第4話「古びた旗」

 京に戻った顕氏は、足早に尊氏がいる上杉朝定邸を目指した。


(早く御所様に会わねば)


 既に京では「尊氏敗走」の噂が広がっている。

 直義方についた武将たち、南朝に心を寄せる者たちが、今回の「勝利」を喧伝しているせいだった。


 これは、直義や顕氏が想定していた決着のつき方ではない。

 直義や顕氏は師直を排除したかっただけだ。尊氏の名に瑕がつくことを望んではいない。


 問題は、尊氏が自身を敗将とみなしていないか、という点である。

 もし尊氏がそのように考えていたとしたら、顕氏や直義は尊氏と戦ったということになる。

 少なくとも尊氏はそう考えている、と見るべきだった。


(それだけはまずい。私は御所様に弓を引いたのではない。直義殿とて同様である。ただ師直めを排するために動いただけだ。余人はどうでも良いが――御所様にだけは、我らの本心を理解していただかねばならぬ)


 顕氏の懸念は、現実のものとなった。

 駆け足でやって来た顕氏に対し、朝定邸の門は開かれなかったのである。


「御所様は、降参人の身で細川殿に会うのは恐れ多い、と仰せです」


 取次の者はそう言って一礼すると、そのまま踵を返して邸宅の中に戻ってしまった。


(これでは、わしや直義殿は、御所様に弓を引いた謀反人ではないか)


 顕氏は焦り、朝定邸の周囲をぐるぐると回った。

 尊氏の気が変わるかもしれない。そんな淡い期待を抱いてのことだったが、それは叶わなかった。


「そうか。兄上は其方に会わなかったか」


 錦小路の邸宅に戻った失意の顕氏を出迎えたのは、それ以上に暗い表情を浮かべていた直義である。今回の「勝利」を彼がどう捉えているか、一目で分かる陰鬱ぶりだった。


 彼は一足先に京に戻っており、尊氏や諸将と共に戦後処理を進めている。

 ただ、尊氏の権限を侵さないように気を配る直義は、自分に味方した諸将に十分な恩賞を与えることができずにいたらしい。

 尊氏からも、尊氏派の諸将に対する所領安堵を迫られ、板挟みの状態になっていた。


 懸念事項はそれだけではない。


「すまないが小四郎、義詮の説得を頼めないだろうか」


 尊氏は帰京したが、尊氏の嫡男である義詮は丹波国に留まり続けており、京に戻ってくる気配を見せなかった。

 義詮は師直によって押し立てられたこともあり、今回の戦乱においては終始師直に味方し続けていたという。

 そんな義詮からすると、叔父・直義とその一派、更に異母兄である直冬は、皆許し難い敵のように映っているのかもしれない。


 説得は困難を極めるだろう。それでも顕氏は引き受けた。

 尊氏を敗将にしてしまったことに対する負い目もあったし、直義の苦労を和らげたいという思いもあったからだ。


「細川顕氏か」


 説得に赴いた顕氏の顔を一瞥して、義詮は頭を振った。


「言っておくが、私は戻らぬぞ。父上は早々に戦意喪失されたようだが私は違う」


 顕氏は懸命に説得したが、義詮は態度を硬くした。


「そもそも此度の叔父上のなされようは道理に背いておる。北朝に対する背信行為。これまで行ってきた南朝への敵対行動。これらを顧みれば、近々双方から叔父上が突き上げを喰らうのは必定。それを私は待っている」


 まだ若く、実績もそこまであるわけではない。

 しかし、どこか英邁さの兆しを感じさせる雰囲気の若者だった。

 

 若かりし日の尊氏や直義とも少し違う。

 楠木正行とも、また少し違った。


 虚しく京に戻った顕氏は、再び朝定邸を訪れた。


 義詮説得のための力添えをお願いしたい、という名目である。

 今度は、門が開かれた。


「小四郎か。倅が苦労を掛けている」


 尊氏は、不思議なことに敗北したとは思えないほどの覇気を漂わせていた。

 かつて京を追われて九州に落ち延びたときの雰囲気に似ている。


「元はと言えば我らの不徳の致すところです。義詮様の言うことは尤もで、だからこそ私は何も言えませんでした」

「そうか」


 尊氏は頷くと、義詮宛ての書状をしたためた。


「これを義詮に渡してくれ。それでも戻らぬようであれば、また別の方法を考える」

「承知いたしました」

「小四郎。本当に、苦労を掛けるな」


 尊氏は、労わるように顕氏の肩を叩いた。


「直義に言われた。おぬしがどのような考えでああいう挙に及んだのか。どういう思いで先日この屋敷を訪れたのか。あまり責めないでやってくれと言われた」

「……私が、御所様に弓を引くことになったのは事実です」

「わしが、皆をまとめきれなかった。そのせいなのだろう、と今は思う」


 尊氏はどこか遠い目をしていた。

 やられたらやり返す。そんな争いに巻き込まれ続けて、嫌気がさしてきたのかもしれない。


 顕氏も、戦意をどこに向けるべきか見失いかけていた。

 競争相手だった高兄弟はもういない。しかし、それでこの状況が丸く収まるのか。

 収まらなければ、自分はどうすべきなのか。


 今の顕氏は、月灯りのない夜道を一人彷徨っているような心持だった。


「義詮が戻れば、此度の件は一段落つくであろう。だが、これですべての片がつくわけではない。師直に与していた者たちもまだ残っている。南朝もいる。おそらく南朝と北朝の交渉は上手くいくまい。それに乗じて騒ぎ立てる輩も出るだろう。戦乱は続く。わしらが生きている間は、終わらぬかもしれぬ」


 尊氏も、既に老境に差し掛かっている。

 鎌倉政権が滅びてから二十年弱。皆、老いた。


「小四郎。お前は義詮についてくれないか」

「義詮様に、ですか」

「あいつは直義を敵視している。自分の後見役同然だった師直を死なせたのだから、無理もない。だが、義詮がみだりに武力を行使して直義と敵対するようでは困る。それではいつまでも此度のようなことの繰り返しだ。だから、お前のような男が抑え役として側にいてほしい」


 顕氏は丹波国で会った義詮の姿を思い出していた。

 まだ未熟なところもある。だが、それはこれからの成長で補っていけるであろう。

 彼は、まだ若い。これから先がある。


 細川顕氏の生涯は、足利尊氏・直義兄弟と共にあった。

 二人を信じて付き従っていけば良い。そう信じてきた。

 だが、もうそんな時代は終わったのかもしれない。


「承知仕りました」


 顕氏は、寂寥の想いに駆られながらも、深々と頭を垂れた。


「私は、御所様と直義様――そして義詮様に仕えます」

「ああ。……お前が思い悩むようなことがないよう、わしも務めようと思う」


 力強く顕氏の肩を叩いて尊氏は笑った。

 ほんの少しだけ――若い頃に戻れたような、そんな気がした。




 直義と南朝の交渉は、大方の予想通り難航した。

 直義はこの機会に北朝と南朝の融和を図ろうとしたのだが、既に決裂して久しい両朝廷にそれを望むのは酷なことだったのかもしれない。

 特に南朝の反発は凄まじく、直義派の天下は極めて不穏な空気の中にあった。


「綾小路(直義)殿はあてにならぬ」


 北朝・南朝だけではなく、武士の間でもそういった声が漏れ始めていた。


 直義が兄・尊氏に遠慮をして、今回尊氏に付き従った者たちの所領や役職を積極的に奪わなかったからである。

 所領にしても役職にしても限りがある。戦った相手から奪わないのであれば、自らに付き従った者たちに与えられる恩賞は決して多くない。


 幕府の頂点である将軍に背き、南朝と手を組むという禁じ手まで使った。

 その割に、直義の戦後処理は思い切りに欠けている。


「戦いの後にご嫡男を亡くされたので腑抜けになられたのだ」

「元々御所様に逆らうつもりはなかったのだとも聞くぞ」

「ここまでのことをしておいて、今更そのような理屈が通じるはずもあるまい」

「御養子の直冬様については、きっちり鎮西探題にしたようだが……」


 そのような風評が広がっていく。

 顕氏は時折直義の様子を窺いに行ったが、事実、直義は腑抜けになったかのように精彩を欠いていた。


「小四郎。何事も、上手くいかぬものだな」

「辛抱強くなされませ。きっと道は開けます」

「であれば良いが」


 直義は顕氏の働きに報いる形で、土佐守護を恩賞として与えた。

 それだけでなく、繁氏・政氏といった顕氏の子息に官位を斡旋したりもした。

 

 従五位下・左近将監に任じられた政氏などは「左近とお呼びくだされ」と得意げに言ってきた。皆が政氏のように喜べば、どれだけ良かっただろうか。


 実際は、満足しない者がほとんどだったという。


 顕氏も引付頭人という重職に就いたが、慣れぬ訴訟問題に振り回されることになった。

 同時期に着任した他の者たちも、大抵は不満顔でいる。


 膨張した自らの派閥、師直派から尊氏派になった者たち、そして南朝。

 それらをすべて満足させるような裁定などできるはずがない。

 いずれかを切り捨てるしかないのだが、直義にはそれができなかった。


 自らを頼ってきた者たちを見捨てることは、人の上に立つ者のすべきことではない。

 そういう生真面目さを捨てられなかったことが――足利直義の限界だったとも言える。




「そうですか。直義殿は――頷かれませんでしたか」


 観応二年、九月。

 北陸から帰還した顕氏は、夢窓疎石の元を訪れていた。


 わざわざ北陸まで出向いたのは、北陸に向かった直義を説得するためである。


 直義はあの後、南朝との交渉に失敗し、自らに与した武将たちからも徐々に距離を置かれ、幕府内で孤立を深めていった。


 その間に勢力を築き上げたのは、尊氏ではなく義詮だった。

 直義は、義詮という若き勢いに負かされたと言っても良い。


 尊氏は両者の間を取り持とうとしたが、これは上手くいかなかった。

 孤立を深め猜疑心を強めていた直義と、直義に敵意を燃やす義詮の間にある溝は、尊氏にも埋められないくらい深いものとなっていたのである。


 やがて、尊氏にも疑いの目を向けた直義は、尊氏・義詮がそれぞれ幕府への反乱軍鎮圧のため京を離れた際、自身の勢力が比較的良く残っていた北陸方面へと逃走した。


 尊氏は直義を説得して連れ戻すべく、尊氏・直義・義詮の三者全員と近しい位置にいる顕氏を使者として遣わした。

 しかし、それでも直義を連れ戻すことはできなかった。


「私とて兄上や義詮と争いたいわけではない。しかし二人と相容れぬ者たちが、私しか頼れぬと言って来る。これを見捨ててしまえば、足利の信頼も地に落ちる。だから、帰ることはできぬ」


 それが、直義が顕氏に語った最後の言葉だった。


「残念なことです。直義殿はもっと狡くなられても良かった」


 夢窓疎石は心底残念そうに言った。


「今だからこそ言ってしまいますが――私は自身の栄達のために己の半生を費やしました。顕氏殿や尊氏殿、直義殿のことを、己のために利用させていただいた面もあります。随分と狡く生きてきたものでした」


 だが、そういう面は誰にだってある。

 顕氏とて、無私で尊氏や直義に仕えてきたわけではない。

 細川氏の庶流という立場から飛躍したい。そういう思いは常にあった。


「しかし、そうやって狡く生きていると、己が得たものを失うのが恐ろしくなる。だから私は守りたかった。己の立場も、私が築き上げた寺社も――顕氏殿や尊氏殿らと築き上げた今の世も。狡く、強欲であるからこそ、私は惜しんだのです。此度の戦乱が始まる前の、あの頃を」


 夢窓疎石は、師直・直義の諍いのときから、幕府内の騒乱を収めようと動いてきた。

 それは二心あってのものではなく――純粋に、室町幕府のことを気にかけての行動だったのだろう。

 夢窓疎石の存在は室町幕府成立に欠かせないものだった。ある意味、彼は室町幕府の親の一人と言っても良い。


「しかし、世は変わるもの。此度の一件を収拾したところで、あの頃に戻れるわけでもありません。今はもう、次代を見据えていかなければなりませんな」


 部屋の外に広がる夏の終わりの空を見上げながら、夢窓疎石は誰かに言い聞かせるように言葉を紡ぐ。


 夢窓疎石が世を去ったのは、その月の暮れのことだった。




「顕氏」


 自身を呼ぶ声が聞こえる。

 顕氏は瞼を開いて、声の主の姿を見つけた。


「すまない。休んでいたか」

「いえ、少し考え事をしておりました」

「そうか。どうだ、様子は」


 義詮に促されて、顕氏は正面に広がる石清水八幡宮に目を向ける。

 今、あの中には南朝の軍勢が立てこもっていた。


 直義は尊氏・義詮派から逃れるように北陸へ逃れ、やがて鎌倉で没した。

 尊氏は何度も直義と和睦しようとしたが、上手くいかないまま、兄弟は別れることになったのである。


 一方、尊氏が直義を追って関東に向かうと、南朝が隙を突いて京に乗り込んできた。

 奇襲を受けた形になった義詮は、一旦近江国に逃れ、そこで軍勢を集結させて京を取り返す。

 京にいた南朝軍は、この石清水八幡宮で籠城する構えを見せた。軍勢の中には南朝の帝もいる。放置しておけない相手だった。


 石清水八幡宮を攻める幕府軍の総大将に選ばれたのは、顕氏だった。

 師直亡き今、義詮の側でこの大任を受けられるのは、歴戦の勇将である顕氏以外にいなかったのである。


「宮方は、変わりありませぬ。時折攻めかかってくることもあるので、諸将にはくれぐれも油断するなと申し付けております」

「左様か。……もっと思い切り攻め寄せても良いのではないか?」

「倅も――政氏もそのように言っていました」


 顕氏の言葉に、義詮は周囲を見回した。


「政氏はどうした?」

「血気に逸る者どもを引き連れて、攻めかかりました。再三、止めたのですが」


 顕氏の表情から、政氏がどうなったか察したのだろう。義詮は頭を振った。


「宮方は強い。彼らは失ったものを取り戻すための戦いをしています。得たものを失いたくないと思っている者どもに比べれば、戦意の差は明らかです。一方、こちらについている者どもは無理を嫌う。被害が大きくなれば寝返る者も出るでしょう。――故に、こうして無理せず干上がらせるのが最上の策かと存じます」


 藤井寺合戦の経験がなければ、顕氏も力押しという選択肢を採っていただろう。

 だが、良くも悪くもあの合戦で、顕氏は南朝の恐ろしさを知った。

 そして、幕府内の騒乱で味方の頼りなさも知った。


「お前を総大将に任じて良かった。今の話を聞いて、改めてそう思う」

「ありがたきお言葉です」


 随分と長い時間がかかったが、あのときの汚名は返上できただろうか。

 そう思いつつ、そんなことはもはやどうでも良い、という気もしていた。


 束の間、目を閉じる。

 そうすると、若き日の戦場が脳裏に浮かんだ。

 尊氏がいて、直義がいて、圧倒的窮状に追いやられつつも、どこか行く先に希望を見ていた頃の光景だ。


 目を開ける。

 そこにあったのは――別の光景だった。


(ここが、我が旗を立てる最後の地になるかもしれぬな)


 漠然と、そんな予感がした。




 細川顕氏。

 彼は、子息・政氏を失いながらも、文和元年(正平七年)五月十一日に石清水八幡宮を陥落させた。

 しかし、同年七月五日に急死。病死だったと言われている。


 彼の家系は細川奥州家として、戦国時代に細川幽斎の子・忠興を養子に迎えるまで存続することになる。

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細川顕氏「旗幟彷徨」 夕月 日暮 @yuuduki_higure

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