さいわいなことり

吉岡梅

さいわいなことり

 星がくっきり瞬く透き通った夜。ムギさんと僕は夜行喫茶のボックス席で、コーヒーを飲んでいた。


 今夜の気まぐれな喫茶店の行き先はシシリ国だった。車輪を軋ませゆっくりと夜空から降り立つと、煙突からプシューと大きく煙を吐いて停車する。


 車窓の前には広大な山々が連なっている。さすが魔光炉の燃料となるマグネライト鉱石の採掘が盛んな国だ。


「この国では昔、結構な規模の災害があったそうだよ。鉱石の採掘中に、を掘り当ててしまったらしいんだ」


 黒猫のムギさんが、しっぽを揺らせて外を見る。僕も一緒に、月明かりに照らされた風景を眺めながら尋ねてみた。


「そうなんだ。今はもう大丈夫なのかい」

「うん。昔は、良くないものがあふれ出てしまって、人も猫も住めるような状態じゃなかったみたいだけどね」

「へえ」


 すると、後ろから誰かの声がした。


「確かにその通りです。でも、それはもう昔の話ですよ」


 振り返ると、カウンターのスツールに、さっぱりと刈り込んだ金髪に宝石のような碧眼へきがんを持つ男の人が腰かけていた。


「こんばんは、青い目のお兄さん。今はもう大丈夫なんだね」

「こんばんは。私はシシリ国に住むラズリと言います」


 ラズリはがっしりとした体躯をぺこりと折り曲げて、礼儀正しく挨拶をする。


「そう、今はもう大丈夫です。自然というのは偉大なもので、良くないものを時間をかけて綺麗にしたり、害が及ばないよう外へと押し出したりする仕組みになっているものなのですよ」

「そうなんだ」

「ええ、言ってみれば、私たちの体と同じ仕組みですね。良くないものは、汗やとして排出する。それでも出しきれないものは、できるだけ爪や髪の毛などの切り離せる場所へと押しやって、体には害が及ばないような仕組みになっています。そこを切ってしまえば、きれいさっぱりと言うわけですよ」


 ラズリはコーヒーカップを片手に、にこりと笑ってみせる。


「へえ、体って不思議だね。それでラズリの髪の毛もそんなに短いのかい」


 僕は、さっぱりと刈り込んだラズリの髪の毛を指さして聞いてみた。


「髪の毛? あはは、そうかもしれませんね。ただこれは、どちらかというと伝統みたいなものですね。そう言われてみると、うちの国の人は、以外は髪の毛を短くしている人が多いのかなあ」


 ラズリは頭を軽く撫でて楽しそうに笑った。


っていうのは?」

ですよ。うーん、なんて言えばいいのかな。召使めしつかいのようなものでしょうか」

「ふうん」


 ムギさんと僕はカウンターへと席を移り、ラズリといろいろな話をした。ラズリの話は、どれもとても陽気で面白いものばかりだった。


 しばらく話していると、小腹が空いてきた。僕は、キッチン担当のツヅキに声をかけて、ベーコントーストを注文した。食パンにたっぷりのバターを塗って、ツヅキお手製のベーコンを乗せて焼いただけのシンプルなトーストだけれども、僕はこれが凄く好きだった。


 すると、ラズリはそれが珍しいのか同じものを注文した。そして、一口食べると、目を丸くした。


「いやあ、このベーコントーストは美味しいですね!」


 トーストは、もちろんツヅキが作っているのだけれども、なんだか僕まで誇らしくなる。


「おいしいよね。僕もこれ大好きなんだ」

「ええ、たまにはこういうシンプルで質素な料理もいいですね。いやあ、幸運ラッキーだったなあ、たまたまこの店が降りてくるのを見つけられて。おっといけない、もうこんな時間か。あ、マスターさん、これテイクアウトってできますか?」


 カウンターで僕たちの話を黙って聞いていたマスターは、ちょっと待ってね、とでもいうように人差し指を一本立てると、いったんキッチンの奥に引っ込んでから顔を出した。


「ええ、できますよ。今日ならトースト8枚まではOKです」

「8枚! それはいい。では、全部包んでいただけますか。代金はここに置いておきます。私は、ちょっと急ぎの用があるので失礼しますね。トーストはすぐにでもヒトリメに取りにこさせますので、焼きあがったら渡してください」


 ラズリは最後のひとかけらをぺろりと平らげると、来た時と同じように、大きな体躯をぺこりと折り曲げてマスターにお辞儀して店を出て行った。


「なんだか凄く爽やかな人だったね」

「うん。この国の人はみんなそうなのかな」


 ムギさんと僕がしばらく話していると、かちゃり、とドアが控えめに開き、ひとりの少年がおずおずと店へと入って来た。少年の目はあおく、少し濃い目のブロンドの髪が、腰まですらっと伸びている。少年はラズリとどことなく似ていたけれど、ラズリよりはずっと小さかった。


「……あの、使いの物ですが、ここでトーストを受け取るようにと言付かってきたのですが……」


 少年は、消え入りそうな声でそう言うと、と、小さな体を申し訳なさそうに折り曲げている。


「やぁ、君がラズリの言っていただね。トーストは今焼いている所みたいだから、一緒に座って待っていようよ」


 僕が声をかけると、ヒトリメは両手を前に出してしきりに恐縮する。


「いえ、私なんかが座るのは申し訳ないです」


 いいからいいからとスツールを勧めると、やっとヒトリメも腰かけた。


「それにしても綺麗な髪だね。この国の人は短髪が多いと聞いたけど、ヒトリメくらい綺麗だと伸ばしているんだね」

「えっ! いえ、これはその……。私はヒトリメですから髪を切れないだけなのです」


 ヒトリメは消え入りそうな声で必死に否定する。その様子を見て、ムギさんと僕は顔を見合わせる。


「どういうこと? ヒトリメ一人だけが、何か特別なの?」

「いえ、ヒトリメは全て同じです。さすがに爪は仕事に差し支えがあるので切りますけれど、髪の毛を切るというのはのはちょっと無責任かと……」


 ヒトリメは指先でくるくると髪の毛を巻いていたが、はっと気づいてその手を離した。


「えと……って、というのは君の名前じゃないの?」

「えっ、違います。ヒトリメというのは、の事です。私たちヒトリメには、お母さんの体に溜まった良くないものが排出されて産まれるわけですから、この体は良くないものばかりなのです。ですので、髪の毛もできるだけ切らずに、良くないものを他へと出さないようにしているのですよ」


「そんな事ってあるのかい?」

「はい。現に私たちヒトリメは、皆とても体が弱かったり小さかったりします。先ほどこちらへ来た弟と私を見比べればお判りでしょう。この国のは、お母さん達が対応する間もなく広まってしまったのです。そこでお母さん達は、今まで積もり積もった良くないものを輩出し、私たちを産むのです」


 ムギさんと僕は何も言えずに話を聞くばかりだった。


「そして、お母さん達が次の子を産むと、その子はとして産まれるのです。この国ではそういう風にして代々暮らしているんですよ」

「そんなのって、おかしくないかい」

「確かに、他の国の方にとってはおかしいかもしれませんね。でも代々そうしてきていますので。申し訳ないです」


 ヒトリメは、ぺこりと頭を下げる。ムギさんと僕が黙っていると、取り繕うように付け加える。


「あの、でも、私なんかは幸せな方なんですよ。今はそうでもありませんが、昔はヒトリメの多くは生まれてすぐ死んでしまっていたそうです。あまりにひ弱で役に立たないので名前も付けられませんし、売られてしまうヒトリメも多くいたとか。

 その点私は、ここまで大きくなれましたし、家族とも一緒の家の屋根裏部屋に置いてもらっています。ヒトリメとしたら出来すぎなほどです」


 ヒトリメはにっこりと笑う。僕が何と言えばいいのかを考えていると、キッチンからツヅキがバスケットを持って現れた。


 カウンターにバスケットを置くと、珍しく外に出てきて、ヒトリメの隣のスツールへと腰を掛けた。


「お待たせしました。トースト12個です。それから、少し半端な材料が出てしまいましたのでよろしければどうぞ」


 ツヅキはそう言って、ベーコントーストをもうひとつカウンターへと置いた。


「え、こんなのいただけません」

「遠慮なさらずに。あなたのお名前はなんというのですか」

「あの、私はヒトリメですので……」


 すると、突然ツヅキは調理用のキャスケットを外して、髪をほどいて頭を振った。長身のツヅキの背中の中ほどまで、綺麗な黒髪がふわっと広がる。


「わたしも数年前までは、ヒトリメと呼ばれていました。でも、とある日にこの喫茶店のマスターにツヅキという名前を貰って働いています」

「あなたは……」

「さ、どうぞ。日ごろブロックばかり召し上がっておられるのですよね。たまにはこういう物も良いものですよ」


 ヒトリメはおそるおそるトーストに手を伸ばすと食べ始めた。最初は僕たちの方をちらちらと伺いながら口に運んでいたが、そのうち猫背になってトーストを夢中で食べはじめた。その後ろ姿は、こころなしか小さく揺れていた。


「あの、美味しいです。とても。こんな立派な物食べたことないです。本当に私は幸せです」


 ツヅキは、そんなヒトリメの髪を撫でる。


「またこの国へ立ち寄った際には、是非いらしてくださいね。その時にヒトリメさんじゃわかりにくいでしょうから、あなたの事は……そうですね。屋根裏で暮らしておられる『ルカ』さんと呼ばせていただきますね」

「私が……ルカ……?」

「ええ、ルカさん。これからよろしくね」


 ツヅキはにっこりと笑う。ルカは、ぼおっとしていたが、時計を見て我に返ったのか、バスケットを手にしてぺこりとお辞儀をすると店を出て行った。


 ルカを見送った僕達は、3人でカウンターに並び、しばらく黙ってコーヒーを飲んでいた。


「ねえツヅキ」

「なあに」

「ヒトリメがってのは、本当なの?」


 ツヅキは軽く頷いて応じる。


「昔は、そうだったのかもしれないの。母体……お母さんの体は普通、赤ちゃんへ悪い物を通さないようにするフィルターがあるのだけれどもね、急に現れた悪い物には対応できなかったとか……。今はどうなのか、私には詳しいことはわからないわ。ただ、ヒトリメが今も小さいのは、ヒトリメだという事で、凄く粗末な食事しか貰えていないからじゃないのかと思うわ」

「きっとそうだよね。だって、ツヅキはマスターより大きいくらいだもの」

「ふふふ、『まさか追い抜かれるとは思わなかった』と、よく言われているわ」


 ツヅキは、カウンターの奥の方でパイプを燻らせているマスターの方をちらりと見た。


「それと……ツヅキが髪を伸ばしてるってのさ……」

「ええ、綺麗でしょ? 私の自慢の髪だもの」


 ツヅキは誇らしげに両手で髪をかき上げる。指からこぼれた黒髪が、霧雨のようにふわっとたなびいて元の場所へと収まる。僕は嬉しくなった。


「うん。とても綺麗だね。ねえ、ルカはまた来るかな」

「ええ。きっと来るわ」

「その時にはさ、一緒にご飯を食べようと思うんだ」

「そうね。私もご一緒させてもらうわ」



 あくる日の夜、僕は屋根裏部屋から月を見上げてムギさんに言った。


「ねえムギさん、ツヅキのトーストは美味しいけどさ」

「間違いなくね」

「だけど、泣くほど幸せというのは、と思うんだ」

「そうだね。でも、君にもひょっとしたら、泣くほどおいしいトーストがあるのかもしれないよ」


 それはどんなトーストだろうかと僕は考える。食べてみたいような、食べない方がいいような気がする。考えても答えは出てこなかったので、今夜もムギさんと一緒に喫茶店へと向かう。

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さいわいなことり 吉岡梅 @uomasa

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