第17話
「皆さん!入社おめでとうございます」
入社式を高田は最高のコンディションで迎えた。
つかみのギャグも決まり、滑り出しは上々だ。リクルートスーツの新入社員たち一人一人の顔まではっきり見えるほどだ。余裕を持って話せている。
最後までこのペースを保つことが必要だ。焦りを感じさせた途端に観客は夢から醒めてしまうのだから。
順調に話し始めた高田の目に、会場の一番後ろから入ってくる人影が見えた。
何気なくそちらに視線をやる。溝口だ。いつものひっつめ髪に黒縁眼鏡のいつもの溝口だった。右脇になにやら白いファイルのようなものを挟んでいる。そのまま扉を後ろ手で閉じると、ステージ上にいる高田の方へ向かって、そのファイルのようなものを勢い良く広げて見せた。
ファイルのように見えたのはA3程度の画用紙を横に繋げたもので、広げると溝口の両手いっぱいに広がるくらいの大きさになった。そこに溝口らしいかくかくとした丁寧で角ばった字で何かが書いてある。
字が見えた。
「これからも、ずっと私と一緒にいてくれるかな?」
画用紙が胸元まで下げられると、その上にひょっこり顔を出した溝口が高田に向かって微笑んで見せた。
頭の中が真っ白になった。
始めてのことだった。そこから先は口から出任せで何かしゃべってはいたが、高田自身何を話したのか覚えていないほどだった。
感じていたのは場内がなにやらただならぬ雰囲気を察して緊張に包まれていることと、空調のぶうんという音がやけに大きく聞こえているということだった。空調はしっかり聞いていて、リクルートスーツにばっちり身を包んでいる新入社員たちは皆恐ろしいくらい涼しげな顔をしているにも関わらず、高田は顔中を汗まみれにしていた。背中は震えがきそうなほど冷たい。
「ありがとうございました…」
そう言って頭を下げる時に高田ははっきりと見た。会場の最後部で身をよじって笑いを堪えている溝口の姿を。
■
「真っ白な顔しちゃってさ。まだまだ甘いね。高田君も」
溝口はそう言うと悪戯っぽく笑った。
「何なんですか、あの横断幕みたいなヤツ。あんなの人が喋ってる時に見せたら駄目ですよ!」
高田は鼻息を荒くして抗議した。
結局溝口の掲げたプラカードによって調子を崩した高田はその後一度もペースを取り戻せずに会場で滑りに滑り倒した上で予定の時間より五分近く早く切り上げて壇上から降りてしまった。
バックステージに戻ると岩橋がにやけた顔で「いやあ、さすがだわ」と嫌味をすかさずふっかけてきたが、周囲の人間のほとんどは「今日具合でも悪いのか?」と高田の悲惨な滑り方を心配するほどだった。
「この間の仕返しだよ。あんな反則ギリギリの力技で笑わせられたんだもん。これくらいの報復は覚悟しておかないとね」
やっぱり普通の神経ではない。
改めて高田は溝口が貝ひも大統領として君臨し続けている原動力の一端を垣間見た気がした。
この人は物事を面白い方へ進めるためなら苦労を厭わない人なのだ。何のためにそれだけのためにわざわざあんな小道具まで仕込む人がいるだろうか。
「でも、スベりながらもスベりすぎて笑ってる人いたよ。高田君、スベり笑いまでもう習得しちゃったんだね」
「滑ったのは実力じゃありません。妨害行為があったからです!」
「妨害行為?」
溝口はきょとんとした顔をして見せる。
「ひどいな。あれ、妨害行為?」
「立派な妨害行為でしょ!」
「私あれ、告白のつもりだったんだけど」
「え…?」
「ボケの父親付きなんだけど、これからも一緒に笑ってて欲しいなって思ってさ。駄目かな?」
高田の耳に、割れんばかりの爆笑が聞こえてきた。
お笑いだな、死ぬつもりでふざけていたら、プロポーズをされてしまった。
笑っちゃうだろ、笑っちゃうよな、笑えよ。
このままじゃ死ねない。
高田は頭の中にこびりついた「人生を楽しむな」という言葉を思い切り破り捨てると、「スベるくらいなら死んだ方がマシ」と頭の中に上書きした。
何がスベリ笑いもうまいんだね、だ。冗談じゃない。仕切り直しだ。
来年の新入社員歓迎会で、今度はスベリ笑いではない笑いを起こしてやる。ここでこの世に落とし前を付けてから死んだって遅くはないだろう。それまでは、あと一年生きなくてはならない。
クソみたいな人生でも、自分にはやることがある。高田は思う。
俺は死ぬために生きている。笑いたきゃ笑え。俺を笑わせてみろ。俺はお前らを何度だって笑わせてやる。俺は、笑わせるために生きている。
高田は目の前で恥ずかしそうに笑っている溝口の顔を見ながら、そう思った。
■
日曜日の昼下がり。
高田は近所のコンビニに出かけた帰り、アパートの前で少年たちが遊んでいるのを見かけた。
あの少年がいつものように少し離れた場所から、他の少年たちが遊ぶ風景を眺めていた。高田はそっと近寄ると、少年に声をかけた。
「君」
少年が肩をびくっと震わせてこちらへ素早く体を向ける。
「君、遊びたいんだろ」
「え?おじさん誰?変質者?」
「違うよ。まあ似たようなもんだけど悪い人じゃない。優しい変質者だ」
「で、なに?」
「本当はあの輪の中に入りたいし、一緒に遊びたい。そうだろう。だからいつも彼らの近くで遊ぶのを見ている」
「今更遅いよ。もう役割が出来ちゃってる。僕の入る隙間がないんだ」
「役割を教えてくれよ。彼らはどんな割り振りなんだ?」
「あの一番体のデカイやつがリーダーっぽくて仕切ってる。すぐ威張るしちょっとこわい。で、あの小さいのがお調子者でリーダーのご機嫌取ってる。すぐ先生のモノマネとかして笑を取るんだ。メガネの奴はどっちつかずでたいして何もしてないけど嫌われるわけでもない。あ、運動が得意なんだよああ見えて。だからよく野球とかサッカーで大事にされてる。で、あのデブはいじられキャラ。食い意地張ってて大食い対決すると必ず勝つから一目置かれてる。あとやたらと縦笛がうまいんだよ。音楽の時間は目立ってる」
「ドリフだ…」
「え?」
「君のような平成生まれは知らないと思うけど、かつて日本にはドリフターズという伝説的なグループがいて、君たちはそのメンバー構成にそっくりなんだ。ひとつだけ違うことがある。本物のドリフは五人、君たちは今四人。一人足りない」
「その足りない一人って誰?」
「志村けん。君はあのグループの志村けんになるんだ」
「志村けんになるにはどうしたらいい?」
「下ネタだよ。今君たちのグループには下ネタがないはずだ。わかりやすい下ネタ。子供は好きだろう。それと、加藤茶と仲良くしろ」
「誰、加藤茶って」
「小さいお調子者のことだ。志村けんと加藤茶は徒党を組んでいかりや長介、ああリーダーだ。リーダーに反撃するのが常道だ。多分君とは気があうはずだ」
「でもどうすれば…」
少年たちは水鉄砲を使って遊んでいた。高田は少年が来ていた白いTシャツに目を付けた。
「今君の着ている白いTシャツ、使えるな」
「どうするの?」
「あいつらの持ってる水鉄砲で打たれるようにするんだ。乳首の部分を」
「なんで乳首打たれなきゃいけないんだ」
「ただ打たれるだけじゃだめだ。乳首のところに君の学校で嫌われてる先生か人気のある先生の写真を貼り付けておけ。白いTシャツは水に濡れると透ける。透けると先生の顔が見える仕掛けだ」
「…面白いのそれ?」
「子供にはウケる。俺にはわかる」
「僕は面白くないんだけど」
「それは、君が俺と似てるからだよ」
「意味がわかんない」
「自分が思っているより周りの人間は面白いことが好きなんだ。素直に笑ってくれるんだよ。君は今簡単に笑ったら負けだと思っている。もっと自分から笑ってみるといい。きっと周りも笑ってくれる。本当はあいつらが楽しそうだって思ってるんだろ?」
少年は黙り込んだ。
顔を上げると恥ずかしそうに「ありがとう」と言って走って行った。それでいい。まずは家に戻って小道具を仕込む必要がある。
急げ。と高田は思う。
君はまだいくらでも間に合う。俺が間に合ったんだから。
季節はもうすぐ本格的な夏を迎えようとしていた。
同僚たちから一度は一緒に旅行に行かないかと誘われた。もちろん行くつもりだ。小道具を山ほど仕込んで行く。一泊二日に笑いのトラップを仕掛けまくるのだ。あとで参加者全員にメールをしなくてはいけない。
今年の社員旅行は「笑ってはいけない社員旅行」になりました、と。
溝口からはインディーズで活動しているアングラ芸人が集結するオールナイトのライブを見に行かないかというお誘いが来ている。こっちはなかなかにガチなお誘いだ。さすが溝口。オールナイトってところがストイックだ。
これももちろん行くつもりだ。内容なんてどうでもいい。溝口に会えるのであれば、多分裁判の傍聴でも交通量調査でもきっと行くだろう。
高田は思った。
三十歳の夏休み、自分は誰かを笑わせていられるだろうか、と。
去年より、今年は自分が笑っていよう。
高田はさっきの少年が今頃必死になって教師の写真をくり抜いて自分の乳首に貼り付けている様子を思い浮かべて笑った。
おかしくておかしくて、たまらなかった。
笑い笑うとき笑わば笑え いりやはるか @iriharu86
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