第12話 救出!


 海の上はもう暗くなっていた。

 たくさんのビルや道路の灯りが陸地をおおっている。

 こんな雪の降っている時じゃなかったら、キラキラと輝いてきれいだろう。

「おーい、大丈夫かぁ?」

 船長が座礁している漁船に向かって声をかけた。甲板でライトを左右に大きく振っている。

〈あやめ丸〉は浅瀬を警戒して、漁船からはずいぶん離れた所に停まっていた。

 杏子と龍吾は、陽介おじさんに言われるままキャビンに入っていた。外とちがってキャビンの中は暖かかったけれど、杏子はじっと窓の外に見える漁船を見つめている。心配で船から目が離せなかった。

 やがて、漁船の中から男が出てきた。メガネをかけた黒いコートを着た男だ。


(間違いない、あの人だ!)

 杏子はキャビンのベンチから立ちあがった。ドアを開けて飛びだそうとしたところを、外に立っていた陽介おじさんに止められる。

「あの人です! 間違いないわ、早く綾ちゃんを助けないと!」

「待つんだ杏子ちゃん。いま湾岸署の警備艇がこっちに向かっている。やつらは座礁して動けないんだ。今は下手に刺激しない方がいい」

 今にも飛び出して行きそうな杏子を、陽介おじさんがキャビンの中に押し戻しながら中に入って来る。

「でも!」

「しっ、静かに!」

 陽介おじさんは口元に指を立てると、キャビンのドアを少しだけ開けて外の様子をうかがった。


「こっちは大丈夫ですから、行ってくださーい!」

 メガネの男が返事をしてきた。

「大丈夫ったって、もう暗くなって来ちまったぞ。すぐに助けを呼んでやるから」

「いえ、浅瀬に乗り上げただけで船の故障はないようだし、友達の船がもうこちらに向かってるんです。引っぱってもらうから大丈夫です。行ってください」

 メガネの男は、あわてたのか早口になった。

「何人乗ってるんだ?」

「おれたち二人だけです」

 メガネの男の後ろに、もう一人の人影が見えた。

「うそよ、綾ちゃんたちを閉じ込めてるのに!」

「シーナ、大丈夫だよ。すぐにおじさんが呼んだ警備艇が来るよ」

「でも……」

 杏子は、じっと待つことが苦手だった。何かあったら、自分の目で確かめなくては気が済まない。今まではいつもそうしてきた。でも今回は違う。自分たち子供が足手まといなことは、頭では十分にわかっている。でも、早く綾香の無事な姿が見たかった。


 そのとき、波しぶきを立てて一隻のボートが近づいてきた。大きなライトを照らしながらやって来たのは、グレーの船体の警備艇だった。

「どうしましたか?」

 拡声器からきびきびした声が聞こえてきた。

 座礁した漁船と〈あやめ丸〉の間にすべり込んできた警備艇を見るなり、杏子と龍吾はキャビンから飛び出した。陽介おじさんはちょうど電話で話していたので、あえて止めようとはしなかった。

 全員が見守る中、警備艇の警官たちがロープを投げて漁船を引っぱる準備をはじめている。

「……そうだ。なんとかして向こうの船に乗り移って、さりげなく、船内に誰かいないか捜してほしいんだ。頼んだぞ」

 電話をしている陽介おじさんの声が聞こえてきた。どうやら警備艇に知り合いが乗っているらしい。


 杏子は陽介おじさんを見上げた。

(龍吾くんのおじさんは、あたしの言うことをバカにしてないんだ……)

 心が温かくなってくるような、不思議な感じがした。

 警備艇の警官たちは、手なれた様子で漁船にロープをかけて安定させると、川の流れに沿うように少しずつ漁船を引っぱってゆく。

 やがて漁船が砂地から救出されると、警備艇はすぐさま漁船の近くへ船を寄せ、板のようなタラップを渡して、二人の警官が漁船に乗り込んでゆく。

 漁船の男たちは、甲板の上で呆然とその様子を見ていた。

 漁船に乗り込んだ警官の一人が男たちに話しかけ、もう一人が船内の様子を確認している。


 杏子は、祈るように手を組み合わせた。

(お願い……早く見つけて)

 すぐ近くに綾香の存在を感じる。寒さに震えている気がする。きっと、もう一人の男の子も綾香の近くにいるはずだ。

 船内を歩きまわっている警官が、首を横に振るような仕草をしているのが見えた。

(そんな……待って!)

 杏子の心に嫌な予感がよぎる。

 その予感通りに、二人の警官は警備艇に戻ろうとしている。

 とっさに陽介おじさんの顔を見上げると、彼は同情するような目で杏子を見下ろしていた。


「見つからなかったみたいだ……」

 陽介おじさんの言葉を振り切るように、杏子は船長に駆け寄った。

「船長さん、もう少しだけ警備艇に近づけて! お願い!」

「えっ、ああ、いいけどよ」

 船長はびっくりしたように〈あやめ丸〉を動かしはじめる。

「おい、やめろ!」

「シーナ、危ない!」

 船首に取り付けられた金属製の手すりにつかまった杏子は、〈あやめ丸〉が警備艇に近づいた瞬間にジャンプした。


「うわぁ、なんだこの子は!」

 警備艇の警官が捕えようとするのをかいくぐり、杏子は漁船に渡したタラップの近くまで駆け抜けた。が、そこで後ろから警官のひとりに抱え上げられてしまう。

「待って! あの船に子供が乗っているの。お願いだからちゃんと捜して!」

 ばたばたと手足を動かしながら、杏子は叫んだ。

「なにを言っているんだ?」

 漁船から戻ろうとしていた警官が、驚いたように杏子を見ている。

「小さな入れ物に入れられてるわ! 甲板の下にある入れ物よ!」

 杏子が叫ぶ。

 戻ろうとしていた警官が、再び漁船の方に振り返る。その瞬間、メガネの男が二人の警官を海に突き落とした。


「エンジンをかけろ!」

 にぶいエンジン音が聞こえ、船がぐらりと揺れた。

「捕まえろ!」

 警備艇に残っていた警官たちが、飛び移るように漁船に乗り込んでゆく。

 そのあとの光景は、まるで映画のワンシーンのようだった。

 警備艇に取り残された杏子は、いつのまにか乗り移ってきていた龍吾と陽介おじさんと三人で、二人の男が確保されるのを見ていた。

「子供がいたぞー!」

「こっちにもいたぞ!」

 漁船の生けすに閉じ込められていた子供たちが、警官たちによって救出された。

 縄を解かれ、毛布にくるまれた綾香が、警官に支えられながらタラップを渡って来る。


「……綾ちゃん」

「きょ……杏ちゃん! 龍吾くんも……」

 綾香の青ざめた唇が、驚いたように開いた。

「まさか……本当に来てくれるなんて」

 ぽろりと涙がこぼれ落ちる。

「綾ちゃん!」

 どちらからともなく駆け寄った杏子と綾香は、粉雪の舞う船の上でしっかりと抱き合った。

「やったね、おじさん!」

「ああ。おまえたちのお手柄だな」

 龍吾と陽介おじさんは、手と手をパチンと合わせた。


      ●                     ●


 事件から五日もたつと、誘拐事件の報道もほとんどなくなり、杏子たちはいつも通りの静かな新年を迎えていた。

 ガラガラガラ。パンパン。

 杏子と綾香と龍吾は、三人で近くの神社に初もうでに来ていた。

 三人はそれぞれに長めのお参りをすませると、お守りやらおみくじの売っている社務所をうろうろしてから、神社の参道を戻りはじめた。石段の下は、たくさんの屋台で賑わっている。


「ねぇ、何をお願いしたの?」

 綾香に聞かれて、杏子は笑顔を浮かべた。

「お願いじゃなくて、報告かな。あたしね、大人になったら〈さがし屋〉さんになろうかなって思ってるの。自分の力を人のために使うには、それが一番いいかなって思ったから」

 そう言った杏子は、どことなく自信に満ちた顔をしていた。

 杏子の明るい笑顔を見て、龍吾はニヤリと笑った。

「それじゃあ今のシーナは、さがし屋のタマゴってところだな」

「まあね。龍吾くんは何をお願いしたの?」

 杏子が聞くと、龍吾はパッと顔を赤らめた。

「おれはさぁ、中学に入学したら、シーナと同じクラスになれますようにってお願いしたんだ。うちも朝日小と同じで二中に行くからさ。よっ、よろしくな!」

 そう言って照れたように屋台の方へ走って行く。

 そんな龍吾を見て、綾香はクスッと笑った。


「龍吾くん、杏ちゃんのことが好きなのね」

「えっ、ちがうよ」

 すぐに否定した杏子に、綾香はもう一度笑った。

「あたしのことなら気にしなくていいのよ。龍吾くんが杏ちゃんの方ばっかり見てるからなんか悔しかったけど、よく考えたら龍吾くんて、全然あたしのタイプじゃないのよね。中学に行ったら、もっとカッコイイ人を探すわ。神様にもそうお願いしたの」

「……なにそれ?」

 杏子は目をパチクリしている。

「ねぇ、龍吾くんのこと気づいてなかったでしょ? 杏ちゃんって、ほんとに鈍感よね。ずっと前から龍吾くん、杏ちゃんの方ばっかり見てたんだよ」

「そんなの知らないよ」

 杏子は口をとがらせた。

「ほんとだよ。杏ちゃんだって、龍吾くんのこと好きでしょ?」

「そりゃあ、久々に出来た本当の友達だもん。好きに決まってるじゃない」

「どーせあたしは、ニセモノの友達でしたよ!」

 綾香は思わす天を仰いで肩をすくめる。

「今は綾ちゃんのことだって、本当の友達だって思ってるよ」

 杏子がそう言うと、綾香はクスッと笑った。

「あたしもよ。それにね、あの誘拐事件のお陰で、家族があたしのことをちゃんと心配してくれてるってわかったんだ。だから、今年から素直になることに決めたの。イジワルはもう卒業するわ」

「綾ちゃん……」

 杏子は、綾香のすっきりした笑顔を見つめた。

「これからもよろしくね、杏ちゃん」

「うん、こちらこそよろしく」

 杏子は嬉しくて、にっこりと笑った。


「なんか、今年はいい年になりそうだな。そうそう、圭太さんと慎二さんも戸籍を元に戻して、ふたりでコンビニで働くって言ってたよ」

「そっか、ほんと良かったよね」

 二人はゆっくりと石段を下りてゆく。

「おーい、たこ焼き食おうぜ!」

 屋台の前で、龍吾が大きく手を振っている。

 杏子と綾香は、顔を見合わせて笑った。


                                 おわり  

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さがし屋の卵と猫のブローチ 滝野れお @reo-takino

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