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「パラちゃーん、見つけたぁー?」

「そう急かさないで下さい」

「だぁーってぇ。ほら、ミニマキちゃんから合図があったしー。こーゆーしらみ潰し? 予測? まあ何でもいいけど、パラちゃんの得意技でしょ?」


 中尉らが神格と対峙している頃。

 明星研傍の雑居ビルの屋上にて、二人の異形が人を待っていた。

 一人。目も鼻も口も、およそ人間の顔の造作を全て削り落とした頭に、のっぺりとした仮面のようなものを付けた、白い人型の恐らくは男。その背には翼にも手にも似た肉質の器官が伸び、あるものは風を受けて揺れ、あるものは地に垂れて、またあるものはコンクリートの地面に、溶け込むかの如く食い込んでいる。

 そんな男の隣に、一人。何処か昆虫じみたものを思わせる目と、蘭の葉を貼り付けたような青い髪を持つ、身長二メートル強のひょろりとした青年。かさかさと音を立てながら地を這うは木質の蔦で、此方は特に何の意味もなく、ただ無秩序に伸び広がっていた。

 そんな二人の周囲――主には後者の掻いた胡座の中――には、純白の毛皮に包まれた四尾の狐が十頭。いずれも、任の中心となる神格から貸し与えられた使い魔である。青年はこれを手持ち無沙汰に撫でたり揉んだり、とにかくふわふわの毛皮を堪能することに余念がないが、男の方は目も合わせたくないと言った風に無関心を貫いていた。

 何とも言えぬ緩い沈黙と、それに痺れを切らして青年が急かすこと数回。いい加減待つのに飽きてきたらしい、木の蔦で抱え上げた狐をこっそり男の頭に積み上げようとしていた青年の方へ、呆れたように男が首を巡らせる。


「……見つけました」

「えっ何処何処!? 見たい見たい!」

「三分後に真下の路地を」

「わーい見る見るぅー! さっすがパラちゃぁーん!……って、三分後かぁーい!」

「正確には三分五秒後」

「細かいよパラちゃぁ〜ん!」


 場違いに明るく叫びながらも、青年は素直に男――パラの後に追従して立ち上がる。その拍子に、胡座の中で丸まっていた使い魔達がころころと地面に落ちて転がり、何の痛痒もなく四肢をついては呑気に伸び一つ。

 誰も彼も緊張感に欠ける中で、パラだけは一人、静かに来る三分後を見据えていた。



 ギンコはひたぶるに路地を駆けていた。

 その両腕にはそれぞれ、中尉の助け出した子供達計五名と、意識があったりなかったりする大人たち四名。前者は瞬く間に後ろへ流れ去る景色にはしゃいでいるが、後者はただただ懇々と眠り続けて声もない。上官はただ衰弱しているだけと言っていたが、こうも反応に乏しいと不安が募る。

 心中に膨れ上がる曇天めいた気分を抑えつけ、髪の毛のように垂れた札をなびかせながら、伍長は作戦時に使った道と勘で選んだ道を交互に使い裏路地を走った。


「ギンちゃん、なんかいる!」


 中尉が上で救助活動をしている間に仲良くなった、坊主頭の少年が道脇を指して叫ぶ。視線だけで確認。誰ぞかが洗濯物でも干していたのか、白いぼろ布のようなものが風に揺れていた。それもすぐに背の方へ流れていき――数秒と経たぬうちにまた現れる。

 ……否。

 そのぼろ布めいた何かは、不気味なほど等間隔で路地のそこかしこから垂れているのだ。漂白したように白いそれが具体的にどんな代物であるかなど、ギンコには知る由もない。しかし、そんなものを作為的に配置するその理由は、両腕に掛かる重みで嫌でも思い知らされる。


「追手か……!」


 予想はしていたが、想像以上に得体の知れないものが追いかけてきているらしい。くそったれ、と子供達に悟られない程度の小声で毒づき、ギンコは違う道に入り込もうと爪先を反転させ、

 急停止。


「凄い凄いパラちゃぁ〜ん! ホントに来たよぉ〜!」


 ギンコがその場に身を縫い止めたのは、走り抜けようとした狭い小路、その道幅一杯を埋め尽くすように、白い槍が上から降ってきたせいだ。白いプラスチックにも見えるそれは、しかし易々とアスファルトを貫いて逃走者の行方を塞ぐ。これに貫かれてはただでは済まないだろう。おまけに、上の方から何やら喜色満面と言った風情の声まで聞こえてくる。どうやら、此処へ逃げ込んで来るとは予想済みであったらしい。

 舌打ち一つ。両腕の荷を下ろすべくその場で屈めば、待ってましたとばかり子供達が腕から抜け出して飛び降りる。そのまますばしっこさに飽かせ散り散りに逃げ出そうとするのを、ギンコは半ば吠え声めいた一声に引き留めて、子供たちが足を止めた一瞬で、頭から垂れ下がる札をまとめて四枚引き千切った。


「持っていけ!」


 再び咆哮。虚空に札をばら撒けば、紙片はひとりでに舞い飛び手に手に収まる。しかして、その頃にはもうギンコの方など見てはいない。突かれた小鼠のように四方八方へ逃げ走り、あっという間に複雑な路地へ紛れて見えなくなった。

 白い槍が上に引き戻され、入れ替わるように二つの異形が地に降り立ったのは、その少し後。


「あーっ逃げたー! パラちゃーん、どっちに逃げたか分かる〜?」


 一人。ぶーぶーと口を尖らす、木質の蔦を背から伸ばす青年。その上背はギンコにもほど近く、そのくせ楊枝のようにひょろりとして、人型を保ちながら嫌でも異形と思い知らせてくる。

 その彼がパラ、と呼ぶのが、恐らくは青年のやや後ろに控えている、長い杖を手にした義足の男だろう。


「……いえ、術を掛けたようです。解呪は流石に」


 漂白したような生白い肌、あらゆる人らしい造作を削り落として仮面を被せたが如き顔。相反するように黒い服に、何より目を引くのは、背から広がる羽にも似た六つの器官。それは、先程道の端に垂れ下がっていたものに相違なく、そしてたった今道を穴だらけにした白い槍でもあるのだろう。形と数は変えられると言うことか。

 直接的脅威として優先的に警戒すべき相手であろうと、ギンコは二人を見比べて結論付ける。

 中尉ほどではないが頭を働かせつつ、同時に調息。全速力を維持するための身体から膂力と敏捷を発揮する身体へと状態を調整し、立ちはだかる者どもを鋭く睨めつける。しかしながら、二人にさしたる精神的動揺は見受けられない。まるで脅威ではないとでも言いたげに、ギンコを置き去って会話を続けていた。


「むーん……もうちょっと簡単な任務になるんじゃなかったの〜? こんな熊さんだか狼さんだか何なんだか分かんないような人相手にするなんて聞いてないよぉ」

「文句と子供の捜索は後にしましょう、プロイさん。今は脅威の排除を」

「は〜い」


 プロイ。そう名を呼ばれた青年の、何処を見ているか分からぬ青い目が、此方を向いた気がして。

 不味い、と本能が叫ぶより早く、軍人として鍛え上げられた反射神経が行動を起こした。


オーン!」


 激声。高らかな詠唱というより、振り払う悲鳴のようながなり声が、空に漂う不穏さを突き破る。しかし、それだけで胸中に去来する懸念は振り払えない。ギンコは息を吐く間もなく頭の札を二枚引きちぎり、一枚は足元の大人たちへ、もう一枚は己が手に握りしめた。

 アスファルトをにじり、腰を落として、狼の如き前傾姿勢で接敵。僅かに遅れてパラの背に伸びる羽が――ざわり、と音を立てて分裂、無数の白い槍と化して迎え撃つ。さりとて、それに臆することはなし。札を秘めた手で剣印を作り、剣突を模して槍衾に突き出した。


「消え去れァ――!」


 裂帛の気合。自身を鼓舞するためではなく、明確に意思ある者に対しての拒絶を込めたその声で、単なる器官であるはずの白い槍が一斉にギンコの前から退いた。


「ぎょっ!?」


 プロイの上げた声は無視。より強く地面を掴み、割れた大海の如く開いた道を一散に駆け抜け――遂に射程圏内へ捉えた痩躯の男へ、握り込んだ拳を振り上げ、

 打擲インパクト


「ッチ……小癪なことを!」

「それはこっちの台詞じゃーい!」


 破城槌じみた一撃は、しかし。

 数十も背から展開した蔦と、それを下から支えるプロイによって防がれた。

 生来の膂力に加え、疾走によって稼いだ運動エネルギーと全身の捻りまで足して放ったと言うに、この大雑把な積層は多少揺らいだだけ。これはプロイの蔦の頑丈さが図抜けていると言うよりは、防御の雑さと分厚さ故に突破出来ない印象である。何度も殴り付ければ、或いは蔦ごと引き千切れるかもしれないが、そんな悠長なことをパラとか言う男が許そうはずもない。何せ、視界の端ではもう、退けたはずの触肢が蠢き始めている。背後から一撃バックスタブを貰うのも時間の問題であろう。

 ならば、


「押しとおる……!」

「ぐぬぬぬぬ……! ぅぅううう無理〜〜熊さんなんてレベルじゃないぃい! 重機! 重機だよこんなのぉ〜〜!」


 ギンコは迷わなかった。粗い網目に諸手を突っ込み、渾身の力で上下に押し拡げる。プロイも通さじと目を詰めようとするものの、男の馬鹿力には敵わない。めりめりと木質の繊維が裂ける音を奏で、己の巨体が半身入るところまで穴を拡げた瞬間、ギンコは素早く手を離して懐に潜り込んだ。

 さりとてやられっぱなしではプロイも済まさない。侵入を許した網を一斉に解き、数十本の蔦へ戻したかと思えば、ぐるぐると大男を包囲し始める。同時に腕を振り上げ、青年が掴んだのはギンコの胸倉。己ごと蔦で縛り上げる気なのだ、そう頭で理解するよりも早く、ギンコは青年の細腕を掴んで引き剥がそうとした。

 しかし、ひょろりとした手はがっちりと服の襟を掴んで離れない。火事場の馬鹿力か、それとも今まで遊ばれていただけなのか。この万力じみた膂力の源が何かは判然としないが、此処で認識すべきは、自身が身動きを取れないと言う事実の一点だけだ。くそ、と喉の奥で毒づきながら、ギンコは青年にしがみ付かれたまま、パラへ一撃を食らわさんと拳を振り上げ――そこで留められる。その事態を把握するよりも早く、腹に襲い掛かった衝撃に息も詰まった。

 視線を向けなば、蔦が己の胴と脚と右腕、に巻き付いている。

 ハッと気付けば、プロイは服から手を離し、したり気に笑って指を指している所だった。


「パラちゃん今だーッ! やっちゃえ~!!」


 威勢のいいその声に、己が判断の愚かさを知る。

 プロイは、自分を囮にする気など端から無かった。僅かな時間だけ、意識を逸らして時間を稼げば良かったのだ。盾の編み方が荒かったことから、蔦はごく雑把にしか動かせないのだろうと早合点した、ギンコのミスである。

 悔やむ暇もない。蔦はがっちりと絡み付いて指をねじ入れる隙間もなく、よしんば振り切れたとしても、最早視界の隅では何百の白い槍が蠢いて機会を伺っている。たとえこのまま脚を踏み出したとしても、パラとの距離はプロイを挟んだ更に二歩先。拳を届かせるより、背を槍が貫く方が遥かに早い。

 万事休す。二進も三進も行かなくなり、伍長は静止せざるを得なくなった。包帯の間から僅かに見える銀瞳ぎんどうを忌々しげに細め、拳と覚悟を固めて動きを止める。そこに降り注ぐはずの白い槍は、しかし慎重に巨漢の広い背を狙いつつも動かない。


「って、やらんのか~い!」


 期待を裏切られたプロイの声を無視スルーし、代わりに飛んできたのは、異形の発した低い声。


「私達は被検者の子を探している。何処にいるかご存知でしょう。教えてくれはしないか」


 ギンコは、咄嗟に答えられなかった。

 守秘義務故ではない、男が孕む異様さ故にだ。しかし、何処にどう異常性が潜んでいるのかを説明することも、咄嗟には出来なかった。少しでも対応を間違えば崩れ去る、そんな予感がして、どうにも下手な口を挟めなかったのだ。

 だから、答える。諸々の疑問を内に押し込めて。


「俺は――私、は。彼等を人の目から遠ざけはした。だが、逃げたのは彼等の意思だ。何処に逃げたかなど、私には分からん。し、目的も分からん以上教える選択肢もない」

「目的ぃ? 教えたら教え返してくれるの~?」

「内容による。危害を加えるつもりならば、私は敵対せねばならん」


 髪の毛のように伸びた札を一枚千切り取りながら、ギンコはあくまで強攻に応じた。対するパラとプロイは、僅かに顔を見合わせたように見えた。片方は目の位置など分からないし、片方は何処を見ているのやら分からぬから、あくまでもそう見えると言うだけだ。

 しかし、何か意思の渡し合いはあったのだろう。プロイが何やら不満げに口を尖らせ、四方八方に伸び散らかした蔦を収斂し始めた。ギンコの胴と脚の拘束も離れ、波が引くように地面を這って、青年の羽織るゆったりとした衣装の下に収まる。

 かと思えば、地面を眺めるように俯けていた顔を上げ、パラもまた背から伸ばしていた白い器官を引き戻した。長く細く伸びていたそれらは、数十本がまとめて縒り合され、手を無数に集めたような気色の悪い形を作ったかと思えば、黒い布と紐状に展開した器官がぐるりと巻き付いて六枚の翼状に落ち着く。

 追っていた張本人アンファンが、自ら進んで敵意を収めるとは。一体何の意図があってのことか。

 浮かべる表情に困りながらギンコが睨む差し向かいで、パラの穏やかな声が路地裏に響く。


「私達は子を殺す気はありません。実験が成功したか否か、成功したならば何故か。何処に作用したのか。我々は探らねばならない。探るために命を奪う必要はない」

「……具体的には?」

「私が見ます。“接続”して」


 不穏な単語が飛び出してきた。

 表出しかけた警戒を押し殺しながら問う。


「“接続”とは何だ。機械にでも繋ぐ気か」

「機械は解析が面倒です。私が直接意識領域を覗き込む。そう出来る力が私には」

「その白い羽だか何だか分からんもので、か?」

「その通り。終われば解放する。無傷で執り行うよう命が下されていますので」

「――――」

「どうだろう。教えては頂けませんか。或いは術の解除を」

「…………」


 伍長は、最高に迷った。

 パラの言う条件は、決して悪いものには感じない。この男の言葉にどれだけ信を置けるかは怪しいが、彼自身は隣の青年ほど奔放なものの考えをするようには見えなかった。その彼が、無傷であの少女の何某かを取り調べ、そして解放すると言っている。その為の能力をも自分は兼ね備えているのだと。

 だが、初対面で早々自分を「脅威」として「排除」しようとしてきた輩のことを、そう安易に信用できるわけもない。そして何より、“接続”などという得体の知れないものが出来る、と無根拠に豪語する姿が、ギンコには奇妙なほど不審に映った。

 これほどまでに中尉の判断を仰ぎたい瞬間など、後にも先にも今くらいのものだろう。あの場に居た三人の中では、彼女が一番この手のややこしい駆け引きに長けているのだ。自分はあくまでも武力を以て障害を打ち払うのが役目であって、人質の扱いに対する交渉ごとなど埒外もいい所である。しかし、そんなことも言っていられない。中尉が相手にしているのは、目の前の異形よりもずっと厄介で、危険なものらしいから。

 長く息を吸い込み、吐き出し。それを三回。答えを決めて、伍長はそっと、


「断――」

「いい、私、この人に見られる」


 横に振りかけた首を、そのまま背後まで回した。

 札を握りしめ、ライラック色の眼でまっすぐに前を見据えた少女が、そこに居た。


「お前……!」

「他の子は皆逃がしたから、戻ってきたの」


 細長い札を真ん中で引き千切りながら、少女は事もなげに語る。だが、決して平然として此処に来たわけではないとは――中尉の如く、何もかも計算ずくめで来たわけではないらしいとは、その足の震えで分かった。かの子は、決死の覚悟で此処まで舞い戻ってきたのだ。

 それが、ギンコには。

 喩えようもなく、悔しかった。


「何故だ! 逃げおおせたならば俺が何とかした!」

「お父さんって逃げるなんて出来るわけないじゃない!」

「その父も一緒に連れて帰れた、俺なら!」

「あのお姉さんの言うことなら信じたわ。でもあなたは信じられない!」


 真っ二つにした札を、今度は四つ。八つ。十六。千々に裂いた紙を路地に落とし、その上を裸足で踏み付けて、少女は眦を決しギンコを睨めつけた。中尉は平然と受けた、あの殺気と不信感の籠った双眸。伍長に、これをまともに見て黙らぬほどの気概は、ない。

 ほんの刹那でも空気に飲まれてしまえば、最早趨勢は覆せない。少女はそれきり視線を合わせようともせず、ギンコの横を通り抜けて、堂々とパラの前に立った。

 それでも、一縷の恐怖は如何ともしがたいのだろう。暫し何かを堪えるように手を組んでじっと眼を閉じていたかと思うと、柔らかな髪を翻して男の顔を振り仰ぐ。振り払えぬ恐怖に淡い色の瞳を潤ませながらも、放たれる声は気丈だった。


「どうぞ、いくらでも」

「御協力感謝します」


 背に伸びた三対六枚の翼もどきは使わないらしい。杖を自身の肩に立てかけ、パラは自身の手を少女の頭に伸ばす。ぞっとするほど冷たい掌がこめかみを挟むように頭を抑え――

 チカリ、と。陽に閃かせた紫水晶アメジストのように、少女の眼が光ったと、パラが知覚した瞬間。


「ぁ――がッ……」


 少女から流れ込んできたが、認識を黒々と塗り潰し、


「――            ⁉」


 自身の喉から溢れ出した悲鳴を、パラは最早聞いていられなかった。

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見よ、汝ら獣の神を 月白鳥 @geppakutyou

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