おきつねさん、おきつねさん

凛子

盆にかがやく天の川

 とんとこ、とことこ、とんとことん。

 弾むような拍子をうつ、小さな太鼓の音が聴こえる。追いかけて鳴る笛の音と、束ねた鈴の軽やかな合いの手。路地でふと見上げれば、琥珀に灯る提灯ちょうちんが、やしろに向かって続いている。


 たまりは石畳を小走りに、帯留おびどめに下がる陶の飾りを手に握った。白いきつねの帯飾りで、目もとのしゅが愛らしい。優しく目じりの下がるさまは、まるで笑っているよう。


 すれちがう親子連れが、水風船を手にはじく。祭の音と匂いが近づきつつあった。おろしたてのたまりの木下駄が、和太鼓よりも小気味よく弾む。

 小道を曲がれば、そこはもう宵宮だ。小さな雑木林と、真ん中に据えられた朱い鳥居。その少しはずれた木立の陰に、和装姿の青年が身をもたげている。


「遅い」

 不機嫌そうに言葉を続けて、青年は切れ長の目をさらに細めた。笑っているのか不機嫌なのか、いつにも増して絶妙だ。


「今年は仕事が片付かなくて、お盆休みも返上だったの」

「そうか」

 にべもなく応えて、彼がたまりの手を握る。冷んやりと心地よい彼の手。そっと目でたどると、広い背中が目に入る。当たり前の光景なのに、胸がつかまれるようにきゅっと鳴る。


 人もまばらな境内に着き、彼が拝礼を始める。所作の美しさに見惚れていると、彼は指を揃え柏手かしわでをうち、艶やかな声で言った。

「たまりの無病息災、商売繁盛……恋愛成就」

 合わせた両手をひっこめて、彼が最後に一礼する。

「なんか、多いうえにおかしいよ」

 何が、と首を傾げた青年に微笑み、たまりも柏手を続ける。


 ――この魔法が、ずっと解けませんように。


 ふと横目にうつる純白の美しい毛並み。

 尻尾、、がでたことに気づいて、彼も「ああ」とため息をつく。

「せっかくおまえが願ってくれたのに」

「え、声に出さなかったよ」

「そもそも願いを訊くのは俺であってだな」

 自分で自分に願い事をした彼は、そのおかしさを棚に上げ首を傾げる。


「しかし〝おまえが俺を忘れないように〟と願うのを忘れた。もう一度、」

「大丈夫だよ。ごめんね、来年はきっと前泊で来るから」

「……俺の織姫おりひめはほんとうに忙しそうだな」


 彼が笑って、大きく滑らかな手をたまりの頰に添えてくれる。やわらかい唇があてられたけれど、それはほんの一瞬だった。唇が、いつのまにか濡れた鼻先に変わっている。

 閉じていたまぶたを開けると、美しい毛並みの白いきつねがそこに佇んでいた。


高比良たかひら


 狐が白い前あしを片方、しゃがむたまりの膝にかける。ちょん、ともう一方の前あしで、戯れるように揺らされた陶製のきつねを、たまりも見下ろした。

「わかってる。いつも一緒ね」

 短く鳴いて、高比良は宙に跳ねた。跳ねた先でくるりと廻り、あっという間に消えてしまう。

 短い逢瀬が終わってしまった。

「おきつねさん、おきつねさん」

 十歳に語りかけて以来の台詞を、たまりはふいに口にする。


「あなたのことがだいすき」


 また来年。盆にだけ現れるたまりの美しい彦星ひこぼしは、宵宮の御開きにあわせ還っていった。

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おきつねさん、おきつねさん 凛子 @r_shirakami

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