終結:『天使』

 あらかた話がまとまったところで、オレは母さんを外へと連れ出した。始めこそ困惑していたが、きっとどこへ行こうとしているのかを察したのだろう。黙って後を付いてきてくれている。

 そろそろ向こうも終わるだろう――と思っていたら、どうもあちらの方が先だったらしい。既に結唯ゆい隆則たかのりさんは家の前で待っていてくれた。

 互いに覚悟はしていたつもりでも、いざ顔を合わせると……そう簡単な話でもないらしい。


「……」

「……」


 隆則さんはぎこちない笑顔を浮かべ、母さんは口を開くも言葉が出てこない。その後何度かちらちらと二人して相手の様子を伺うも、一向に何も始まらない。それどころか揃ってうつむいてしまった。

 結唯も心配そうにこちらを見てくる。オレは無言で頷き、「大丈夫だ、二人を信じろ」と目で伝える。それに納得した様子で頷きを返してくれた。

 長い、長い、沈黙だった。

 誰も口を開く様子がなく、とうとうおろおろし始めた結唯のことは少し気の毒に思ったが、この根競べは避けて通れない。この先は二人自身に乗り越えて貰う必要がある。


「……お久しぶりね、隆則さん」


 予想はしていたが、その均衡きんこうを破ったのは母さんの方だった。ばつが悪そうに隆則さんが苦笑いで応じる。


「久しぶり、だね。……そちらも、手酷くやられたかな?」

「ええ。全く……情けない限りだけど」

「子供たちに、こんな心配されてしまうとはね。いやはや、恥じ入る限りだよ……」


 二人して盛大に溜息をついた。そして母さんは結唯へ、隆則さんはオレへ顔を向けてくる。


「ごめんなさいね、結唯ちゃん」

「すまない、孝貴こうきくん。嫌な想いをさせてしまって」


 結唯と目を合わせてから、揃って首を振った。おそらく結唯も似たようなものだったと思うが、内心『気に病むな』と『しょうがない大人たちだ』が混じり合ったような心境だった。


「今すぐどうこう、ってわけにはいかないけど……意図的に会うことを避けたりはもうしないわ。ひとまず、それでいい?」

「そこらへんはまた、二人の問題だろうしな。これまで通りに戻ってくれるなら、それでいい」

「もー、ダメですからね? 私たちのせいで二人がもう会わないとか、なんともまぁはた迷惑なことです」


 結唯は頬を膨らませてぷりぷりと怒っている。至って同感だったので、オレも苦笑しながら大仰に頷いた。


「まったくだ。お節介焼きにも限度ってもんがある」

「それに関しては、アンタらも人のこと言えないでしょ」

「さっきも言ったろ。似ちまったんだろ、揃いも揃ってな」

「ほんっと、ろくでもないとこが似ちゃったわねぇ……」


 母さんが額を押さえて盛大な溜息を吐く。そして急に何かを思いついたのか、顔を上げてすたすたと歩き始め……隆則さんの正面で立ち止まった。

 母さんを除いた他の三人には訳も分からず、皆して固まっていると、


「どうせなら――、似て欲しかったんだけど……ねぇ?」


 あろうことか、隆則さんの頬へと(それも限りなく唇に近く見えた)唐突にキスをした。そしてそのまま、背中に腕を回して抱きつく。

 隆則さんは気の毒になるほど顔を真っ赤にさせていて、しばしわたわたと両手を暴れさせていたが……やがてぎこちないながらも抱き返すことに成功していた。


「ば、晩御飯つくってきますねー! ど、どぞ、ごゆっくりぃ~……」


 オレは呆気に取られていたが、結唯がそう叫んだことで我を取り戻す。居たたまれなくて逃げ出しやがったのか、アイツは。

 まぁそれならこっちも空気を読んで退散しとくか――と思っていたら、


「――なんだ?」

「――なに? この……声……?」


 二人が辺りに視線を彷徨わせていた。オレには特に何も聞こえず、ただただ首をかしげる。


使…………?」

「……は?」


 そう言って母さんが驚きに目を見開いていた。それを聞いたオレも同様に目を見開いてしまう。

 無意識に母さんの視線の先を追ってみると――確かにそこには、リオの奴がいた。


「僕らは……夢でも……見ている、のか……?」


 茫然とした様子で隆則さんも呟いた。

 しかし、どういうことだ。なぜ急にリオの姿が二人にも見えるように……? さっぱり訳がわからず、二人の表情とリオを交互に見てしまう。


「――――」


 リオは口を動かしていた。しかし、オレには奴の声が聞こえない。先ほどから母さんと隆則さんにだけ声を届けていたのだろうか。

 何を言われているのかはさっぱりだが、二人の表情がみるみる驚きに染まっていく――と、次の瞬間……二人は涙を流した。

 見つめ合い、照れくさそうに笑い合い……揃って深々とリオへと頭を下げる。


「ありがとう、ございます……」


 泣きじゃくりながらも、なんとか隆則さんがそう言葉を絞り出した。

 そして再び、二人は抱き合い始める。母さんは泣き顔を隠すよう、隆則さんの胸に顔を埋めて。隆則さんはとめどなく流れる涙を拭おうともせずに。

 それはあたかも神の言葉により救われた人間たちの姿のようだった。



     ◇     ◇



 二人をその場に残すのは少々後ろ髪を引かれるが、どうしても話しておくべきだと思い、目配せでリオに「来い」と告げて歩き出す。

 ある程度離れた辺りで、リオが呑気のんきな口調で喋り出した。


「良かったねぇ、丸く収まりそうで」

「ああ、お陰様でな」


 本当に、心からそう思った。コイツがいなかったら、こういった形の未来は有り得なかったと思う。

 オレたちは誰もが臆病で、独りよがりだった。誰もがそれぞれに誰かのことを思ってるようでも、真にその人のためになることをできなかった。

 こちらのそんな心情を見抜いたのか、リオがおもむろに口を開く。


「キミたちは間違える生き物だ。自分が思うほど正しい存在じゃない。だから補い合う。頼り合う。支え合う。守りたいものを、大事な存在を見つけ、助け合い生きていく。それは人として在るべき、限りなく理想に近い姿であるって思うなぁ。一人じゃ生きていけないんだろう? 人間ってやつは、さ」


 ずいぶんと饒舌じょうぜつで、それも遠い目をしながらの語りだった。

 リオもこれまでに多くの人間たちの姿を見てきたのだろう。そしてそのどれもが望ましくない結末を迎えてしまった。

 初めての成功例となってくれた今回の件は、コイツにも感慨かんがい深いものがあったのかもしれない。


「やけにらしくないこと言い出したな」

「お陰様で神様に一歩近づけたもんでね」


 悪戯っぽく片目をつむってくる。全くもって神らしくはないが、コイツにはしっくりくる仕草だった。


「なあ、リオ」

「うん?」

「あの二人にはオマエの姿が見えないんじゃなかったのか?」

「うん。でも見せることはできるよ。助けようと思えば、助けられる。それでも自らを律するのが修行ってもんだ――って誰かが言ってた」

「なるほど、ね……そりゃまた余計にしんどそうだな」

「全くね。こんなおきてを考えた人はよっぽど性格が悪いと思うよ」

「ソイツもオマエにだけは言われたくないと思うぞ」

「えぇー、なんのことかなぁ~」


 自覚がある奴しかそんなとぼけ方はしないのだが。突っ込んでも面倒くさいことにしかならないから性質たちが悪い。


「……で。結局、あの二人に何を言ったんだ?」


 一番に聞きたかったのは、もちろんそれだ。

 掟を破ってまで……それもオレには聞こえないよう、わざわざあの二人にだけ。そんなのすこぶる気になってしまって当然だ。


「一週間おやつ抜き、だったか。オマエにとっちゃ大事おおごとなんだろ? そこまでして何を伝えたかったんだよ」

「ないしょ」

「……」


 茶目っ気たっぷりに笑ってくる。コイツがこういう奴だとは知っていたが、こっちがいつもより真面目に聞いていた分、余計に腹が立つ。


「安心して、悪い話じゃないから。ボクなりのお詫びのつもり」

「お詫び?」

「うん。だってボクがもっと早く伝えてあげてれば、もっと早い段階ですんなりと解決してたと思うから」

「……そうか」


 あの二人の表情から察するに、明らかに良い知らせなことぐらいはわかっていた。それでも気にはなってしまうが――

 全てを知る必要もない、か。今は素直に信じておこう。この気まぐれな天使のことも。


「なら、一週間はオレがまかなってやるよ」


 自分でも不思議だったが、なぜかそんな台詞を発してしまっていた。

 リオは目をまん丸にさせて首を捻っている。


「……いちおう聞くけど、なにを?」

「もちろん掟破りのペナルティの件だ。間食ぐらいならおごってやるさ」

「神(仮)を養おうっていうの? キミの傲慢ごうまんさは天井知らずだね」

「いらねえなら別にいいが」

「いるいるっ、ちょーいる! ボクもーお腹ぺっこぺこだし!」

「最初っからそう言え」

「いーじゃん、もーせっかちだなぁ。ちょっとした可愛いたわむれじゃないか」


 すっかり慣れてしまったこんなやり取りに、思わず笑みがこぼれてしまう。


「じゃ、さっそく――」


(――ファボチキください)


「わざわざ脳内に直接くんな、うぜえ」


 口では文句を言いつつも、その足はコンビニの方へと向いていた。

 コイツが今もオレの心を読んでいるのかは定かではないが、口に出すのはしゃくだったので、心の中でこう呟く。


 ――サンキュな、リオ。




     ◇     ◇




 ボクが伝えたこと、それは。


『キミたちの法律において、血の繋がっていない連れ子同士の結婚は禁止されてなどいない』――ということだ。

 もちろんそこに問題が全く無いというわけでもない。けれど子供たちの想いが本物で、キミたち二人が本気で応援してあげられるなら、大した壁じゃないはずだ。キミたちが結ばれ家族となり、これまで以上の強い絆さえあれば、容易く乗り越えられる。

 だからキミたちは、元々あまり悩む必要もなかったと思うんだ。ごめんね、伝えるのが遅くなっちゃって。


 ――天使リオ=プリーシアの名において、祈りを捧ぐ。

 キミたちの前途に、幸多からんことを――。

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