厨二ネームに変わっても親友だからね
近藤近道
<前>
「この問題を、ええと、
「はい」
指名された夏緖はすっと立ち上がり、黒板に計算式を書いていく。
艶のある真っ黒なショートヘアの少女。
校則から一ミリもはみ出していない容姿をした彼女は、チョークでも綺麗な字を書く。
答えは合っていたけど、途中式を省きすぎていた。
「答えが間違っていても点数をもらえるかもしれないからな。途中式はちゃんと書くように。気を付けろよ、夢限空」
「はい」
「夢限空だけじゃなくて、みんなもな」
勤勉な何人かが先生の言葉にうなずく。
私は真面目に勉強しないし、夢限空って名前で夏緖のことを呼ぶのも嫌だし、絶対にうなずかない。
黒板をぼうっと見て、なんにも聞いていない振り。
だって夏緖は、夢限空なんて名前じゃない。
友達の
二日前まで夏緖は夏緖だった。
けれど昨日学校に来てみたら夏緖は夢限空になっていた。
苗字とか名前とかの区別なく、夢限空。
みんなは夏緖が昔からその名前であったかのように、普通に夢限空と呼ぶ。
私も彼女の名前を夢限空と呼ぼうとしたら、なにか違和感があって、よくよく思い出したら夢限空じゃなくて夏緖だったことに気が付いた。
たぶん夏緖は病気なのだ。
噂でしか聞いたことないけど、思春期症候群ってやつ。
それのせいでみんな夏緖の名前が夢限空だって思ってしまっている。
でも。
私だけはちゃんと覚えている。
あなたの名前は沼津夏緖。
夢限空なんかじゃないってこと。
ぶっちゃけ私と夏緖はむちゃくちゃ仲がいいわけじゃない。
夏緖は制服をちゃんと着て、髪の毛を染めたりしないから、私とは違うジャンルの人だって感じがする。
お互い、もっと仲良しで気の合う友達が他にいる。
だけど夏緖の名前を覚えていたことにはきっと意味があって、それは私と夏緖が心の底からつながった親友になれるってことなんだと思う――
昼休み、使われていない空き教室に夏緖を連れ出した。
「なに、どうしたの、
腕を引っ張り、むりやりに連れてきたもんで、夏緖は不安げな顔をしていた。
私は夏緖を椅子に座らせ、彼女の手を取る。
優しく微笑むことも忘れない。
どんなに孤独に思っても私はあなたの味方なんだよ。
っていうことを教えるのに一番いいポーズ。
「夏緖。あなたの本当の名前は夏緖でしょ。私、覚えてるよ」
私は夏緖の目を見つめる。
私の目はきっと希望の光で溢れている。
しかし希望の光は夏緖の目に届かず、彼女は冷ややかな目をした。
「私の名前は夢限空ですけど」
と夏緖は言った。
一秒くらい硬直した後に、私の微笑みは困惑と焦りの苦笑いに変わった。
「いやいや、夏緖は夏緖でしょ。おかしいって」
それとも夏緖本人すら本当の名前を忘れちゃっているのかしら。
と疑ったけれど夏緖は眉を寄せて、
「今の私は夢限空だから、その名前で呼ぶのやめてってこと」
と言い、私の手をぶんぶんと振り払った。
自分の名前が変わったって、わかってはいるらしい。
「なんで!? 夢限空なんてイタい名前、可哀想だよ!」
「いいから、別に」
面倒くさそうに夏緖は言う。
でも私は引き下がらない。
「よくない。夢が限りない空、なんて恥ずかしいでしょ。寿限無、寿限無、五劫のすり切れ、みたいじゃん」
「海砂利水魚の、水行末、雲来末、風来末、私は可哀想じゃない」
「食う寝る所に住む所、それでも本当の名前は夏緖でしょう」
夏緖は言い返せなかった。
顔をしかめて、続きなんだっけ、とつぶやいた。
藪ら柑子が出てこなかったのだ。
「って言うか、夢限空のどこが寿限無と似てるの」
と夏緖は言った。
「ことぶき限りなし、で寿限無だから。で、夢が限りない空で夢限空。似てるでしょ」
「美里亜って博識だったんだね」
馬鹿を見るような目を夏緖はした。
「もっと馬鹿だと思ってた」
目をするどころか、はっきり言ってきた。
私は苛立ちを抑えながら、抑えきれずに漏れ出すのだけれど、とにかく怒ってしまわないように、
「あのねえ、私は夏緖のことが心配で、なにか助けになれないかなって思ってんの。ふざけるのやめて」
と言った。
「それなら心配ご無用。私、今の状況楽しんでるから」
「ええっ?」
「だって名前が変わるって、まるで別人になったみたいじゃん。なかなか気持ちがいいよ」
夏緖の顔には、大人びた心の余裕と童心の無邪気さが一緒くたに表れていた。
等身大の夏緖とは別のものが、確かに今の夏緖にはあるみたいだった。
「そういうものかなあ。私、夢限空は絶対嫌だけど」
と私が言うと夏緖は、ふふ、と笑った。
馬鹿だと思っているかもしれないし、同意してくれているのかもしれない。
曖昧な小さな笑いだった。
けれど心を許してくれたような穏やかさがあった。
「きっとすぐに私の名前は元通りになる。そしてみんな、私の名前が夢限空だったことを忘れるよ。だから私は夢限空の今にしかできないことをしようと思う」
と夏緖は打ち明ける。
「今しかできないことって、なに?」
「今晩、家出をしてみようと思う。それで明日は学校をサボる」
「へー、面白そう。私も一緒に行く」
心と喉が直結しているみたいに、面白そうと思った瞬間言葉になっていた。
一瞬で夏緖の顔が迷惑そうな顔に変わった。
それマジ? って聞いてきそうだった。
私は機先を制して、
「家出なら任せてよ。私、二回もしたことあるし。家出のプロだから」
と言った。
後は押せ押せで夏緖の計画を根掘り葉掘り聞いて、そして今夜駅前で待ち合わせようと約束した。
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