私の弟が母に電話の子機を投げられた話をしよう
田所米子
昔の話です。
これは今からX年前の冬の話である。
当時高校三年生だった私(米子)は、今日も今日とて補習と課題でごっそり削がれたメンタルを抱え、バス停から徒歩五分ほどの所にある自宅に向かっていた。気力を回復させるには、一刻も早く我が愛しのお猫様をもふもふしてくんくんして、可愛いピンクの肉球をぷにぷにしなければならない。
というわけで急いで帰宅したのだが、その日はいつもと勝手が違った。というのも、私が帰宅するなり父がいつになく――まるでとっておきの悪戯を成功させた少年のように目をキラキラさせて、満面の笑みを浮かべてこう言ったのである。
「米子、今日めっちゃ面白いことあったんだぞ! 米男(弟・もちろん仮名)、今日学校サボろうとして、ババア(母のこと)に電話の子機投げられたんだぞ!! マジウケるよな!!」
今思い返しても、あれほどキラキラした目をした父を見るのはあれが最初で最後だった。私はそれまでに母に何度か「頭がおかしい」「理解できない」などと言われたことがあり、もしも物理的な暴力を振るわれるのなら弟より私が先だと思っていたので、そういった意味でも「おっ、こっちは先越されたか~」としみじみ感慨に耽ったりもした。
なにはともあれ、そんな珍事件が起きたと分かったからには、私も黙ってはいられない。なんせこんな珍事はめったに起きないのだから、心ゆくまで、徹底的に愉しまなければならないのだ。
いわば田所家は、「ケ」から「ハレ」のモードに突入したのだ。祭が始まったのである。だから父もきっと、あんなに楽しそうな顔をしていたのだろう。きっとそうに違いない。
これから何が起こるのだろう、と胸をときめかせながらすぐに弟の部屋に向かい、ふてくされたような顔して(実際ふてくされてもいたのだろう)ベッドに横たわる弟にこう言った。
「お前ババアに電話投げられたんだって!? ダッサー!!! マジウケる!!!」
その時、三歳年下の弟は絶賛反抗期中の問題児。どのくらい問題児なのかというと、ある事件を起こして校長室に呼び出されたレベルなのだが……。
「……マジ死ねや」
そんなこと言われたって、お姉ちゃんは何とも思いません!!! だってお姉ちゃんだから!!! 小さい時から、絶対的な地位の違いを叩きこんできた弟に死ねと言われても、痛くも痒くもありません!!!
その時の弟のスネた顔がまたツボにはまって、ひとしきり大爆笑した私だが、私にはお猫様をもふもふして(以下略)するという崇高な任務と使命がある。やるべきことをすべて終え、母不在の食卓で聞きだした事件の顛末は以下のような、非常にくだらないものだった。
事件が起こったその日は寒さが一段と厳しい日だった。だけど、我が家がある地区から、私も通った中学校まではスクールバスが出るので、登下校はそんなにつらくない。しかもバス停から家までは、徒歩でもたったの五分ほどしか離れていないのだが……。
グータラな私の弟は、その徒歩五分の寒さすらも厭い、出勤しようとしている母にこう頼んだらしい。
「寒いから歩きたくない。バス停まで乗せてって」
しかしその申し出はすげなく拒絶された。まあ当然ちゃあ当然である。
すると弟は、こともあろうにこうほざいたのである。
「じゃあ今日学校行かないから、電話しといて」
自分で電話をすると先生に怒られるから、保護者に電話させるという根性の浅ましさ。我が弟ながら指さして嘲笑したくなるレベルのクズである。
当然、母は怒った。そして、
「……こんな都合がいい時だけ、人に物を頼むな!!!」
と電話の子機を弟に投げつけ行ってしまったのである。自分で電話をしろ、ということだろう。その後、弟が学校に行ったのか、それとも自分で電話してサボったのかまでは覚えていない。まあ、それなりに対処したのだろう。ちなみに電話は当たらなかったか、もしくは足に当たったのだが、あまり痛くなかったという話である(うろ覚え)。これで頭にでも当たっていれば、もしかしたら弟のクズさと根性の無さも少しはましになったのかもしれないのに。
なお母は、私の父方の祖父母(農家)が持ってきてくれた野菜は「虫がいるかも」と一切手を付けない(でも自分の両親が趣味で育てた野菜は食べる)。なのに父(メロンを育てている)が「キズが付いたやつは売れないから食え」と私たち姉弟に持ってきてくれたメロンを「会社の人が喜ぶから」という理由で勝手に持って行ったりし、あまつさえ私たちを通じてメロンの催促すらしていたので、都合の良さでは弟といい勝負だと思っている。
さてここで普通の家庭なら、父なり私なりが取りなして弟と母を仲直りさせるところだが、私も父も、
「まっじくっだらな(笑)」
「でも今回電話で済んで良かったよな(笑) 今度同じことやらかしたら、今度は包丁とか投げられるんじゃねえの(笑) 気を付けとけよ(笑)」
と草を生やしまくるだけで、何かをする気などさらさらない。触らぬ神に祟りなし。私も父も、自分の身が一番可愛いのである。というか父は、母と性格の不一致により長年家庭内別居していたのでこういうことには使えない。どうしても話さなければならない用事があり、母に電話をかけたらガチャ切りされたぐらいなので使えない。
なお私も、諸事情あって中三の秋から母と本音で喋るのを止めたので、こんな面倒な事には絶対に関わらない。あと、高一の時の正月、離婚して母方に引き取られた伯父(父の兄)の娘が久々に挨拶に来てくれた後、従妹の顔が伯父そっくりで気持ち悪い、と蹲っている母の姿を見てから、心の底から母のことを軽蔑していたので。気持ち悪いのはお前じゃババア、このボケェ! テメエ昔、私に「人の見た目のことであれこれ言っちゃいけない」とか言ってきたよな!? ああっ!?
と、いうわけで、弟よ。そんなことは当時も今も砂漠の砂粒ほども思ってないけど、一応言っておく! 薄情な姉と父ですまんな弟よ! だが自分で蒔いた種は自分で拾ってくれ!
ちなみに母は、父に伝えなければならない用事があると、紙に書いて適当な所に置いておくか、私たち姉弟に伝言を頼んでいた。何かをしている時に「ちょっと来てー」などと呼びつけられ伝言を頼まれると、場合によっては殺意すらこみ上げるので、私たち姉弟は非常に迷惑していた。それも今となっては良くはないがすっかり思い出になってしまった。
ここで話は少し脱線してしまうけれど、ちなみに私は、中三、高一、高三の時の体育の時間に(単純に体力がないから)過呼吸を起こし母にも一応連絡をしたら「またなったのか」とだけ言われて電話を切られたことがある。普通の親子関係を築いてた子ならそんなこと言われたらショックだろうけれど、私はちっとも気にしなかった。なぜなら、母はそんな人間だと始めから分かっていたから。人生何事も諦めが肝心なのである。
私が覚えている両親の唯一の会話は、上記の弟が校長室に呼ばれた事件(ちなみにタバコ絡みだった)で、「昔はいい子だった米男がタバコなんかに手を出したのはあんたがタバコを吸っているからだ」と父に責任を押し付け、それに父が「お前は頭がおかしいんじゃないか」と母に怒鳴っていたワンシーンだけ。私はその時一人放置され、晩御飯も特に用意されていなかったので、冷蔵庫を漁って見つけた煮豆を食べて飢えをしのいだ。こんな時は、嵐が終わるまで自分の存在をひたすら消して、部屋で本でも読んでおとなしくしておくのが吉である。
このことに関しては、その場に居合わせた(多分、何かあった時にどうにかするため呼ばれていた)父の友人も「米子。米子のお母さんは頭がどうにかしてるよ……。おじさんにはどうにもできないよ……」と言っていたし、私自身もそう思った。小学生のガキならともかく、中三になった弟がタバコに手を出したのは、完全に弟自身の責任である。第一、母は「あんたがタバコを吸ってるから~」と父を責めていたが、私はタバコに一切興味がないし、手を出したこともない。母の理論でいくと、私もタバコに手を出していないとおかしいのだが。
なお私の父はこのことについて、
「どうして学校に持って行ったんだ! 家の中だけで吸っとけばばれないのに! お前はアホか!」
と弟を怒っていた。論点がズレている。
なにはともあれ、我が家は常時こんな感じだったので、
「夜中ふと目を覚ましたら、包丁をもった白面が側に立ってて、グサッ! てやられるかもな~」
「ホラー映画かよ(笑) そうなったら私、インタビューに答えるわ~。母は昔からちょっと……って」
「おっ、じゃあ俺も出るぞ!」
「刺されるとしたら米男よりお前が先だろ」
「はっ! それもそうだな!」
と弟を茶化したりネタにするだけで何もしないのである。他人の不幸は蜜の味!(弟だけど)
ちなみに白面というのは、父が考え出した母を指す隠語である。というのも、私の母は自分が(それが例え母に非があることでも)何かを言われているのを耳にすると「だったら家から出ていけ」と怒り出し、こちらの非を(表面上)認めるまでは執念深く根に持ち続けるので、ふとした会話をするにも細心の注意を払う必要があったのだ。
白面というのは傑作マンガ「う〇おととら」のラスボス・白面の者に因んだ仇名である(藤田先生、ごめんなさい)。
さて、我が家には世界で一番可愛いと約一名(私)に評判の茶トラ猫がいる。なので父はたまに、
「ほらお前ら。ここにとらはいるだろ? だから、白面を退治にしに行ってこい」
とこれまた少年のように笑いながら言っていた。
「獣の槍がないから無理」
と私や弟が返すと、「じゃあこれをくれてやるから」とそこらへんに転がっていた定規を渡された時は、流石に吹き出しかけた。
今でも覚えている父のジョークには他にも、
「お前ら、白面が閉じこもってる部屋の扉急に開けてみ? もしかしたら、尻尾が九本生えてるかもしれんぞ! 本性表してるかもしれんぞ!」
というものがあった。仕事から帰ってくると、父の顔を見たくないという理由で自分の部屋に閉じこもる(上記のタバコ事件の後ぐらいから、母は夕食も一人自室で引きこもって食べるようになっていた。私の物心がついたころからそうしてくれていれば良かったのに)という母の性質を揶揄したものである。今にして考えれば、昔話に出てきそうなネタでほほえましい。
ちなみに私と弟は、幼少期(私が小学校一年生ぐらい)から父がいない夕食の時に母に「お母さんが死んだら、お父さんの家の墓にはいれないでね。お母さんの実家の墓に入れてね。じゃないと化けて出るからね」と言われていた。
私よりも幼かった弟がどう感じたかは知らないが、私は当時から「テメエの葬式の時は、棺桶にゴキブリ入れてやるから覚悟しとけ」「化けて出てきても、塩振って追い払ってやらあ」と闘志を燃やしていた。今では母が死んだと連絡が入っても葬式に出る気などさらさらないので、母の葬式に出る気があったなんて、私にも可愛かった頃があったのだなあとしみじみしてしまう。まあ、それから「だったらさっさと離婚すればいいだろクソババア」「んなことも思いつかないなんてマジで頭悪いババアだな」と思うようになったのだが。
私は次第に母の小言にも慣れて不愉快なBGMぐらいにしか感じなくなった。私たち姉弟の無関心とノーリアクションに、思うところがあったのだろう。以降、母は食卓では何も言わず、基本的にはただ溜息をつくだけになった。それが私が中学生になった頃の話である。
話は少々逸れたが、「うしおと〇ら」に因んだ母の仇名には、白面以外にも「コンコン」「化け狐」などがあったが、もちろん母の仇名はうしとらネタ以外にもある。その筆頭は某国の独裁者に因んだものであった。反逆と非難を一切許さない母の独裁的統治体制と、某半島の某国の体制をかけたものである。
父はよく、母が家にいない時に某国絡みのニュースがあると、「おっ、お前たちのお母さんまた何かやったな~」と言ってきていたので、私たち姉弟は「お前の嫁だろ」と言い返していた。そして、誰からともなく乾いた笑いを発していた。
なお、私たち姉弟は「お前の嫁だろ」と父にクロスカウンターを食らわせた後も、
「他にも選択肢は星の数ほどあったのに、なんでよりによってアレを選んだんだ」
「お前女見る目無さ過ぎだろ」
「私が男だったらアレだけは絶対に選ばない」
「俺もそう思う。アレだけはない。世界で女がアレ一人になっても、絶対に選ばない」
などとさらにちょっとしたパンチを放つことがあった。その時の父は、流石に引き攣った笑いを浮かべるだけでなにも言わなかった。だがたまに、
「バッカお前ら! そんなこと言ってるのがばれたら、粛清されるんだぞ~。この前殺られた誰かみたいに、消されるんだぞ~」
とニヤニヤ笑いながら反撃を試みてくることがあったので、その時はまた言い返していた。最初に殺られるとしたら私(俺)たちじゃなくてお前だろ、と。
これが在りし日の我が家の、私はブラックシュールで面白いと思っている日常である。
母が家から出て行った今となってはもはや永遠に還らない、還ってきてほしくもない遠い日のことであった。
私の弟が母に電話の子機を投げられた話をしよう 田所米子 @kome_yoneko
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