最終話 夢で終わらせない
それから数ヶ月。
俺は順調に自室に順応していった。
そうしてこの度、めでたくヒキニート生活に戻りましたとさ。
結局あいつらの指導は何の意味もなさなかったってことが、他でもない俺によって証明されたんだよなぁ。
でも変わったことだってある。朝早く起きられるようになったこと。以前の俺からは考えられない。
施設の中、緊張状態が続いたせいで、毎日のように悪夢を見て、3時間ほどで睡眠から覚めるようになってしまったのだ。
そんなんだから夜はすぐ眠ってしまう。そして夜明け前に起きる。ある意味では早寝早起きだ。
髪も伸びてきた。と言ってもまだまだ短いけど。でも逆に、ちょっと気に入ってたりする。
親とも毎日顔を合わせるようになった。もう母親は何も言ってこなくなったから、そんなに気まずくなることもない。
ネットもゲームも前みたいに本気になれなくなった。もう何をやっても虚しく感じるので。
そんな毎日で暇を持て余した俺は、コンビニくらいなら自分で行くようになった。しかも夜中だけじゃなくて、日中にも。
「この条件でこの時給って……ナメてんのか?」
いつものコンビニで求人誌を見ながら悪態をつく。
俺はちょくちょくコンビニに行くほどの陽キャになっていた。
しかも今なんて、求人誌なんぞをめくっているのだ。働くかどうかは別にして。
求人広告に載っているのは、社員総出の職場の写真。アットホームな職場特有のやらされてる感。笑ってない目。ひきつった笑顔。
そんなのを見るとクラクラする。ついでに時給から収入を計算すると、卒倒しそうになる。フルで働いて月給15万の求人ばかり。衣食住を抜けば数万しか残らない。小学生でもわかる……最初から詰んでいる。
施設では「どんな悪い条件でも、働いてさえいればなんとかなる!」って言われてた。それにちょっと感化されそうな時もあったけど、やっぱりクソなものはクソだ。こんな時給じゃ、未来も何も無いんだから。
しかし今日もロクなものが無かったなぁ。ちょっと良さそうなものも、よく見るとカラ求人っぽかったりするし、害悪すぎる。
ていうか、今考えたら、あの施設の指導員たちは『労働環境がクソ』って認識があった。そのうえで「クソでも働け」というスタンスだった。
連中は『働いてさえいれば救われる』みたいに、漠然と社会の善性を信じてたりはしなかった。
さすがは社会の裏っかわの人間、そんだけ世慣れてるってことか。
コンビニを後にし、人通りもまばらな昼下がりの商店街をぶらつく。
道に広がって歩く買い物中のおばさん連中。俳句の会から帰る老人。仕事サボって休憩してるタクシーの運ちゃん。誰もいないのに呼び込みを続けるドラッグストアの店員……
俺はその中に溶け込めてるだろうか。異物だと思われてないだろうか。
そんなふうにキョロキョロしつつ鯉の滝登りのごとく商店街をさかのぼった俺は、ついに駅の近くまで到達してしまった。徐々に周囲がにぎやかになる。
せっかくだから、このまま駅前の本屋まで行こう。そうしよう。
外に出て時間をつぶすなんて以前なら考えられなかった俺が、家でネットしてるほうが有意義だと思ってた俺が、街をぶらぶらする。これ街歩き番組としてどうですかね?
………………
「高齢化、人口減少、雇用の喪失……この市には、さまざまな問題がありますね?」
駅前に到達した時、まばらな人だかりの中に停まっている選挙カーから、演説の弁が聞こえた。
今の時期なら市議会議員選挙だろうか?その演説のなんだか聞き覚えのあるような声、特徴的な尻上がりの喋り方が気になって、拡声器の声のするほうへ目をやった。
「御存知の通り、私は地域社会に貢献するため、これまでさまざまな問題に取り組んできました。それは皆さんもご存知ですね?」
スーツを着込んではいるが、あのハゲ頭は間違いない。園長だ。あの施設の園長の……伊佐坂だ!
目をやると、選挙カーには『いささか勲』と垂れ幕がかかってる。
これはあれか?あいつは市議選に出馬してるってことなのか?あいつが?
と言うことは、あいつ捕まらなかったのか?
もしかして、あの一件でも不起訴になってしまったのか?
「それがどうですか?引きこもりや不良の支援に乗り出したら、やれ暴力だ、虐待だ、って!マスコミや人権屋は異常ですよ!?そんな甘えが許される世の中を、みなさんはどう思います!?」
あんなことやって連行されて、証拠不十分で釈放されたらすぐこれかよ!こんな場所に立ってるのかよ!?
あいつは人を虐待して、死に追いやった。それは疑うことない事実だ。普通の感覚を持った人間ならヘコむ。罪悪感で立ち直れない。
しかしこいつはどうだ?堂々と人前に出てる。あまつさえ、また人の上に立つポストにつこうとしている。
どうしてあいつはこんなことができる?
どうしてこんなに傲慢な人間がいるんだ?
かたや逮捕歴もないのに、日陰でダンゴムシみたいな生き方してる人間だっているってのに!
「私はですね、リアリストの視点から、そういった市政を改革することができますよ!?」
園長の隣に立っってるのは……小暮。
いつものあのジャージじゃなく、高価そうなスーツを着てるが、この俺が見間違えるはずもない。
あいつもまだ園長とツルんで、シャバで新しい仕事をしてるってわけか。
しかもなんだあれ?秘書かSPのつもりか?ずいぶん出世してるように見える。
なんだかものすごい不快感に襲われ、全身の毛がゾワっと逆立つ。
「……ありがとうございます。いささか勲でございます。ありがとうございます」
あっけにとられてるうち、ここでの選挙演説は終わった。
連中は握手をこなした後、垂れ幕を仕舞いながら、選挙カーの裏手に引っ込んでいく。
俺はバクバクする心臓を抱えながら、遠回りして奴らのいるほうを覗き込んだ。
すると小暮のところへ、子供を抱えた女の人が近づいていくところだった。
小暮は笑顔を浮かべ、その人の腰に手を回して抱きとめた。そして顔をクシャクシャにして、その子供にキスをする。
「ああ……なんてことだ……嘘だろ」
俺の口から嘔吐のような声が漏れる。
あいつ、奥さんも子供もいたんだ。
俺はあいつのこと、正真正銘の異常者だと思ってた。
でも施設の外じゃ、ごく普通の人間として生活してたんだ……施設にいる時も、ずっと。
あいつは俺たちを騙し、罵った口で、奥さんに愛を誓ってたんだ。
俺たちを殴った手で、あの子供を抱きかかえてたんだ。
心臓がドクドク脈打ち、息が苦しくなる。
頭が真っ白になって、感覚が遠のいてく。施設でいつも味わってた感覚だ。しばらく忘れていたはずの感覚がよみがえる。
「……うぷっ」
気持ち悪い。
吐きそうだ。
俺はフラフラと歩き、自転車置き場の物陰にうずくまった。
「へへへ……へへへへへ!」
あいつは……園長は罪の意識を感じることもなく、また権力のある立場へ返り咲こうとしている。
小暮もそうだ。こいつは仕事なら暴力でも人殺しでもやるような人間だ。こんなやつがシャバにいていはずがない。
「あの野郎ども、もう許さない。許さないからな!」
俺はあいつらに裁きを下す。
あそこにいる連中を、どんな手を使ってでも引きずり下ろす。本来いるべき場所に送る。それが坊ちゃんの仇を取ることにもなる。そのためならなんだってしてやる。
「連中のヤバさを知ってるのは俺だけ……止められるのも俺だけなんだ」
不完全燃焼だった。
あの施設で俺はやられっぱなしで、連中にダメージを与えることは出来なかった。さんざん酷い目に合わされたにも関わらず、奴らはノーダメ。それがずっと心残りだった。
そういう意味でこれは、神様がくれたチャンスなのかもしれない。連中に意趣返しをしてやれ、という。
「へへへ……後悔させてやるよ」
俺は施設で学んだ。人をハメる狡猾な手法を。他人を絶望させる非道さを。
奴らを追い込むために、俺は施設で学んだことを活用する。
連中が教えてくれたことを、まるごと全てお返ししてやる。それが生徒としての務めだ!
待っててくれよな、先生たち?
俺の成長した姿、たっぷり見せてやるからな!
………
第一部・完
………
引きこもり支援施設におけるサバイバル 疎達川るい @shitle_aker
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