小説で大量に出している異形頭が、何故人の頭がないのに動き、致命傷を受けても死なず、そして心が折れた瞬間死ぬのかの解説。
 自分なりの異形頭の動作・現実改変に関する考察を含みます。

 一言で言えば、彼等は限定的な現実改変者の集団。
 千寿菊の世界では強い意志や意図があたかもエネルギーのように振舞い得る。即ち、観測者の観測を受けることで物理法則が擾乱される。
 この意志・意図に付随するエネルギーを「考力(こうりょく)」と言い、「Fi(フィー)」の単位を用いてとりあえず定量化されている。考力の作用した場や物体は考力の強度とその状態に応じて書き換えられ、基底現実(擾乱されていない法則によって支配される現実)から見た時に魔法のような結果を及ぼす。
 この考力は思考する生物なら誰でも発生させる、と考えられているが、その下限がどのレベルなのかは不明。明確な文明を持つ生物(つまりはヒト)だけが考力を発生させられると考える者もいれば、活動電位一回でも微弱ながら発生すると主張する者もおり、その辺りの結論は未だに出ていない。
 ただ言えるのは、「物」と呼ばれている彼等が人間とは比べ物にならないほど膨大な考力を保持・発散し、それによって自身の肉体を適切に改変することで生存していると言うことばかりである。

 物が動き出すとき、即ち現実改変を開始する時にはそれまで頭部である器物に蓄積した考力を使うが、その後は自分の思考で適宜補填する。物が経年劣化や致命傷によって死なないのは、その物が持つ考力による改変強度が基底現実からもたらされる損傷強度を上回るためと、物の考力の源泉が自分自身であるため。
 裏を返せば、心が折れた=思考を放棄した途端に考力が補填されなくなるため、精神的ショックが大きすぎるとあっさりと死に至る。
 ちなみに、長寿の者がしばしば持つことになる「特権」も、溜め込んだ考力によって広い範囲に現実改変を行えるようになった、というだけに過ぎない。とは言え、そんなことが出来るようになるほど力を溜められる物もそうはいないのでやはりある意味では特権である。
 “粗悪品”や“廃物”はそれぞれ、動き出すに足るだけの考力が足りなかった物と、元々考力を保持していたが何らかの理由でごっそりと喪失してしまった物の成れの果て。彼等は自分の都合のよい改変を行うことが出来ず、多くの場合はその不具合を強い苦痛であると認識する。

 ところで、考力にはその性質を記述するために"状態(States : S)"と呼ばれるものが規定されている。この状態から適切な種類と量を組み合わせることで、物は自身が望むように現実を改変することが出来る。
 今のところS1~S6の六つの状態が知られ、それぞれ「喜」「怒」「哀」「楽」と「憎悪」および「愛情」の感情に随伴する。より細やかに現実改変を理解するべく、亜状態(Sub States : SS)を規定する学者もいるが、煩雑になりすぎるため今のところはこの六状態が主流。
 このようなエネルギーを最初に提唱したエレミタ・イェレンチェスカ女史の説によると、考力の状態には「表」と「裏」の概念が存在する。表の考力は所謂生きている人間の放つものであり、その詳細が近年の執拗な研究により分かりかけてきているところである。
 では、「裏」の考力とは何ぞや?

 エレミタの説では、この裏考力が支配するのは死の領域。即ち、この世界でしばしば説かれる「死者の遺志」に付随して放たれるエネルギーであるとされる。この裏考力の状態は、表考力の六状態に加え、もう一つの状態があると言う。
 その状態は「渇望」。
 死して尚一つの意志あるものとして振る舞うその様に、エレミタは生者にない劇的なエネルギー状態を仮定したのである。
 ただし、これら裏考力は状況証拠などのかき集めによって存在が示唆されただけに過ぎず、実際に発見されたわけではない。ただし、考力学者の多くはこの説を支持している。


三行でまとめると?
・この世界では意志がエネルギーと同じように振る舞うよ=「考力」
・物は考力を沢山溜めて自分を自分で動かせるようになった器物のことだよ
・異形頭はいいぞ