第9話 降車完了

「まもなく、駅に到着いたします」


 子猫少女の声が響く。

 ホームに、腰が曲がった羊頭が立っていた。


「さぁどうぞ、お乗りください」

「ついに一度も変わってくれなかったのね、ナコ」


 当たり前だよそんなの。そもそも必要なかったのに。


「奈子……まだ気付いてなかったの? みんな、そろそろ終点だから、こちらへ集合して」


 やってきた動物の頭をした乗客と乗員達が、仮面を外した。


「あら、あなた達は……?」


 車掌の子猫の下から、青白い顔の少女が現れた。

 ウサギの下からは、鬼のような表情はすっかり晴れた女の顔が現れた。

 他の動物達の下から現れた顔も、全員似た顔をしていた。


「なんだかみんな、そっくりね」

「当たり前だよ。全員あなただから。ナコだからだよ」


 小さい頃に親に力でねじ伏せられてきたナコ、その怯えるばかりのナコを傷つけていたナコ、他にもたくさん存在するナコを統制するために生まれた私というナコ、そしていつの間にか、この列車の中に羊の仮面を被って閉じこもってしまった、本当のナコ。


「さぁ、奈子。やり残した事はないかしら? もうあっちには戻れないと思うけど」


 本当のナコがここに戻ってきた今、全てのナコ達の物語は終わろうとしていた。

 あの頃からどれくらいの時が流れたのかは分からない。

 私は気付いていた。この空間は奈子自身が作り上げた物だった事、私自身も本当の奈子が作り上げたものだったという事。

 私はとても幸せだった。自分自身である奈子が幸せだったから。

 あの日、この空間へと誘われた全てのナコを統制するために生まれた私はもう必要なくなって、消えるはずだったのだ。なのに奈子はこの列車を作って、私の居場所を与えてくれたのだ。ストレスを受けるためだけに生まれてしまった小さな私も、ストレスを任され、小さな私を傷つけるだけの存在として生まれた女も、今は少女の私と和解し、穏やかな乗客として、然るべき場所への旅を楽しんでいる。

 全てのナコは今、幸せだった。


「ほら見て、バッテンのマークだ。終点のマークだよね?」


 少女のナコが指さした。

 虚空に線路がここで途切れている事を示すマークと、大きなプラットフォームが現れた。

 どうやら、あれが終着駅のようだ。

 暗い星だけの空間が、美しい光に満ちていた。

 いつもよりも少しプラットフォームに、たくさんの動物の顔をした人々が立っていた。生まれては旅だったナコ達が、出迎えてくれていた。


「お母さん!」

「ばぁば!」


 たくさんの声と共に、空気が流れる音が聞こえた。

 ずっと一緒に居てくれた人の声、私がお腹を痛めて産んだ子の声。そして、その子が産んだ子の声。

 聞こえるけれど、返事はもう出来なかった。

 ありがとうと伝えたいのに。ここに居る皆にも、あれ程嫌いだったお父さんとお母さんにも。そして、たくさんのナコ達にも。

 私はずっと、一人ではなかった。たくさんの私が助けてくれたから、今日まで生きて来れたのだ。


「まもなく、終点です。お忘れ物のないよう、お手回り品を今一度ご確認ください。それから、伝え忘れもなきようお願い申し上げます」


 若いままの私の、ナコの声がした。


「ご乗車、ありがとうございました」


 こちらこそ、ありがとう。

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境界列車 アイオイ アクト @jfresh

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