市立病院行きバス

美作為朝

市立病院行きバス。

 「おはよう」


 幣原宗介しではらそうすけは町が運営を委託した第三セクターの乗合バスの運転手をしている。公務員なのか民間企業の社員なのか一番良くわからないやつ。

 地域では"運転手さん"でとおっている。

「おはよう。今日もおばあちゃん早いね」最前列の運転席からアナウンスでなく声を掛ける。この中古の乗合バスにはそんな装備はない。

「ハイ、運転手さん、おはようさん」

 野中のばあちゃんは、"垣間町かきままち"のバス停でいつも、ベンチに座らずに待っている。立っていることが自身の自慢の健康法らしい。いいことだ。毎週一回火曜日に市立病院の整形外科に通っている。


 幣原しではらは東京の郊外の全国チェーンのホテル会社で露骨な"肩たたき"にあった。年齢、未だ三十代。未婚。退職金をかなり水増しするので、お願いだからと人事も総務も専務も清掃業も兼ねる番頭さんに頭を床に擦り付けられて懇願された。

 大人が土下座するのを始めてみた。

 給料も安かったし、このホテルチェーンは全国規模で転勤移動させられることでも有名。些細なことで揉めてこじれきった嫌な同僚も居た。

 潔く同意した。

 すると、番頭さんの表情は直ぐに元の無表情に戻り、幣原など最初から居なかったかのように去っていった。

 そこのホテルの送迎バスを運転していたので、大型二種免許は持っていた。

 それを利用しどこかの田舎の小さなバス会社に入ろうと思った。長距離バスだけはゴメンだ。長距離バスの運転手さんたちには大変申し訳無いがこんな人生でも少なくとも生きていたい。ハローワークもなにするもなく、すぐにここが見つかった。即決。こんな田舎では嫁さんを見つけるのは大変そうだが、独り身の楽なところだ。

 就職は正社員として。町役場は<聖人君子>でもやってきたかのように三十代のおっさんに花束までくれて大歓迎をしてくれた。給料はさらに大幅に減ったが、その分仕事はめちゃくちゃ楽だ。

 勤務は昼寝付きの朝と夕方だけ時々昼の便が回ってくる。陸の孤島の山の上にある奥垣間町おくかきまちょうから下のJRの駅とその前のささやかな商店街と市立病院をぐるっと回って往復している。

 ただし、運転はかなり過酷で大変。国道は"酷道こくどう"ともいう。

 たった二車線の片側ガードレール。ガードレールの下は20メートルはあり、大きな岩がゴロゴロする沢だ。

 二車線もセンター・ラインが言いわけ程度であるのみ、軽や普通乗用車あたりは楽にすれ違えるが、大型トラックだと両方徐行ですれ違う。しかも坂道発進と来る、たいへんたいへん。

 そう思って見通しの悪いカーブをグルっと回った。すると対向車として軽自動車が登ってきた。確か、平山さんところの奥さんだ。いつも、お世話になっている余った自家栽培の野菜をたくさん頂いている。奥さんは運転席でものすごい驚いた顔をしていた。いやぁ、おどろかせちゃったかな。安全運転第一だ。


「おはよう」


 停車駅名は、"垣間元折れ町かきまもとおれまち"ここで、双剣山ふたつるぎやまという山を登るための急峻な峠用の分かれ道があるそうだが、今は雑草が生い茂り獣道になっていることだろう。これが過疎の実態。どんどん自然に戻ちゃう。

 ここで、坂下さかしたのおじいちゃんが乗ってくる。肺が悪いのか鼻の下についたくだと小型酸素ボンベ携帯。腰もちょっと曲がってきてはいるが意気軒昂。

 最新のノンステップバスだと、油圧でバスそのものを傾けて挙げられるが、この第三セクターの税金補填赤字バス会社ではそれは無理というものだ。

 坂下のおじいちゃんと酸素ボンベが無事に無事乗車したのを確認して、出発ーっつ。

 バスのギアは二速発進。よいしょっと。


「おっ」


 対向車線の登りで同じ垣間町バスが登ってきた。朝早い出社の人や商店街に出勤に行く日人々を乗せていた幣原の運行するバスの一本早い時間帯のバスだ。下まで降りて駅前もグルッと回り往復して登ってきているのだ。

 運転しているのは、立原たてはらさん。気の良い好々爺で大先輩。立原さんは生まれてこの方、垣間町以外で暮らしたことがないらしい。始点の奥垣間町まで行ってもう一回下り、朝はたった三便で終わり。しかも、運転手はこの幣原と立原さんともうひとりこれまた初老の消防団も兼ねる宇野辺うのべさんの三人で回している。

 バス三台に三人の運転手これがすべてだ。

 誰かがどうなったらとか思うと怖いが、それも過疎の現実。考えないことにするのが一番だ。幣原もここに来てすぐに学んだ。

 坂道でのすれ違いは登り優先。幣原が停車して待つ。しかもすれ違い安い場所で。

 立原さんが少し驚いた表情を浮かべ手を軽く上げてすれ違っていく。

 まだ俺って、顔覚えられていないのかな?と軽く幣原の頭をよぎるが運行に集中、集中。

 

 無感情な女性の声のテープが『次は、野辺渡し橋のべわたしばし、野辺渡し橋』と告げる。

 "野辺渡し橋"では、双子かと思うような、よく似た、出口いでぐちのおばあちゃんと山根やまねのおばあちゃんが乗ってくる。


「おはよう、おはよう」


 どっちが出口のおばあちゃんでどっちが山根のおばちゃんかは幣原は知らない。二人して野辺渡し橋のべわたしばしで菊人形のようにベンチに座って待っていて。二人して手を取り合って乗車口を並んで乗ってくる。

 そして、ほぼどこの席でも空いていて座れるのに二人並んで二人がけのシートに座る。

 その二人がけのシートも毎回同じ。後ろから二列目。どうしてだかは、誰も知らない。なぜなら、出口、山根のおばあちゃんふたりだけで、誰も口を挟めないくらい永遠に喋っているからだ。二人でよく見ると顔は全然似ていないが、背格好が瓜二つなので、妙におかしい。


「おおっ」


 緩やかなカーブを曲がった途端、土砂を積んだ大型トラックが猛然と走ってきた。坂道は登り優先。すれ違いやすい場所まで充分把握している幣原はかなり手前で停車してすれ違ったが、トラックの運転手は軽く手を挙げる挨拶もなく、まるで幣原のバスなど居ないかのように大型トラックは余計に加速してぶっとんで行った。

 さすがに少し、イラッとする。

 この酷道、ちがった、国道を抜け道に使っている長距離のトラック運転手は割と多い。 まぁ、きっと道を間違ったか、渋滞につかまりスケジュールが立て込んでいるんだろう。可愛そうなやつなのだ。そう思おう。気を取りなおし、運行再開。


 テープが告げる。『次は、糸鋸口いとのこぐち、糸鋸口』

 この糸鋸口をちょこちょこっと登ると、少し開けた平台がありそこに、そこで数件宅地分譲化が進んだ。

 しかしたった五、六件だが。

 しかし、ここの新規分譲地に住む住民はこのバスを利用しない。宅地会社は私有道として、この国道の反対側に私有道を設置し、住民はそれを利用しマイカーで好きに垣間町の反対側のショッピング・モールへ映画を見たり買い物に行ったりする。但しショッピング・モールまでは片道一時間半のドライブだ。往復で三時間。しかし、あまりこの宅地の売れ行きは芳しくないとも聞く。

 住む人の人数だけ車が必要だとか、言う噂が流れ、売れ行きが鈍化どんかというより、止まっているらしい。最近は長期金利だか、銀行のローンの関係だかで土地付き宅地の値を下げだしたというが、こういったことにも、幣原は疎い。これまた噂だ。

 田舎ほど噂好きなところはない。


 当然、糸鋸口のバス停には人が居ない。停車せずにスルー。基本坂道を下っているので、

バスは放っておいても若干加速する。

 ここで、ギアを三速に落としつつエンジンブレーキ。

 ヴァウウウウウン。

 

 これは、誰にも言えない、幣原だけの小さな楽しみがある。

 この国道からでも、上の分譲地の端のキレイな最新の住宅が見える。田舎ならでは日当たりの良い広い庭に屋根にはソーラーパネル。老人と過疎と狭い国道の坂道の世界とはまるで別世界の桃源郷だ。

 この垣間町の町民の多くが投票する与党が提唱する21世紀の明るい未来の日本がそこに完璧に実現されている。

 ここに、美人でなくとも、自分が愛したごく普通の女性とほんの小さなささやかな家庭を持ち、子を成し、たとえ往復三時間かけてでもショッピング・モールまで小さな軽自動車で家族全員で出かけ、そこで買い物、面白くない映画でも良い、フードコートで待った待たされたの些細な喧嘩を家族でしたりする。それが幣原の夢だ。

 幣原は、ここを通る時、ここで、いつも、下の国道から垣間見える端の宅地で庭に洗濯物を干す女性をほんの少しだけ長く見る。ほんの少しだけ。

 覗くといえば、そうかもしれない。顔まではわからない。ごく普通の主婦だ。

 ほんの少しだけ、性的な興味でもない。純粋な憧れ、幣原にはがくがないからどう表現したらいいかもわからない。純粋な本当の生活の憧れだ。憧れ以外何ものでもない。


 そして、バスは少し過酷な坂道の国道を抜けて、平地に出る。

 車内では酸素ボンベを持つ坂下さんがむっつりした表情で車外を眺め。

 いつも座らずに立ったまま待っている野中さんが車内では堂々とでーんと座っている。

 双子のような出口と山根のおばちゃんは熱心に会話中だ。

 いつもの車内の光景。これがこのバスのすべて。


 だが、このバスが駅前商店街を経由して、市立病院に到着することは決して無い。


 運転手、幣原宗介しではらそうすけを始め、乗客全員が永遠に永久にこのバスに乗って、この経路をこの時間走り続ける。

 幣原が新開発の宅地分譲地を見て脇見運転した結果。バスはカーブを曲がりきれず、対向車線のガードレールに激突。バス下部をガードレールで押さえられたまま遠心力でバスは、振り子のようにバスの上部をガードレールの外に振り外側にせり出したまま、カーブに沿ってギャリギャリ音を立て曲がり続けた。

 糸鋸口の宅地で洗濯物を干していた主婦がはっきりそう証言している。

 そして、ガードレールの外に上部がせり出したまま、次のガードレールの切れ目にバスは正面から衝突した。

 幣原は腰にシートベルトをしていたものの、ガードレールがフロントグラスを割り突き刺さり、大きなハンドルと計器盤がある程度、幣原を守ってくれたものの、鎖骨から上、頭部に縦にガードレールが文字どうり刺さった。脳挫傷でと失血で死亡。

 刺さったガードレールが支えになり下の沢にバスが落下しなければ、まだ乗客は助かったかもしれないが、ガードレールの先端はバリバリとバスの前面のフロントグラスを割り続けただけで支柱にはならず、バスは、遠心力のまま、ガードレールを越えて、横転し、何回も回りながら、20メートル近くの下の沢に落ち、人の二倍の背丈はある巨岩にあたり、真ん中がくしゃくしゃになり止まった。バスの燃料は幸い軽油だったので炎上はしなかったものの乗客乗務員全員死亡だった。

 しかし、警察によれば、バスのギアはしっかりエンジンブレーキを使用するための三速に落とされたままだったという。


 幣原の運行するバスは今でも、朝と夕方、時々病院通いの帰りの客を拾う昼間の便ときっちり乗客とともにきっちり時間を守り走り続けている。


 多くの町民が幣原のバスを見ている。

 田舎ほど噂好きなところはないから、、、。

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