<後>

 夜中の外出。

 深夜っていうほど遅くはないけど、最終の電車の時間に合わせて家を出る。

 私は修学旅行かってくらいテンションが上がって、とっておき用に買っていたワンピースに腕を通していた。

 外灯がまばらで暗い地方の道では私が最高に気に入っているギンガムチェックの色の組み合わせは四捨五入どころか切り捨てされている感じがあったけれど、待ち合わせの駅の近付くにつれてさすがに明るくなってくる。

 私は胸を張って、先に来ていた夏緖に手を振った。

 夏緖は白色の薄手のパーカーを羽織っていたけど、その下は制服だった。

「なんで制服なの」

 と開口一番に私は言った。

「衝動的に着の身着のまま家を出てきたって設定」

 夏緖は恥ずかしそうに、だけど自信ありげに言った。

「設定なんかい。こだわりが謎だな。別にいいけど」

「美里亜はがっちり着替えてきたんだね」

「うん。小旅行気分で」

「さすが、家出二回の女」

 どういう女なんだ、それは。

 と思ったけどそれは置いておき、私は打ち明ける。

「あ、それ嘘」

「え?」

「実は私、家出したことない」

「えー、嘘でしょ」

 夏緖は目を丸くして、全く信じられないという顔をした。

「それじゃあ、なんで二回もあるとか嘘ついたの」

「家出の先輩としてリードしてあげるって言えば、一緒に行けるかなって思って」

「美里亜はやっぱりアホだ」

 と夏緖は微笑む。

 しかも優しい笑みだ。

 おばあちゃんが孫に向ける優しい微笑みみたいな穏やかな表情で夏緖は私を馬鹿にする。

「夏緖だってアホでしょ」

 と私は子どもっぽくむくれて言い返す。

「夏緖じゃなくて、夢限空ね」

「めんどくさっ」

「夢限空の私はアホだ。アホでいい」

 相変わらずの笑顔で夏緖は言う。

 相当に気分がいいらしかった。

 初めての家出で気分が上がっているんだろう。

 わかりやすく騒がないだけで、夏緖は浮かれていた。

「とにかく家出の先輩、エスコートお願いね。そろそろ電車来る時間だし」

 と夏緖は言った。

「嘘だって言ったじゃん」

「嘘でも家出の先輩としてエスコートしてもらう」

「ええっ、めんどい」

「嘘をついたバチが当たったのだ」

「バチって、夢限空のさじ加減じゃん」

 夏緖って言う度に訂正されそうなのでダサくてイタい名前で呼んでやると、夢限空こと夏緖は嬉しそうにうなずいた。

「そう、夢限空。夢限空のさじ加減はいつでも人に辛辣だ」

 けけけ、と夏緖は笑う。

 仕方ない、エスコートしてやるか。

 と私は思った。

 普段の夏緖がしない笑い方だった。

 非日常を楽しんでいる夏緖の腰の骨を折るのは可哀想だという気がした。

「はいはい、わかりましたよ、夢限空」

「やったね」


 切符の値段を探して教えて、乗る電車まで誘導するだけでエスコートは終わった。

 二十二時過ぎの終電で向かうのは熱海だ。

 夏緖が少し前にはまっていたドラマの最終回で熱海に行っていたらしい。

 その上、普通列車で三十分もかからないくらい近いので丁度よかったのだ。

 走り出した電車の窓の外に見える景色はとてもつまらなかった。

 建物などの灯りは密集していないせいかなんだか孤独で、私たちの暮らす町の灯りは夜の闇に従順だった。

「私、名前が変わったりしなかったら、家出なんて一生してなかったと思う」

 と夏緖が言った。

「別に家出をしたいわけじゃないんだ。する必要もない。両親とは仲いいし。でも、家出を一回もしたことのない人生を送るのは、なんだか嫌だった。私とは違う誰かの人生を歩んでみたかった」

 私もおんなじだよ。

 そう思ったけど口にはしない。

 私はうんうんと相づちを打つだけだった。

 そして窓の外の、夜景と言うほど綺麗ではない、通り過ぎてゆく町の灯りを眺めている。

 私には私なりの浸り方があった。

 初めての家出、初めて夜中に乗る電車の浸り方が。

「美里亜にも、別の名前付けてあげよっか」

 不意に夏緖はそう提案してきた。

「え?」

「家出、したことないんでしょ。なら美里亜にも別の名前がいるんじゃない?」

「いや、いらないよ」

 ダサくてイタい名前で呼ばれたくないから断る。

対物天使アンチマテリアルエンジェル

 夏緖は私の顔を指差し言った。

「最悪」

「長かったかな。略して、アンマテジェル……、あ、アンマンってどう?」

「最悪の下にまだ最悪があったとは思わなかった」


 熱海に着き、私たちは海に向かって坂を下っていく。

 もちろん夏緖の好きなドラマのロケ地が海の方だったからだ。

 まだ開いている飲食店も多くて、私の町と比べると圧倒的に明るい。

「海ね、毎晩ライトアップしてるんだって」

 と夏緖に教えられて楽しみに坂を下っていったが、やがて見えてきた海は全く光っていなかった。

「してないじゃん」

「あれ?」

 夏緖はスマホの画面をいじる。

「二十二時までだった。もう終わってた」

「しっかりしろよ、夢限空。まあいいけど」

 海岸沿いを歩くと公園があった。

 弧を描いて延びる柱が四本建っていて、先端のライトが公園を照らしていた。

 その奥には、もう一本、こちらは真っ直ぐで太い柱が建っている。

 太い柱の頂点は、翼とハートの形にした帯を組み合わせたオブジェになっていた。

 夏緖が言うには、縁結びのスポットであるらしい。

 曲がった柱のライトの真下に小さな植え込みスペースを囲むベンチがあって、私たちはそこに座った。

 公園の道の端にも短い間隔でライトが設置されていて、けっこう明るい。

 黒い海も、私たちのいる公園とかホテルとか、熱海の町の灯りにほのかに照らされている。

 私たちには、家出をした夜に相応しい話題はなかった。

 そもそも相応しい話なんてあるんだろうか、それさえ想像がつかない。

 だから真剣な話をしようと将来のことを話してみたところで、宝くじとか当たって大金持ちになればいいのにってくだらない着地をしてしまう。

 近くのファミレスが二十四時間で営業していたのでそこに避難したり、また公園に戻って

 段々と明るくなってきた。

「ついに朝になったかあ」

 と私は言った。

「お母さん、心配してるだろうなあ」

「そんならさ、元気にしてるって送ってやんなよ。あ、せっかくだから写真撮ろうよ」

 私は夏緖のスマホを奪って、それで私と夏緖と縁結びのオブジェが写るように苦心しながら自撮りしてやる。

「ほら、いい感じに撮れたよ。夢限空」

「ありがとう、対物天使」

「それマジやめて」

「本当にありがとう、美里亜」

「いいから送ってあげなよ、夏緖」

「うん」

 きっと帰ったらすごく怒られるんだろうなあ、と夏緖は言った。

 そして私たちは今度の夏休みにまた一緒に、でも今度は普通の旅行で熱海に来ようと約束した。

「また夢限空と、対物天使になりに」

 と夏緖は言う。

 嫌だけど、またなってやってもいいと、私は思った。

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厨二ネームに変わっても親友だからね 近藤近道 @chikamichi

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