第九章 輝く貴石達の中で瑠璃は唄う⑥

 ライブ後の物販も上々に終わった。ルビーのおばあさんも顔を出してくれて、今日の感想を楽しそうに話してくださった。ルビーは――千沙子は少し照れながら、ほっとしたような顔をしていた。おばあさんとも面識のある由香里が駅まで送ってくれると言うので、わたし達は手を振って二人を見送った。


 ライブハウスのスタッフさんが掃除を始めた頃、物販に並ぶ列もなくなったので片付けを始めると、話しかけてくる女性達がいた。


「千沙子ちゃん、お疲れ~」


 ルビーの招待した「お客さん達」だった。ルビーはいつもの笑顔を一瞬忘れかけたものの、すぐにいつもと少しだけ違う笑顔を顔に貼り付けて言った。


「わ~、みんな、今日はわざわざ来てくれてありがとう!」


 うわべには和やかな雰囲気に見えるルビーの隣で、コハクは不機嫌さを隠さなかった。


「アンタらさ、なに親しげに話しかけてんの? コイツはルビーっつうんだけど」

「あ、そうなん……ですか……?」

「えっと、ルビーちゃん……?」

「てか、何? アンタらルビーのなんなの?」

「えっと……ルビーちゃんの元同級生です」

「ふーん!」


 敵意丸出しのコハクの視線に戸惑いつつ、同級生達はルビーに話しかけるのをやめない。


「すごいね~。こんなに盛り上がってるんだ」

「最初と二番目のバンドの人達、イケメンだったよね~。ねえ、紹介してよぉ」


 猫なで声が耳に障った。わたしが眉間に寄る皺を必死に隠す横で、ルチルもヒスイも同じような顔をしている。でも、ルビーは貼り付けたニコニコの笑顔を崩さなかった。


「ハピプリはまだまだだよ! ライブアイドルの中でも、成功してZEPPとかの大きなステージに立ってるアイドルさんはたくさんいるし、それこそ大手さんはもっとすごいし。ルビーはもっともっとがんばらないと!」


 突然の決意表明に同級生達は戸惑い顔だが、ルビーは気にせず続ける。


「だから同級生のみんなにはもう会わない。当然だけど、バンドの人も紹介しないよ?」


 ルビーは可愛らしく小首を傾げながら言った。同級生達は聞き取れなかったのか、意味がわからなかったのか、ポカンと口を開ける。


「ルビーは昔のことも公表したし、メンバーとファンがいるから、もう何も怖くないんだ。ステージ見てくれたでしょ。みんながいるから怖がる必要なんかない。わかるよね?」


 ルビーは仮面のような笑顔を貼り付けたまま、同級生に向かって頭を下げた。


「今日はわざわざ来てくれてありがとう。でも、ルビーはあなた達が嫌いです。さよなら」


 ルビーは顔を上げると、一切振り向かず、フロアを横切って「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた扉の中に入っていった。物販の荷物を手に、わたし達もそれに続く。観客のいなくなったフロアに取り残された同級生達を一瞥して、わたしはその扉を完全に閉めた。



 楽屋に入った途端、糸が切れた操り人形みたいに千沙子が床に倒れ込んだ。


「ちーちゃん!」


 慌てて抱き起こすと、千沙子笑いながら涙を流していた。


「あははははは! アハハハ! ひゃはは! ああああああ! やだああ! 怖い怖い怖い怖い! やだやだやだやだ! あはははは! やあああああああ! おええ……」


 千沙子がえずいた。彼女は必死にそれを我慢しようとしたけれど、喉の奥からせりあがってきたものが口を押さえた彼女の手の隙間から次々と零れ落ちる。その一部はわたしの衣装にも飛び散った。


「ヒーちゃま、ビニール袋だニャ!」

「うん!」


 ルチルとヒスイが引っ張り出したコンビニ袋に、千沙子は頭を突っ込んで残りの胃の中のものを吐き出した。コハクはティッシュ箱を取ってきてくれて、わたしは千沙子の背中をさすり続けた。


「ごめん。い、泉ちゃん、みんな、ご、ごめん。泉ちゃん……よ、汚れちゃ……ごめ……」


 ひととおり吐き出した千沙子は、ぼろぼろに泣きながら謝り続けた。どうしてこんなに胸が苦しくなるんだろう。わたしは彼女をぎゅっと抱きしめた。


「気にしなくていいよ。こんなの洗えばいいんだから」

「い、泉ちゃ……ごめ、ごめんなさ……」

「ちーちゃん、よくがんばったね」

「う、ううううぅ、うわあああああ!」


 涙と嗚咽と吐瀉物とでぐちゃぐちゃに混乱した千沙子が落ちつくまで、わたしは彼女を抱きしめ続けた。



「ルビーちゃん、行こう」

「ゆっくりで大丈夫だからな!」


 やっと嗚咽の収まった千沙子のTシャツだけ着替えさせ、ヒスイとコハクが付き添ってトイレに連れていった。わたしとルチルは汚れた衣装を片付け、楽屋を汚していないかを確認する。


「ねえ、ラピスちゃん。あの人達、いつかルビにゃんの……何かを公開するんじゃないかニャ……?」


 わたしは俯きながら頷く。


「うん。でも、そうなっても、あの子はアイドルを続けるって言うんじゃないかな。だったら、わたしは千沙子を支えるよ」

「そうナリね。みんなで支えるニャ。それにルビにゃんなら、きっと大丈夫だニャ。それを糧にできるくらい、強い女の子ナリよ」


 ルチルは微笑みながら、わたしを安心させるように肩をポンポンと叩いてくれた。


 千沙子のために何が良いことなのかはわからない。でも、わたしは千沙子に望む道を歩んでほしい。幸せでいてほしい。だから、わたしはきっとずっと彼女を見守り続ける。

 わたしは一つ息を吐き出す。険しくなりすぎていた顔を少し緩めて、わたしは荷物の整理を始めた。



 今日は由香里と一緒にパンケーキ専門店に来ていた。わたし達は繊細な香りの紅茶を楽しみつつ、フルーツやクリームが可愛らしく飾り付けられたパンケーキをナイフとフォークで切り分けて口に運ぶ。


「おいしい!」

「ね!」


 お店は観葉植物がたくさん飾られた居心地のいい店だった。由香里がわたしの顔を覗き込みながら言う。


「泉はアイドルを辞める気はないの?」

「うん。当分はね。わたしにとっては今のメンバーが一番大切だから」


 メンバーが侮辱されれば言い返したくなるし、傷つけられれば怒りが湧いて来るし、怖がっていたら守ってあげたいし、無理をしていれば心配になる。当たり前の感情なのかもしれないけれど、わたしにとってはそういう感情が色濃く湧いてくるのは、今のメンバーに対してだけみたいだった。


「辞め時、見失った感じ?」

「そうなのかなあ……?」

「泉、昔はわたしの後についてくるだけだったのにね。リーダーとかやっていけるの?」

「うーん……そうだよねえ……」

「アイドルなんてずっと出来る仕事じゃないし」

「それはそうだよね……」

「いい年になって結婚も就職してなくて、どうしようもなくなっても知らないよ」

「うん……」


 わたしが曖昧に言葉を濁すごとに、由香里は満足げな笑みを深くするように見えた。わたしは、ふとあることを尋ねてみたくなる。


「ねえ、もしかして由香里は……」


 自分より出来ないわたしをいつも隣に置いて優越感に浸ってきたの? 今もそんな気持ちでわたしを見ているの? これからもそのつもりなの?


 喉に出かかった言葉をわたしは飲み込んだ。由香里が不思議そうな顔をする。


「なあに? どうしたの?」

「えっと……ううん。なんでもない」


 それを言ったところで今更どうにもならない。それに、わたし自身、由香里をあてにして生きていたところもあったわけで、人のことを言える義理もない。そもそも、わたしは由香里を好きだと思って友達を続けていたのか、なんとなく一緒にいただけなのか、今となっては自分でもよくわからなかった。


「それより今度また飲みに行こうよ。この前、SAYURIさんに素敵なバーに連れて行ってもらったんだ。そこに行ってみない?」

「へー。面白そう」

「今度はわたしが奢るよ。今回のツアーとCDで少し潤ったからね」

「それは楽しみ」


 由香里はあの頃の面影が残る華やかな笑みを浮かべる。わたしもニッコリと笑う。


 わたしは考えたのだ。

 由香里の持っている媒体やコネクションはわたし達の役に立つかもしれない。この友好関係はもう少し維持した方がいいだろう。


 わたしはあの頃から少し変わった。由香里の隣にいて何も感じずに笑っていたわたしはいなくなったけれど、何かを感じても笑い続けられるわたしになった。それがいいことなのかどうかはわからない。でも、メンバーを守る手段を講じることの方が今は大切だから、わたしはニコニコと笑う方を選んだ。



 今日もわたしは千沙子と手を繋いで街を歩く。千沙子はいつものようにニットキャップとマスクをつけて、わたしはキャリーバッグを引きながら歩いている。そんな、いつも繰り返されてきた光景。


 でも、この日常はいつまでも続かないことはわかっている。アイドルには、特に女性アイドルには寿命がある。

 それでも。


 赤信号で止まったわたしは、隣の千沙子に話しかける。


「ちーちゃん、今日も楽しくアイドルしようね」

「……うん」


 陽の光の下で、マスクとキャップの間から覗く千沙子の黒目がちな瞳がキラキラと光る。


 わたし達のこの日常はきっともうしばらく、思っていたよりも少しだけ長く続く気がして、わたしは千沙子ににこりと笑い返した。


 信号が青に変わる。

 わたしは千沙子の手を握る力を少しだけ強め、雑踏に交ざって横断歩道を歩き始めた。


【終わり】

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アイドル・シンドローム ~地下アイドル細腕繁盛記~ フミヅキ @fumizuki_f

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