親子会議――浅井家

「上手くやれよ、結唯」

「そういうこーちゃんこそ、ヘマしないでくださいよ?」

「言うようになったな。無事終わったら、またここで落ち合おう」


 家の前まで辿り着くと、それだけのやり取りであっさりと別れた。そして互いに、それぞれの親が待つ自宅へと向かう。

 結唯のことはもちろん心配だった。けれどグっとこらえ、振り返ることなく歩みを進める。

 これもまた、リオの能力のお陰で知ることができたことだ。アイツはオレがいなきゃ何もできないような奴じゃなかった。如何いかにおこがましかったかを痛いほど理解させられた。

 アイツはオレなんかよりも精神的に大人で、ずっと強かった。隆則さんへ投げかけるべき言葉もオレより断然わかってるはずだ。

 今いだいている自信は、いつもの悪癖なんかじゃない。

 見せつけられた結唯の強さを、大丈夫だと言ってくれたリオの言葉を――アイツらのことを、オレは信じる。それはなんとも心地よく、この上なく心強い感覚だった。


「ただいま、母さん」

「おかえりなさい、孝貴」


 声を掛けた時、母さんは冷蔵庫の中を覗き込んでいた。時間的に晩御飯のメニューでも考えていたのだろうか。


「なあ、ちょっといいか」

「ん? どしたの?」


 母さんは冷蔵庫の扉をパタンと閉じ、こちらへと向き直る。


「母さんの幼馴染って、どんな奴だったんだ?」

「これまた急ね」


 つい単刀直入に聞いてしまったが、ありがたいことに「アンタも中学生になったんだもんねぇ」と勝手に納得してくれた。


「んー、どんなって言われても……前にも話したでしょ。アタシも男勝りな性格だったし、男同士の友達みたいな感じだったって」

「前に話してくれた時は、高校が別々になった後、なんやかんやあって恋してんだって気づいて、電話して会って……とかなんとか、ざっくりとした説明してくれたよな」

「いやさ、アタシだってそこら辺の記憶が曖昧あいまいなのよ。その後の出来事が衝撃的過ぎたんだと思う」

「彼女がいるってのに……押し倒した、だっけか。確かに衝撃的だな」

「そ。まっさかデキるとは思わなかったから、その時は本気で焦ったけど」


 いつもの調子で歯を見せて笑う母さんに釣られてこちらまで表情が緩む。その当時は言葉通り焦ったはずでも、今ではこうして笑って話せる思い出となってくれているのだろう。改めて母さんの強さを思い知らされた気がする。


「結ばれはしなかったけど、アタシはちゃんと幸せだよ。好きなヤツの子を産めて、こうして立派に育ってくれてんだからさ」


 そう言ってオレの肩を強めに引っ叩いてくる。これまでのオレであれば、ここで満足して話を切り上げたことだろう。

 でも――


「もう、やめないか?」


 言葉の意図がわからないといった様子で、母さんが眉根を寄せる。


「……どういうこと?」

「オレも母さんに似ちまったから、わかるんだよ。なんでもかんでも一人でやろうとしているよな。しかしそれにも、限度ってもんがある」

「……」

「これまでは頼れる相手が誰もいなかったから仕方がない。でも、今は違うだろう? 信頼し合える相手が――共に歩んでいけそうな相手が、すぐ傍に居るんだからさ」

「……驚いた。アンタがそんな話を切り出してくるなんて」


 母さんの驚きも最もだろう。オレがそういった方面でお節介を焼こうとすることなど、これまでならまず有り得なかった。

 でも――きっと、必要なんだ。オレたち四人のために、はっきりさせとかなきゃいけないことなんだ。


「母さん、わかんなくなってるんだろ?」


 母さんは無言でオレの顔をじっと見つめる。その表情に変化は見られないが、ほんのわずかに目が泳いでる気がする。


「自分が本当に間違っていないのか、ずっと不安で。それでも相談できる相手も周りにいなかったから、全てを自分で決めるしかない。自分がどこまで頑張ればいいのか――自分がどこで落ち着いていいのか、もうさっぱりわかんないんだろ」

「……」

「ここで誰かと結婚することを選んだりしたら、結局男の手を借りなきゃ――一人じゃ無理だったってことを認めることになるんじゃないかって。自分を甘やかしてるんじゃないか、逃げなんじゃないかって。そう思っちまいそうで怖いんだろ」


 オレ自身、リオに頭を下げる時は……怖かった。

 今しがたオレが言った台詞とほぼ相違なかった。あれだけ大口叩いたくせに、結局オレは無力で。わからないからと教えを乞うのは、逃げにも思えて。

 自分の力を過信しているあたり、変にプライドが高いあたり、親子で本質的に似てしまっているのだと感じた。境遇は全く違うため、一緒くたにするのは母さんに失礼かもしれないが。


「……あんまし、ちゃんと考えたことがなかった……かな」


 ふっと力なく笑ってみせる。そう言われてみれば、といった思いを含んだ苦笑いのようだった。


「ずっと必死でさ。アンタを立派に育ててみせる……そんなことだけ考えて――いや、それしか見えてなくって。余裕が全くなかったのは確かだよ」


 気まずさを誤魔化すように、頭をがしがしと掻く。

 その言葉に、表情に……オレははっとした。


 ――それしか見えてなくて。余裕が全くなくて。


 ずっとオレのことだけを一心不乱に考えてくれていた。それ以外のことに構っている暇はなく、オレが立派に育つことだけが母さんの願い。それは見方によっては、親のかがみなのかもしれない。

 しかしこれは……オレが失敗してしまえば、オレが道を間違えてしまえば、これまでの母さんの全てが容易く瓦解がかいしてしまうもので。自分の想いを犠牲にまでしていることで。

 それではいくらなんでも度が過ぎてる。危うくて、いびつで。母さんは母さん自身の幸せを、完全に度外視してしまっているんだ。


「『立派に』って、なんだろうな」

「……?」

「誰もが知ってる有名な大学を卒業することか? 誰もがうらやむような大手企業に就職することか? ……もしそうなったとして、『その後』はどうするんだろうな」

「その後、って?」

「つまり、オレがこの家を出て行った時点――母さんの下を巣立ってしまった時点で、母さんには何も残らなくなってしまうんじゃないか?」


 母さんはその先のことを考えていないはずだ。さっき言った通りのまま、オレを立派に育てて社会へと送り出す。そこまでしか考えてないのだと思う。


「……子供が、んなこと心配しないでいい。親ってもんは、子供を巣立たせてなんぼでしょ。それをどうこう言っちゃうのは、親として間違ってるとアタシは思う」

「それに関しては否定しない。――けどな」

「なによ?」

「母さんの一番の動機は、どうも違う気がする。なんていうか……『復讐』なんじゃないか? たぶん、自分を見捨てた親たちへの」


 母さんが妊娠した際、親には中絶するよう命じられ、それを拒否したから勘当された。そう聞いている。

 よく聞く話ではあるが、おそらく「お前一人で子育てなどできるものか」などと頭ごなしに否定されたのだろう。母さんの性格的に、それで逆に火がついてしまった様は想像するに難くない。

 これが図星だったようで、当時を思い出してしまったようで、母さんは悔しげに表情をゆがませていた。


「それが悪いこととは言わない。母さんを見捨てた奴らなんか、いくらでも見返してやって欲しい。けど、やり方が違うと思うんだよ。

 何を見たら、ソイツらが一発で度肝どぎもを抜かれると思う? 立派に育った息子の姿なんかより、もっと簡単で効果的なものがあると思うんだよ」


 仮にオレが大企業の社長にでも上り詰めたとしても、母さんは独り寂しい毎日を送っていたとしたらどうだろうか。

 それでも母さんは満足なのかもしれない。けれど、そんな姿を見る周りの目はどうだろうか。母さんの両親が目にしたら、どんな言葉を投げかけるだろうか。

『それが家を飛び出してまで手にしたかった生活なのか』と、憐れみすら抱かれてしまうのではないか。


「……なんだっての?」


「オレはな。母さんの『笑顔』だと思うんだ」


 母さんが目を見張った。畳みかけるよう、オレは言葉を続ける。


「たとえば、母さんの周りには笑顔の家族がいてさ。それ以上に母さん自身が幸せいっぱいですって顔してたら、きっとそれが一番の復讐になるんじゃないか?」


 見開かれた目が揺らいでいる。それが一理あるということを、頭では納得してしまったのだろう。

 それでも素直に頷けない理由は、わかっている。


「でも……そうしたら……」

「わかってるよ、母さんたちがを懸念してることぐらい」

「だったら――」

「でも、気にすんな。オレたちのことなんか」


 肩をすくめて苦笑いする。

 これよりオレが口にしようとしている台詞は、我ながら何とも情けないものが続いてしまいそうだ。それを思うとなかなか気が重い。

 けれど腹をえて、まくしたてる。


「母さんが幼馴染の時に後悔したからってな、いっくらなんでも気が早すぎるんだよ。オレは結唯が言うところの『にぶちん』だからさ。正直まだまださっぱりわかんねえ、愛だの恋だのなんてな。それがわかる日がいつになるかもわからないし、その対象が結唯になるとも限らない」


「……話した、でしょ? それに気づいた時には遅いかもしれないの。アタシがアンタたちの未来の芽を摘むなんて、とても――」


 ――耐えられない。

 きっとそう続けようとしたんだろう。

 自分のせいで誰かが苦しむことになる。それがどれほど恐ろしいことか、オレだって痛いほどわかる。


「オレは結唯のことを妹のように思ってるし、結唯もオレを兄のように思ってくれていた。

 ……そしてオレは隆則さんのことを父親のように思っていたし、結唯も母さんのことを母親のように思ってくれていた」

「……」

「隆則さんと母さんが、いつくっついてくれてもいいって……むしろ、くっついて欲しいって。ずっと思ってたんだよ。オレたち二人ともな。――なのに、途端に顔すら合わせなくなった」

「……」

「はっきり言って……寂しいんだよ。急に家族ぐるみの付き合いが一切なくなっちまってさ。胸にぽっかり穴が空いたような気分って、こういうこと言うんかな。

 しかもその理由が、オレと結唯のことを想ってのこととか言われても……納得できないんだよ。いつくるかわからない嵐に怯えて、引きこもってばかりいても仕方ないんじゃないか」


 母さんは口を開こうとするも、躊躇ためらいがちに目を伏せてしまう。

 自分で決めたことを曲げるのが怖いのかもしれない。自分を甘やかすことに繋がってしまいそうで抵抗があるのかもしれない。

 だから――卑怯なことだとは思いつつ、オレは言葉を続ける。


「オレらを助けると思って、頼むよ」


 母さんにとっての優先順位は、オレや結唯の存在が確実に上に位置している。オレたちのためにと思わせれば、しがらみも大分もろくなってくれるはずだ。

 そして母さんの知るオレは、こんな下手に出る言い方をしたりしない。その意外性も、母さんの心に効いてくれると思った。


「……ずいぶん、らしくないおねだりをしてくるわね。いったい何があったの?」

「さぁな。そんだけ参ってるってことじゃないか?」


 言うまでもなくどこぞの性悪天使に徹底的に叩きのめされたせいだが、どこ吹く風と笑ってみせる。


「母さんもついさっき言ってたろ。結ばれることばかりが幸せの形じゃない。兄妹として、家族としての幸せってのも十分あり得ると思うが」

「なのに、アタシたちには結ばれて幸せになれって勧めるの? 無茶苦茶じゃない?」

「細かいこと気にすんなって。そういうのはオレの専売特許だ。母さんは普段通り、もっと適当でいい」

「親に説教たれるとは、なんて生意気なのかしら」

「そんな風に育てたのも母さんだ。そんで、このぐらい言える年齢にもなった。だからもういいだろ? 母さん」

「……?」


 母さんが怪訝そうにオレの顔を見つめてくる。


「十分、頑張ってくれたんだよ。オレはもう大丈夫だ。これからは母さん自身の幸せを願ってくれていいんだよ」


 その目を真っ直ぐに受け止めて、柔らかく微笑んでみせた。自然とそんな表情がとれたことが自分でも不思議で、内心驚いてしまう。

 直前に、お手本を――リオの笑顔を見てきたからかもしれない。そんな風に思うと同時に、アイツの笑顔が目に浮かんできて、何やら心地よい熱が胸に灯った。


「……ほんっと、生意気。親の顔が見てみたいものだわ」


 てっきり冗談かと思い、親は母さんだろ――と言いかけたが、どうも違うようだ。

 今しがたの母さんの言葉が示す『親』とは、オレの親父にあたる、母さんの幼馴染。それともしかしたら……母さんの両親のことも指していたのかもしれない。


「ああ、いつか一緒に行こう。オレらがちゃんと幸せにやってるってとこ、見せつけにな」

「だったら、アンタはその仏頂面ぶっちょうづら。ちゃーんと直しなさいよ? 長いことアンタの顔見てきてるけどさ、アンタが『幸せですー』って顔してる瞬間なんて見たことないんだから」

「えっ、そ、そう……なのか? いや、オレはオレなりに、時々はそういう表情してたつもりなんだが……」

「ぜんっぜんだぁーめ。もっと表情筋を働かせろ、全身から幸せオーラをほとばしらせてみせろ」

「無茶言ってくれるなよ……」


 あまり鏡を見たこともなかったが、仏頂面と言われるほどとは思ってなかったのでショックだ。

 幸せオーラとかいう謎単語は無視するとしても、表情筋の方は真摯しんしに向き合うべきかもしれない。調べれば何かしら出てきそうだし、いずれは直さなければならないだろう。なぜなら――


「孝貴のお望み通り、しっかり話つけてきてやるからさ」


 母さんがオレの願いを聞き入れ、こう言ってくれたのだから。

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