第3話「彼の名は、クリスマス」

彼の名は、クリスマス。

なぜそんな名前になったのかというと、彼はクリスマスの夜に死んだからだ。

彼は泥酔するまで飲むくせがあって、ある雪が降り積もったクリスマスの夜に酔っぱらって自宅のマンションにある階段を踏み外して亡くなった。

それでみんな「あのクリスマスの夜に死んだやつ」と言ってたけど、それが省略されて「クリスマス」って名前になったの。

でも、これには異説があって、はげ具合がジェイソン・ステイサムなみで映画エクスペンダブルズに登場するクリスマスみたいだってみんなが言ってたからというのもある。

まあ、どっちでもいいしどうでもいい。

わたしは自分で自分のことを控えめにいって天才だと思ってるし、自分より凄いと思えるひとはひとりしかいないとも思ってる。

そのたったひとりが、クリスマスだ。

わたしがはじめて彼とあったのは、とある仕事でマシン室に缶詰めにされていたときのこと。

そこはとある施設の地下五階にあるマシン室で、二重三重のセキュリティに保護された地下ダンジョンみたいなところだった。

当然携帯電話の電波なんてとどかないし、地上をミサイルで攻撃されても多分平気な場所だ。

そこで、わたしたちは追いつめられていたの。

はじめは単純なシステムのアップデイト作業だったはずなのに、想定外のトラブルが起こってシステムが起動しなくなってしまった。

なんか公安が使ってるセキュリティシステムと連動してるシステムだから、朝までに起動できないと国家レベルでの問題になるって上のひとたちは蒼くなってたの。

天才を自認するわたしですら皆目見当つかない状況で、ハッカーに何か仕込まれたんじゃあないかってみんなで話をしてた。

で、午前三時ごろもう後がない、って状況で彼に連絡がついたってわけ。

彼が登場したのは、午前四時。

例によって泥酔状態だった彼は、まともに歩けなかったから車いすに乗せられていた。

なんか得体の知れない注射(ビタミン剤ってみんな言ってたけど、絶対違う)をうたれて意識を取り戻した彼は、システムトラブルの解析をはじめる。

たったの、三分。

十人以上の専門家、いえ外でバックアップしてたひとたちをいれると三十人くらいのひとが四時間かけて解決の糸口さえ見つけられなかった問題を、彼は三分で解決した。

もうね、わたしと彼の差はいぬとひとの差ぐらいあるんじゃあないかと思ったわね。

まったく起動する気配もなかったシステムが起動し、コンソールに正常動作のメッセージが出たときマシン室に拍手が巻きおこったわ。

でも肝心の彼は、車いすで再び眠りについていたのだけど。

彼とわたしはその後始末で一緒に仕事をして、わたしは一方的に彼の弟子になったわけ。

彼にすると、いい迷惑だったのかもしれないけど、ちゃんと面倒をみてくれていた。

いつしかわたしは、彼の家によく遊びに行くようになってたの。

なにしろ彼は、自宅にハイスペックのサーバーにネットワーク機器をいろいろ接続した電脳世界を構築していたから、ものすごく遊びがいがあった。

彼の家にいくと、サイバー空間にころがる宝のやまにアクセスできたんだよね。

そんな感じでわたしは彼の家でいつも時間を忘れてこどものように、遊んでいたんだけど。

ある日、それを見つけてしまったの。

それは、一見音楽データを編集するDTM用アプリみたいなプログラムにみえた。

「ねえ、師匠。これなんなのよ」

わたしの言葉に、彼は珍しく少し困ったような顔をする。

「ああ、それをみつけられてしまったか」

彼はまるで悪事が露見した、シリアルキラーみたな表情をしている。

わたしは、彼の態度にびっくりしてソースコードを確認する。

そういえばシーケンサーやシンセサイザーのたぐいにしては、制御が複雑すぎるし精密すぎた。

彼は、うーんと唸りながら説明をはじめる。

「ゼンデギ、てあるだろ」

「ああ、グレッグ・イーガンの小説ね」

彼は、うなずく。

「そのプログラムは、ゼンデギの逆をやるんだよ」

えーっと。

ゼンデギって、確かニューロンの発火パターンをトレースして、ひとの精神をサイバーネットワーク上にアップロードするってやつだったよね。

その逆、ってことは。

まさか、サイバーネット上にある仮想人格を、ひとの脳へダウンロードするっていうこと?

わたしは、あきれて目を丸くした。

「そんなの、無理だよ」

「いや、ゼンデギにくらべれば、遙かに簡単だろう」

疑わしげな顔をしているわたしへ、彼は説明をこころみる。

「ひとの脳でおきているニューロンの発火パターンをトレースして、そのロジックを解析するまでは比較的簡単だろう。それは、判るよね」

彼の言葉に、わたしはうなずく。

確かに、そこは単にビッグデータの解析みたいなものだから、AIをうまく使ってできるはず。

「問題は、そのロジックを実行するプロセッサの仕組みが判らないことなんだよね」

なるほど、脳の中で何が起こっているかは調べれば判るけれど、それがどのように実現されてるかはロジックをいくら解析してもわからないってことか。

例えてみれば。

自動車を分解して、部品を調べていけばその仕組みまでは判るはず。

でも、自動車がどのように操作され、何に使われるのかっていうのはいくら部品を調べても判りっこない。

だから、脳って機械を仮想的にサイバーネットワークに実現しても、それをどうやって動かせるのかは判らないってことになる。

けれど逆に、仮想的な脳を本物の脳へダウンロードすればかってに動き出すはず。

そういうことよね。

「いやいやいや」

わたしは、首をふる。

いったいどうやって、脳へデータをダウンロードするっていうのよ。

「どうやって、脳にデータをダウンロードするかといいたいのだね」

わたしは、彼の冷静な言葉にうなずく。

彼は、出来の悪い生徒に説明する調子で、話をはじめた。

「聴覚というものは、意外と精神の奥深いところに直結しているんだ。たとえば可聴範囲を越えた領域の音は、聴いていることを意識は関知できないが、脳の神経伝達物質の分泌に影響を及ぼし鬱病などを引き起こすことが知られている」

わたしは、うなずく。

言われてみれば、そんな話もきいたことがあるような。

「つまり、聴覚というものは意識を経由せずダイレクトに脳へ作用する。有名なところでは古代ギリシャでピタゴラス教団の行っていた、音楽療法がある。これは、音楽を使って精神の深い領域をコントロールしようというものだ」

「先生、わかりました」

わたしは、手をあげる。

彼は、少し片眉をあげてわたしをうながした。

「つまり、サイバードラッグを使って、マインドコントロールするわけですね」

彼は、眉をひそめた。

「身も蓋もない言い方だけれど、そのとおりだ」

「そういうサブリミナルコントロールを、音楽や映像を使ってやるのって、法規制があったんじゃあ」

「あるよ、もちろん。でも、そういう細かいことは気にしなくてもいいんだ。公開する気はないからね」

いやいやいや。

それって、非合法の麻薬を調合してるけど、売る気はないからセーフっていうようなものじゃん。

それを細かいことっていったら、なんでもありだよなあ。

そうわたしは思ったが、彼は無邪気なのりでいってのけた。

「簡単に言うと、音楽を使って脳内にバーチャルな人格をダウンロード可能だと思ってる」

まあ、できるんだろうね。

思いっきり、法的にはアウトだけど。

やっぱり、天才というのはどこか頭のネジが飛んでると思う。

わたしも多分ひとのことは、とやかく言えないんだろうね。

「実をいえばリズムと周波数をニューロンの発火パターンとマッピングする作業は、ほぼ終わってる。人体実験をやれたらいいと、思うんだけどなあ」

わたしは、げっ、となる。

この流れだと、わたしが実験に志願するっていうのを求めてるわけだよね。

確かにおもしろそうではあるけれど、自分がそこまで壊れたひとかは微妙なところだ。

わたしは、話を変えることにした。

「質問があります」

「なにかな」

「先生は、音楽を聴いたりするんですか?」

彼は、少しだけつまらなそうな顔をした。

つまり、今回は実験の要請を断られたと、理解したわけだ。

「まあ、聴くね。古い音楽が多いけれど」

意外な答えだと、わたしは思った。

「古いっていうのは、たとえばどんなのですか?」

「世界最古の女性音楽家といわれる、ヒルデガルド・フォン・ビンゲンとかね」

古すぎだよ、それは。

「もう少し、新しいやつだとどうですか」

彼は、少し考える。

「1940年代のベルリンでレコーディングされた、ブラームスの交響曲第四番もよく聴くよ」

へえ、と思う。

「クラシックが好きなんだ」

「いや、興味ないけど」

わたしは、むっとなる。

「ああ、ブラームスが好きなんですね」

「ブラームスはそうだな、積極的に嫌いだなあ」

わたしのあきれ顔に、彼は苦笑する。

「僕が聴いてるのは、フルトヴェングラーが指揮した演奏でね。彼の指揮した交響楽が、好きなんだよ」

わたしは、肩をすくめる。

「そんなひと、しらないけれど」

「そうだろうね」

あっさりといったそのことばに、わたしはなんとなくイラッとした。

彼は、わたしのこころの動きを気にしふうもなく、言葉を重ねる。

「フルトヴェングラーは、ナチスに協力した芸術家として知られていてアカデミックな場では誰もとりあげることがないから」

ふーんと、わたしは思う。

「ナチスなひとの音楽が、好きなんですね」

彼は、少し苦笑した。

「フルトヴェングラーがナチスかっていうと、それは違うかな。彼は、何も考えてなかっただけなんだよね。音楽が演奏できれば、それがどう利用されようと関係ないと思ってたんじゃあないかな」

「馬鹿なんですかね、そのひと」

意外にも、彼はわたしの言葉にうなずく。

「馬鹿だと思うよ。音楽馬鹿ってやつだね」

わたしは、大きくうなずく。

きっと君たちは、似てると思うな。

「先生は、何の馬鹿ですかね」

彼は、うれしそうに笑う。

「しいていうなら、本当の馬鹿ってやつだな」

ま、たぶんわたしもそれかな、と思って彼に笑みをかえした。

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