皆殺しの歌

憑木影

第1話「今日では、ない」

神話学者のミルチャ・エリアーデは、何日も寝ないで勉強していたら突然自分がだれでどこにいるのか判らなくなった、て自伝に書いていたんだけれど。

ひとというものはやっぱり寝ないといけないようにできていて、2、3日眠らなかったらいろいろと不具合がでてくるのよね。

わたしの聞いた話では、幻覚が見えるというのがだんとつに多いの。

そうね、たとえば。

パソコンのディスプレイから小人たちが出てきて、行列を作って行進するってのは何人かから聞いたわね。

そういうメルヘンな感じのとは別に。

エレベーターに乗ったら片隅に昔つきあっていたおんなのこが、血塗れの姿で立っていたていうのもある。

いやいや、あんたそのこ殺したんでしょうと思ったんだけれど。

まあなんにしても機能不全をおこした脳は、無意識の底から色々なものを引き出してくるのよね。

で、わたしっていえば、やっぱり幻覚をみるの。

それは定番で、一晩以上眠らなければみる幻覚はいつも同じやつ。

小人でもなく、昔わかれた恋人でもない。

そういう形あるものではなくて、もう少し抽象的なものね。

ああ、形があるといえばあるのか。

むしろ形のないものに、形をあたえるっていうか。

わたしは、空気の流れが見えるようになる。

見えるっていうか、判るようになるって言ったほうがいいのかな。

肉眼では見えない微細な粒子が、空間を流れていくのを感じ取れるようになるの。

もしそこが薄暗い部屋で、誰かが煙草を吸っていたとしたらね。

わたしは薄く層を作った煙草の紫煙が、ゆっくりと空気の流れにそって動いていくのをみることになるわ。

なぜ、そんな話をはじめたのかっていうと。

今まさに、その空気の流れってやつを感じているからなのよね。

一晩寝てないって、わけではなくてね。

もう二日寝てない状態なのよ。

わたしはぼんやりと空気の流れを、眺めている。

まわりから見ると、今のわたしは抜け殻のように見えると思う。

難破した船のような、脱線した列車のような。

でも、実際のところ頭の中はフル回転している。

それは、いわゆる意識より低いレイヤーで脳が活動している状態なのよね。

だから、表情は完全にオフとなっていて、脳のリソースは言語野より低い層にめいっぱい割り当てられている。

その限りなく無意識に近い層から、何かが浮上してきていた。

脳内ディスプレイに、ソースコードが表示されてゆく。

それは依存関係や継承関係、もしくはループの指示に基づいて現実のディスプレイにはないような階層化した表示になっている。

黒の背景に、セルリアンブルーの文字が浮かび上がっている中で、何カ所かが赤字でブリンクしていた。

わたしは、ブリンクしいてる赤字を脳内で拡大して、確認する。

ぞくぞくするものが、背筋をそって頭に登っていくのが判った。

なんだか、ほとんど官能的に思える感触が、脳にたどりつく。

スタングレネードが炸裂したみたいに、頭の中がぱあっと明るくなる。

ニューロンネットワークが脳内で発火していくのを、感じ取れるような気分だ。

わたしは半開きになっていた瞳を全開にして、脳内ではなく現実のディスプレイに向き合った。

脳内で見つけた場所に移動すると、キーボードを叩きまくる。

超絶技巧を弾くホロヴィッツみたいな勢いで、叩く。

そして試験ツールを、起動する。

そいつが結果を表示していくのを、確認した。

コンマ数秒単位で行を表示していくのがもどかしく、とろくざいぞとののしってしまう。

結果はすべてTRUE、想定どおりの結果だ。

わたしはこころの奥底から沸き起こる衝動にしたがって、雄叫びをあげる。

「うおおおおおおおっ」

そして、ロスタイム残り三秒で逆転ゴールを決めたストライカーみたいに、両拳を天に突き上げた。

「なによ、マヤちん。うるさいよ」

隣のパーティションから、アフロヘヤに丸まるとした体格のおとこが、顔をだす。

迷惑そうな顔でわたしをみるオオノは、デブである。

首筋に血流を冷やすためのネッククーラを付けているのが、サイボーグっぽい。

サイバーデブである。

いや、そんなことはどうでもいいのだけれど、わたしは興奮しすぎて言葉がうまくでない。

「ででで、できた、できたっすよ、オオノ君」

職歴ではわたしが先任だけど、年上のオオノを君づけはよくないかもしれないが、サイバーデブはそんなことを気にしない。

基本的に、いいやつである。

いいやつは高確率で無能であるが、オオノは有能でいいやつだ。

そのオオノが、驚愕で目を見開く。

「できたって、まさかあれ?」

わたしは、がくがくと首を縦に振った。

ライブ会場でヘッドバンキングする勢いだ。

「あれっすよ、あれしかないっしょ」

オオノが真顔になって身を、乗り出した。

「あれって、サトウさんが寝ないでやっても一週間はかかるって投げ出したやつだよね」

「まあ、わたし二日寝てないっすけどね」

てへぺろっと舌をだしたわたしを横目で見ながら、オオノはわたしのディスプレイを確認する。

「すげえ、スパゲッティ化した一万ステップのプログラムに、バグが百件ほど検出されてたの全部直したのかよ」

わたしが満面の笑みとともに、オオノに親指を立てたのとほぼ同じタイミングで、背中のほうから手を叩く音が聞こえてきた。

オオノは、慌て自分のパーティションへと戻る。

わたしは、ゆっくりと後ろを向いた。

金髪に髪を染め、アンバーのカラコンをした、ホストっぽいスーツのおとこが立っている。

そいつは、わたしたちのボスであり、わたしが今仕事をもらっているソフトウェアハウスの執行役員兼営業部長だ。

なぜこんな場末のホストクラブのオーナーみたいなやつに、IT企業の営業ができるのか納得いかないところはある。

でも、悪魔的に有能なおとこであると聞いていた。

その、地獄のホストみたいなボスが、わたしに向かって拍手をしている。

「ブラボー、マヤちん。ブラボー、ブラボー!」

わたしは自分の中でテンションがマイナスまで急降下していくのを、感じていた。

ニューロンの火が消えていくのを、感じ取れる気分だ。

出来損ないのヘビメタミュージシャンみたいな金髪ををかきあげると、ボスは満面の笑みでわたしを讃える。

「君のように有能な技術者を使うことができて、本当に誇りに思う。君はわたしのヒーローであり、救世主だ」

わたしは背筋を寒気があがっていくのを感じつつ、ひきつった笑みを浮かべる。

「いえ、わたしなんてただのインターンシップで配属された、パシリですから」

ボスはわたしの言葉が聞こえていないように、勝手に自分のいいたいことを続ける。

「さて、我が英雄である君に問いたい。君はこんなところで、満足はしていないだろう。きっとさらなる戦いを、次なるエルサレムを求めているはずだ」

わたしは、ほぼ無表情になっていた。

「いえ、うち仏教なんでエルサレム興味ないっす」

ボスは、うれしそうにうんうんと、頷いていた。

まるでお互い壁に向かってしゃべっているような、見事な会話のキャッチボールである。

ボスは、ドラえもんが秘密道具を出すように、どこからか書類の束取り出しわたしに渡す。

その仕様書をぱらぱらと、めくってみる。

見覚えが、あった。

つい、三日ほどまえに仕上げた案件の仕様書だ。

めくっていくと、最後の方に追記がある。

わたしは、目の前が昏くなるのを感じた。

「あのお。これってまさか」

ボスは何がうれしいのか、とても楽しそうに頷く。

「三日前に君が仕上げた作品に、追加要求がきたよ」

わたしの目は、凶悪な光をおびてつり上がる。

「いいましたよね、最前線で使用する戦闘支援システムにセキュリティガードがないとか絶対にありえないって」

「だって、要求仕様になかったもん」

ボスが口を尖らして、肩をすくめる。

その仕草にどうしようもなく、イラッとした。

「後からそんなの追加すると、手間が倍になるっていいましたよ、わたし」

ボスはもの凄くうれしそうに、笑みをうかべる。

「大丈夫だ、相場の三倍の値段で受注したから」

わたしはとても長い、三十秒は続くため息をつく。

その値段がわたしの給料に反映される日は、永遠にこないはずだ。

「三日、いえ、四日いただければなんとかします」

「あしたの朝までだよ、明日の朝が期日で請け負ってきたから」

わたしのありったけの怨念を込めた眼差しを、ボスは清々しいほど爽やかな笑みで受け流す。

「マヤちんなら、二十四時間あれば楽勝だよね。だって君は僕のヒーローなんだから」

わたしの顔から、完全に表情が消し飛ぶ。

なんだろう、この最強のラスボス倒したら実はやつは四天王の中でも最弱みたいな展開。

わたしは、少年ジャンプの連載に迷い込んだの?

どうして、リボンやなかよしの連載じゃあないの?

わたしは、泣きだしそうな表情に切り替え、か細い声で言ってみる。

「わたし、二日寝てないんですけど。せめて、一日猶予が」

「丁度いいんじゃないかな」

ボスは、意味不明のことを言いだす。

「二日寝てないなら、三日寝なくてもいっしょだね」

わたしは、冷静な顔に戻してみる。

「労働基準法って、しってます?」

「確か、経団連の見解ではひとは週に百時間働いても死なない、てことではなかったかな。それに君は規制適応除外のスペシャリストだから」

いったいどこの平行宇宙の話だよ、とこころの中で毒づく。

わたしがさらに言葉をつなげようとしたのを遮るように、ボスはくるりと振り向く。

そしてパンパンと手を叩き、フロア全員の注目を集めた。

ボスは、よく通る美しい声で演説をはじめた。

「いずれ我々ブラック企業は整備された法によって駆逐され、地上から消え去るであろう」

ボスの声は、内容のでたらめさを裏切り崇高さを帯びているようだ。

「いずれ海の向こうからAIが押し寄せ、我々からIT土方仕事を根こそぎ奪っていくであろう。いずれ、その日その時は必ずやってくる。だがそれは」

ボスは、ゆっくりとフロアを見渡す。

「今日では、ないのだ」

ボスは拳を振り上げ、力を込めて語る。

「お前たち社畜を酷使するブラック企業が滅ぶ日は、必ずくる。だがそれは」

ボスは、美しいといってもいい声で叫ぶ。

「今日では、ない! 今日ではないのだ、社畜ども」

なぜか、もの凄く酷いことを言っているのに、感動をよんでいた。

「だから働け、社畜ども」

ボスは何かを受け止めるかのように、両の手を大きく開いた。

「来るべき栄光の日、その日その時を迎えるため、今日を働け社畜ども!」

なぜこんなでたらめな言葉で、ひとのこころをうつことができるのだろうか。

あろうことか、拍手さえおこった。

いや、あんた今社畜って言われたの、わかってんの。

ボスはわたしに軽く手をふると、ゆうゆうと退場していった。

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