市立病院行きバス
美作為朝
市立病院行きバス。
「おはよう」
地域では"運転手さん"でとおっている。
「おはよう。今日もおばあちゃん早いね」最前列の運転席からアナウンスでなく声を掛ける。この中古の乗合バスにはそんな装備はない。
「ハイ、運転手さん、おはようさん」
野中のばあちゃんは、"
大人が土下座するのを始めてみた。
給料も安かったし、このホテルチェーンは全国規模で転勤移動させられることでも有名。些細なことで揉めて
潔く同意した。
すると、番頭さんの表情は直ぐに元の無表情に戻り、幣原など最初から居なかったかのように去っていった。
そこのホテルの送迎バスを運転していたので、大型二種免許は持っていた。
それを利用しどこかの田舎の小さなバス会社に入ろうと思った。長距離バスだけはゴメンだ。長距離バスの運転手さんたちには大変申し訳無いがこんな人生でも少なくとも生きていたい。ハローワークもなにするもなく、すぐにここが見つかった。即決。こんな田舎では嫁さんを見つけるのは大変そうだが、独り身の楽なところだ。
就職は正社員として。町役場は<聖人君子>でもやってきたかのように三十代のおっさんに花束までくれて大歓迎をしてくれた。給料はさらに大幅に減ったが、その分仕事はめちゃくちゃ楽だ。
勤務は昼寝付きの朝と夕方だけ時々昼の便が回ってくる。陸の孤島の山の上にある
ただし、運転はかなり過酷で大変。国道は"
たった二車線の片側ガードレール。ガードレールの下は20メートルはあり、大きな岩がゴロゴロする沢だ。
二車線もセンター・ラインが言いわけ程度であるのみ、軽や普通乗用車あたりは楽にすれ違えるが、大型トラックだと両方徐行ですれ違う。しかも坂道発進と来る、たいへんたいへん。
そう思って見通しの悪いカーブをグルっと回った。すると対向車として軽自動車が登ってきた。確か、平山さんところの奥さんだ。いつも、お世話になっている余った自家栽培の野菜をたくさん頂いている。奥さんは運転席でものすごい驚いた顔をしていた。いやぁ、おどろかせちゃったかな。安全運転第一だ。
「おはよう」
停車駅名は、"
ここで、
最新のノンステップバスだと、油圧でバスそのものを傾けて挙げられるが、この第三セクターの税金補填赤字バス会社ではそれは無理というものだ。
坂下のおじいちゃんと酸素ボンベが無事に無事乗車したのを確認して、出発ーっつ。
バスのギアは二速発進。よいしょっと。
「おっ」
対向車線の登りで同じ垣間町バスが登ってきた。朝早い出社の人や商店街に出勤に行く日人々を乗せていた幣原の運行するバスの一本早い時間帯のバスだ。下まで降りて駅前もグルッと回り往復して登ってきているのだ。
運転しているのは、
バス三台に三人の運転手これがすべてだ。
誰かがどうなったらとか思うと怖いが、それも過疎の現実。考えないことにするのが一番だ。幣原もここに来てすぐに学んだ。
坂道でのすれ違いは登り優先。幣原が停車して待つ。しかもすれ違い安い場所で。
立原さんが少し驚いた表情を浮かべ手を軽く上げてすれ違っていく。
まだ俺って、顔覚えられていないのかな?と軽く幣原の頭をよぎるが運行に集中、集中。
無感情な女性の声のテープが『次は、
"野辺渡し橋"では、双子かと思うような、よく似た、
「おはよう、おはよう」
どっちが出口のおばあちゃんでどっちが山根のおばちゃんかは幣原は知らない。二人して
そして、ほぼどこの席でも空いていて座れるのに二人並んで二人がけのシートに座る。
その二人がけのシートも毎回同じ。後ろから二列目。どうしてだかは、誰も知らない。なぜなら、出口、山根のおばあちゃんふたりだけで、誰も口を挟めないくらい永遠に喋っているからだ。二人でよく見ると顔は全然似ていないが、背格好が瓜二つなので、妙におかしい。
「おおっ」
緩やかなカーブを曲がった途端、土砂を積んだ大型トラックが猛然と走ってきた。坂道は登り優先。すれ違いやすい場所まで充分把握している幣原はかなり手前で停車してすれ違ったが、トラックの運転手は軽く手を挙げる挨拶もなく、まるで幣原のバスなど居ないかのように大型トラックは余計に加速してぶっとんで行った。
さすがに少し、イラッとする。
この酷道、ちがった、国道を抜け道に使っている長距離のトラック運転手は割と多い。 まぁ、きっと道を間違ったか、渋滞につかまりスケジュールが立て込んでいるんだろう。可愛そうなやつなのだ。そう思おう。気を取りなおし、運行再開。
テープが告げる。『次は、
この糸鋸口をちょこちょこっと登ると、少し開けた平台がありそこに、そこで数件宅地分譲化が進んだ。
しかしたった五、六件だが。
しかし、ここの新規分譲地に住む住民はこのバスを利用しない。宅地会社は私有道として、この国道の反対側に私有道を設置し、住民はそれを利用しマイカーで好きに垣間町の反対側のショッピング・モールへ映画を見たり買い物に行ったりする。但しショッピング・モールまでは片道一時間半のドライブだ。往復で三時間。しかし、あまりこの宅地の売れ行きは芳しくないとも聞く。
住む人の人数だけ車が必要だとか、言う噂が流れ、売れ行きが
田舎ほど噂好きなところはない。
当然、糸鋸口のバス停には人が居ない。停車せずにスルー。基本坂道を下っているので、
バスは放っておいても若干加速する。
ここで、ギアを三速に落としつつエンジンブレーキ。
ヴァウウウウウン。
これは、誰にも言えない、幣原だけの小さな楽しみがある。
この国道からでも、上の分譲地の端のキレイな最新の住宅が見える。田舎ならでは日当たりの良い広い庭に屋根にはソーラーパネル。老人と過疎と狭い国道の坂道の世界とはまるで別世界の桃源郷だ。
この垣間町の町民の多くが投票する与党が提唱する21世紀の明るい未来の日本がそこに完璧に実現されている。
ここに、美人でなくとも、自分が愛したごく普通の女性とほんの小さなささやかな家庭を持ち、子を成し、たとえ往復三時間かけてでもショッピング・モールまで小さな軽自動車で家族全員で出かけ、そこで買い物、面白くない映画でも良い、フードコートで待った待たされたの些細な喧嘩を家族でしたりする。それが幣原の夢だ。
幣原は、ここを通る時、ここで、いつも、下の国道から垣間見える端の宅地で庭に洗濯物を干す女性をほんの少しだけ長く見る。ほんの少しだけ。
覗くといえば、そうかもしれない。顔まではわからない。ごく普通の主婦だ。
ほんの少しだけ、性的な興味でもない。純粋な憧れ、幣原には
そして、バスは少し過酷な坂道の国道を抜けて、平地に出る。
車内では酸素ボンベを持つ坂下さんがむっつりした表情で車外を眺め。
いつも座らずに立ったまま待っている野中さんが車内では堂々とでーんと座っている。
双子のような出口と山根のおばちゃんは熱心に会話中だ。
いつもの車内の光景。これがこのバスのすべて。
だが、このバスが駅前商店街を経由して、市立病院に到着することは決して無い。
運転手、
幣原が新開発の宅地分譲地を見て脇見運転した結果。バスはカーブを曲がりきれず、対向車線のガードレールに激突。バス下部をガードレールで押さえられたまま遠心力でバスは、振り子のようにバスの上部をガードレールの外に振り外側にせり出したまま、カーブに沿ってギャリギャリ音を立て曲がり続けた。
糸鋸口の宅地で洗濯物を干していた主婦がはっきりそう証言している。
そして、ガードレールの外に上部がせり出したまま、次のガードレールの切れ目にバスは正面から衝突した。
幣原は腰にシートベルトをしていたものの、ガードレールがフロントグラスを割り突き刺さり、大きなハンドルと計器盤がある程度、幣原を守ってくれたものの、鎖骨から上、頭部に縦にガードレールが文字どうり刺さった。脳挫傷でと失血で死亡。
刺さったガードレールが支えになり下の沢にバスが落下しなければ、まだ乗客は助かったかもしれないが、ガードレールの先端はバリバリとバスの前面のフロントグラスを割り続けただけで支柱にはならず、バスは、遠心力のまま、ガードレールを越えて、横転し、何回も回りながら、20メートル近くの下の沢に落ち、人の二倍の背丈はある巨岩にあたり、真ん中がくしゃくしゃになり止まった。バスの燃料は幸い軽油だったので炎上はしなかったものの乗客乗務員全員死亡だった。
しかし、警察によれば、バスのギアはしっかりエンジンブレーキを使用するための三速に落とされたままだったという。
幣原の運行するバスは今でも、朝と夕方、時々病院通いの帰りの客を拾う昼間の便ときっちり乗客とともにきっちり時間を守り走り続けている。
多くの町民が幣原のバスを見ている。
田舎ほど噂好きなところはないから、、、。
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