屋上は立ち入り禁止です

水城しほ

屋上は立ち入り禁止です

 その日、私は死のうと決めた。


 現在の時刻、午後八時。第一校舎の屋上に続く階段、踊り場を塞ぐ厳重なバリケードを適当に壊して、私は屋上の扉を開けた。

 後はさっさと靴を脱いで、いかにもな感じで揃えて置いて、フェンスを乗り越えるだけでいい。痛いかなんてどうでもいい、死ぬ事なんか怖くない。「彼氏を親友に寝取られた女」のレッテルを背負って生きるよりマシだ。こんな場所で交尾するようなサル共に、心を許してしまった私が悪い。

 私はフェンスを登り始めた。闇夜に吹く真っ黒な風は、爽快ですらあった。


 しかし、フェンスを半分ほど登ったところで、私は物凄い力で引き摺り落とされた。したたかに打ちつけた腰を擦りながら起き上がると、目の前にセーラー服を着たボーイッシュな女の子が立っていた。

 透けている。

 イチコちゃんだ、と思い当たった。校内七不思議のひとつ、屋上に現れる幽霊。第一校舎に現れるから一子イチコだ。

「あの……飛び降りて死ぬのは、もったいないです」

 イチコちゃんは、どっちが幽霊に出くわしたのかわからないほどにオドオドしている。確か怪談話では、彼女も飛び降り自殺をしたはずだ。

「もったいないって……命を粗末にするな、とか?」

「いえいえ、身体がぐちゃぐちゃになるのがもったいないんです」

 イチコちゃんは、私の目の前に跪いた。そしてその白い指をまっすぐに、こちらに伸ばす。

「こんなに綺麗な身体をしているのに、もういらないんですね……だったらこの身体、僕にくれませんか?」

 イチコちゃんの指先が、私の頬に触れた。ひんやりとしていて、気持ち良い。

「痛みもなく死ねるから、あなたも楽ですよ。言っておきますが、落ちたら痛いですよ? 途中で気を失うとか言いますけどね、痛みで覚醒しちゃいますから。色々と飛び出してるのを自覚して死ぬんです」

「それは……経験談を語られると、ちょっと嫌だな……」

 私がそう返事をすると、そうでしょうそうでしょう、とイチコちゃんは鼻息荒く胸を張った。

「ですから、僕が入れ替わってあげます。あとは成仏するのもしないのも自由です。何だったら自分の……いえ、僕の守護霊にでもなります?」

 イチコちゃんが、にっこりと笑う。それも面白そうだと思った。

「守護霊、いいね。それでいこうか」

「ありがとうございます。それでは、いただきます」

 イチコちゃんは給食時のように手を合わせた後、私をぎゅっと抱きしめた。その途端、私は指の一本たりとも、自分の意思で動かす事ができなくなった。

 そしてイチコちゃんはゆっくりと、私の中に入ってきた。


 結局、私の身体に二人で同居する事になった。イチコちゃんが私の魂を追い出すのに失敗したせいである。身体の主導権はイチコちゃんだ。

 自宅のベッドの中で、イチコちゃんは「誰だって最初は失敗するんですよう」と拗ねた。お互い声に出さないまま、脳内で会話をする。

「ところで僕、女の子の身体の仕組み、よくわかってないんですけど……」

「もうイチコちゃんの身体なんだし、触ってみたら?」

 驚いた事に、イチコちゃんは男の子だった。それはイチコちゃんの魂が私の中に入ってくる時に、はっきりとわかった。服装に騙されていたわけだけど、セーラー服を着ていた理由は、私からは聞かない事にした。

「あっ、こんな風になってるんですね……」

 イチコちゃんが、身体を弄り始めた。私も感覚は共有している。彼は必死で声を噛み殺し、私は脳内で嬌声をあげた。

 そしてイチコちゃんは「僕と一緒に、生きていきましょうね」と私に言った。それはまるで、プロポーズみたいだった。


 私は常にイチコちゃんを通して、周囲の世界を眺めていた。

 あんなに口やかましく鬱陶しかった両親も、クラスのみんなも、先生たちも、みんなが優しくしてくれる。

 元親友と元彼氏も謝ってきて、元通りになりたいと申し出た。私は冗談じゃないと思ったのだけど、イチコちゃんはそれを受け入れてしまった。

 元親友は親友になり、元彼氏は彼氏になった。三人で一緒にお弁当を食べて、イチコちゃんは脳内で「楽しいですね!」と嬉しそうに言った。

 私が生きていた世界と、全然違う。理由ははっきりしていた。イチコちゃんが周囲に対して優しいのだ。

 こうも世界が変わるのだと知ってしまった私は、自分が嫌な女だったのだと認めるしかなかった。

 

 しばらくすると、イチコちゃんと彼氏が、身体の関係を持つようになった。イチコちゃんは「この身体に入ってから、心も女の子になったみたいです」と言った。

 私は特等席で、懸命にイチコちゃんを抱く彼氏を眺める事になった。彼は前より優しくて、丁寧で、そして激しく興奮していた。

 イチコちゃんは彼に何でもしてあげるし、そして何でもさせてあげる。

 ワガママばかりだった私が、勝てるはずもなかった。


「……僕、彼氏さんの事も、大好きになっちゃいました……」

 放課後に寄った彼氏の部屋、乱れたベッドの上。イチコちゃんがとろとろになって惚けている。彼氏は隣で爆睡中だ。

「ふーん。いいんじゃない?」

 自分でも、その返事に棘があるのはわかっている。イチコちゃんはクスクスと笑った。

「こんなに素敵な彼氏がいるのに、死んじゃったらもったいないですよね。僕やっぱり、あなたの身体を貰って本当に良かったです」

「親友と彼氏の浮気のせいなんだけどな、私が死のうとしたの」

 私がそう言うと、イチコちゃんはえへへ、と笑った。

「種明かしをするとですね、それは僕のせいです」

 ……どういう事、と改めて尋ねるまでもなく、イチコちゃんは種明かしを続けた。

「第一校舎の屋上に、二人が入ってきたんです。あなたの誕生日のサプライズを相談していました。愛されてるのが羨ましくて、僕がこうなるように仕向けたんです」

「うそ」

 嘘じゃないんですよね、とイチコちゃんは得意げに言った。

「二人とも凄かったですよ。真昼間の屋上だっていうのに、動物みたいにひたすら腰振っちゃって――」

「やめて!」

 私の悲鳴を無視して、イチコちゃんは、本当に嬉しそうに語り続けた。

「あなたが絶望して飛び降りに来るのを、僕、楽しみに待っていたんですよ。来てくれて本当に嬉しかったです! これからも、僕と一緒に生きていきましょうね!」


(了)

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屋上は立ち入り禁止です 水城しほ @mizukishiho

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