あっ、いえっ、つい本音が出てしまったわけではなくってですね」


 わたわたと慌てふためく結唯。どこまでも正直な奴だと感心してしまう。


「私ももう、こーちゃんがいないと生きていけないよーな、おばかさんじゃありませんからねぇ」

「……前はそうだったのか」

「えぇっ、そりゃーもう! お恥ずかしながら!」

「恥ずかしいってんなら胸張るなよ」


 肩辺りにチョップでもくれてやろうかと手を掲げてしまうが、その手がピタリと固まった。

 止まったお陰で結唯は攻撃されかけていることに今更ながら気づき、咄嗟とっさにガード体勢を取ろうとしていた。遅すぎる。


「まぁ、それに関してはオレも結唯のこと笑えないか。オマエはオレがいないとダメだなんて勝手に見下して、偉そうに保護者面してたからなぁ……」

「さっすがこーちゃんです、よくわかってます。それめっちゃ正しかったです」

「そんなだから、あえて別々の道に行くってのもお互いのためになるのかもしれない。けど、なぁ」

「はい?」

「オレはまた、会いたいんだよな。アイツらに――拓海たくみや、小夜子さよこに。……あとついでに、神志名かしな先生に」


 空を見上げて、思い浮かべる。

 リオに見せられた世界の中で出会った人たちの顔を。


「あぁ~……なーるほどぉ。しっかし『ついで』とは可哀想な先生です」

「名前出しただけマシだと思ってくれ。オマエだって会いたいだろ?」

「んまぁ、そですね。会いたいです、けど――」

「けど?」

「……会えます、かね?」

「会えるさ、きっと」


 結唯の懸念も最もだ。

 あの未来がどこまで忠実なものなのか定かではないし、この先出会える人にも多少なり差異は出てしまうと思うから、そこに関してはオレも確証はない。

 しかしリオの能力でみせられる未来というのは、総じて不幸なもののはずだ。そして拓海や小夜子、ついでに神志名先生と出会えたことが不幸なはずがない。むしろ幸福寄りだ。

 わざわざ無意味な幸福を付随させる必要性も感じないし、アイツらとの出会いは、おそらくそういったものとは無関係なのだろう。

 だからきっと同じ高校へ行けば、同じ人たちと再び出会える。そんな風に考えていた。


「だから、行ってみないか? 聖煉に」

「行けますかね?」

「……行けるさ、きっと」


 間が空いたのは、ほんの一瞬だ。断じて不安になどなっていない。

 そもそも結唯の成績では聖煉学園に受かることなど絶望的なはずなのだ。不安になるなと言う方が無茶な注文である。

 しかしそれでも、オレには根拠があった。これは永遠の謎と化してしまいそうだが、純然たる事実がある。


「なんだかんだオマエ、一回も落ちなかったんだろ? なら平気……だろう、たぶん」


 結唯へというより、自分へ言い聞かせるようそう呟いた。

 それを受けて当の本人はというと、


「ん~……たぶん、なんですけど」

「……?」

「あれ、天使さまのご加護があったからじゃないですかねぇ」


 オレは露骨に顔をしかめて溜息を吐く。


「……なんでそこでアイツが出てくるんだよ?」

「だって、私が受かるとか奇跡じゃないですか? それを……私が覚えてる限りでは、三回ですかね。ぜーんぶ落ちずにいる確率ってヤバくないです? 天文学的数字が飛び出しちゃいそうですよ」

「だからアイツが『なんかしてくれた』って? いやいやねえって。しねえだろ、そんな無意味なこと」

「むっ。こーちゃんってば酷い言い草ですね! あれだけお世話になっておきながら!」

「オマエこそあんな目に遭っておきながら、よくもまあそんな敬虔けいけんでいられるな」

「だーって、はじめっからそうおっしゃってたじゃないですか! 辛い想いするかもしれないーとかなんとか!」

「それにしたって限度ってもんがあるだろ……」

「まーったく、女々しい人ですねぇ。あんな存在をお目にかかれただけで、思わず全世界に自慢したくなるほどの素晴らしい体験だと思いますのに……」


 なおもぶつくさと文句を垂れている結唯に、肩をすくめる。呆れもしたが、同意してしまう気持ちもあった。

 きっと他にも『天使』と呼ばれる存在はいるのだろう。もしかしなくてもあの性悪天使とは比べものにならないほど親切で、もっと楽に事が運んだのかもしれない。そんな相手にならば、オレも結唯と同じように心からの感謝だけを向けているかもしれない。

 それでも、思う。


 ――自分たちの前に現れたのが、リオで良かった。


 オレたちに今在る全ては、リオのお陰だ。他の天使ではこんな結果には至らなかっただろう。そしてその結果は幸福でしかなく、口に出しこそしないが、感謝しかない。

 今度会えたら一週間限定とケチくさいことを言わず、その先永遠に毎日ファボチキをおごってあげることにしよう。この辺りのコンビニに並ぶ全てのものを、あの御方に献上して差し上げ――


「――おい、バカ野郎」

「えっ、なになに。なんかおかしかった?」


 デジャブだ。以前にもこんなことがあった気がする。勝手に人の心を捏造して代弁してくる、超絶可愛くない生き物がいたような気がする。

 振り向きたくない。オレたちの背後にすっげえイラっとくる存在がふよふよと浮かんでる気配を感じる。


「あらっ、これはこれは天使さま! お久しぶりです!」

「や。元気にしてたかな、結唯ちゃん」

「えぇ、お陰様で。こうしてまたお会いできたことで、一層元気になりました」

「それは何よりだ。キミがそう言ってくれたらボクも天使冥利みょうりに尽きるよ」


 いつものことではあるが、あからさまにオレと結唯とで向ける表情が全く違う。オレの態度が問題なのだとわかっていても、ここまでの差があるとさすがにに落ちない。


「……なんでいるんだよ」


 正直相手にしたくなかったが、これも経験談だ。コイツは自分が満足するまで絶対に帰ってくれない。さっさと満足して頂いて退散してもらうに限る。


「先にボクの話をしていたのはキミたちの方だろう。だから来てあげたってのに、やんなっちゃう」

「そですよ。お忙しい合間を縫って来てくださったのです、もっと感謝の気持ちを前面にですね」

「結唯ちゃんは良い子だなぁ。おまけに可愛いし、こんなヘタレにゃもったいないよ」

「いえいえそんな。そういう天使さまこそ、相変わらずとっても可愛らしいです。まさに天使さまって感じです、眼福です。ありがたや」

「ねー?」

「ねー?」

「……」


 ニッコリとした満面の笑みで見つめ合っている。地獄絵図だった。

 この二人……否、二匹が揃うとウザさが青天井でオレの精神的疲労がヤバい。もしこの状況を打破してくれる存在がいるなら、それこそオレは天使や神として一生あがめ続けてしまいそうだ。


「ああ奇遇だな、オレたちも忙しいんだ。そろそろ本気で学校へ向かわないと遅刻しちまうんだ。じゃあな」

「――まぁまぁ、そうつれないこと言わずに♪」


 そう言って早歩きで去ろうとしたら、一瞬で正面に回り込まれてしまった。間違いなくホラー作品のワンシーンだった。どこが天使だ、やっぱ悪魔じゃねえのかコイツ。


「ねぇ、こーきくん。キミってさ」

「……なんだよ」

「ほんっと、『ツンデレ』だよねぇ?」

「……」


 にんまりと憎たらしい笑みでそんなことを言ってくる。


 ――オマエはほんっっっと、可愛くねえな!!


 目の前にいる悪魔に伝えようと、心の中でそう強く念じた。

 いったいどこから心を読まれてた? 何を聞かれた? 全身から嫌な汗が噴き出し、心臓が早鐘はやがねを打ってしまう。


「つん、でれ……? なになに、なんの話ですか?」

「聞いてよ結唯ちゃん。このこーきって男はね、口では毒ばっか吐いてくるけど、実は――」

「おいばかやめろ」


 妙なことを教えられて、二人で結託されては堪ったものではない。そう思いリオの口を塞ごうとしたら、ヒラリとかわされてしまった。


「――


「……『も』? おや、おやぁ……?」

「……」


 リオの台詞に秘められた意味に気づいてしまったらしく、結唯までにんまりとした笑みを向けてきやがった。なんでこういういらん時だけ頭の回転が速いんだ。

 握った拳をわなわなと震わせるが、矛先が無い。リオにはあっさりと避けられてしまうだろうし、結唯の頭にお見舞いするわけにもいかない。


「――!」

「てめえいつかぶっころす」


 最悪だ。口ではこうして毒を吐いても、それが照れ隠しゆえのものだということがコイツには当然バレてしまっているのだろう。

 ちくしょう。はなっからコイツの言葉に耳を傾けるんじゃなかった。『神にしてやる』などと妙なことを口走るんじゃなかった。魔が差したとはいえ、礼の言葉なんて浮かべるんじゃなかった。

 後悔をいくら並べたところで、オレ自身が照れ隠しだということを自認してしまっている今、状況が悪化するだけだ。実際リオの野郎は笑いを堪えるのに必死で、見るからに爆発寸前だった。


 ――振り返っても……これはもう、どうにもならない。


 ……ああ。

 なぜオレは、こんなにも浅はかで、愚かなことを思ってしまったのだろう……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

振り返ればあの時ヤれたかも 紺野咲良 @sakura_lily

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ