PHANTOM HEAVEN 【Final episode】
〔26〕
薄っすらとステンドグラスに日が差し込む薄暗い聖堂……俺が構築した秘密の庭、彼女への愛が葬られたここは今日も静謐な空気が漂っている。
身廊を挟むように咲いた白百合を指先で触れながら、祭壇へと向かう。十字架の前に置かれたガラスの棺を覗きこむ。
そこには俺が真莉奈の
「まったく、きみには驚かされてばかりだ」
俺は、道具箱からキットを取り出し、ゴーグルに転送されてきたコードを付け加える。刹那、白く透き通った頬が微かに桃色になる。
息を呑むと、真莉奈の目蓋が微かに痙攣し、長く影を落とす睫毛が揺れる。
小さく開いた唇から細く息が漏れ、茶色い瞳がこちらを捉えた。
「やあ……気分はどう?」
涙が零れそうになるのを堪えながら囁くと、真莉奈は柔らかく微笑んでみせる。
「とてもいいわ」
そう腕をこちらに伸ばし、俺は真莉奈を抱え起こして彼女の聡明な瞳を間近に見つめながら囁く。
「ファントム・ヘヴンできみを失ったかと思っていた」
「バックアップを取っておくのは、技術者の基本よ。言ったでしょう? また会える、って」
そう悪戯っぽく笑みを浮かべて、俺の頬を撫でる。ジャバウォックの攻撃で、大きな損傷を受けた彼女は、消失する直前に俺に「また、教会で会えるわ」と囁いたのだ。
絶望してログアウトした俺のゴーグルには、彼女から送られてきたファイルがあった。あんなに驚いたのは生まれて初めてだった。中身を確認すれば、それは彼女の分身を形成するプログラムのバックアップデータだった。
俺は彼女を横抱きにして棺から出す。向かい合って立ち、俺は彼女の存在を確かめるようにその艶やかな髪や、頬に手を滑らせる。
「きみは、以前のような真莉奈の分身のヒューマノイドなのか?」
「あなたが集めたわたしの
「……そうか」
二人の間に密やかな笑みが流れ、互いの唇が重なる。スピリットが甘く痺れるような口づけだった。
彼女の身体を抱き締めると懐かしい感覚が蘇って、俺は彼女の髪に鼻先を埋めるようにしながら囁く。
「きみを初めて抱き締めた時に、なんだかパズルのピースが嵌ったような感覚がしたって、話したのを覚えてる?」
「ええ、勿論。わたしもこう言ったわ。ずっと探していた片割れが見つかったみたい、って」
真莉奈も俺の背中に腕を回して、そっとこちらに寄り掛かるようにする。
俺達は小さく笑ってほぼ同時に囁く。
「愛の起源」
それは、古代ギリシャの哲学者、プラトンのエピソードだ。俺は彼女を抱き寄せる腕に力を込めて言う。
「それから、きみは俺に素敵な話をしてくれた。昔々、人間はまん丸の球のような形だった。性別は三つ。男と男、女と女、そして男と女。それぞれ頭が二つ、手と足も四本。だけど神様の怒りをかって、人間は真っ二つに引き裂かれた」
「ええ。それから人間は、ずっと切り離された片割れを探して、また一つになりたいと願っている。それが、
そう……俺達は、掛けがえのない片割れ同士だった。
俺達はじっと互いを見つめ合い、真莉奈は少し困ったように眉を下げて笑う。
「そんな顔をしないで、忍」
「どんな顔?」
「迷子になった子供みたいな顔よ」
俺は泣きそうになるのを吐息で誤魔化して、唇の端を上げる。俺は上手く笑えているだろうか?
「きみと離れたら、俺はまた迷子になっちまう」
真莉奈は愛おしそうに俺の頬を撫でて、背伸びをすると啄ばむように口づけた。
「わたしもあなたと離れたくない。だけど、あなたの居るべき場所はリアルよ。そして、わたしも行かなくてはならない場所があるわ」
俺は彼女の手を取り、細い指先に口づける。
「ああ、そうだな……分かってる」
ふと、気配を感じて顔を向ければ、教会の入り口にはチルチルとミチルが立っていた。
彼女を迎えに来たらしい。
「離れていても、あなたはわたしにとって、愛すべき掛けがえのない片割れよ」
俺は言葉に詰まって何度か頷き、もう一度彼女を抱き寄せた。
「俺もだ、愛しているずっと」
「リアルを生きて、忍」
俺達は微かに潤んだ瞳で見つめ合い、チルチルとミチルを一瞥する。
「ファントム・ヘヴンは、他の場所に移動するのか?」
「ええ。子供達の危険が及ばないようにもっと深く、誰もダイヴできないところに」
「そうか」
引き寄せられるようにした最後のキスは、涙で濡れていた。
真莉奈が二人の元に向かい、チルチルとミチルが嬉しそうに彼女に抱き着く。それから、祭壇の前で佇む俺に向けて手を振る。
俺も手を振り返すと、真莉奈がこちらを見やった。軽く頷くと、彼女は一瞬だけこちらに微笑み、教会を出ていった。
彼らの気配が無くなったのを感じ、俺は会衆席に腰を下ろす。空になった硝子の棺を見つめながら呟く。リアルを生きるために俺がしなくちゃいけないこと……
「まずは、病院で検査だな」
数カ月後。
新しく
それだけではない、他のシートにも全て子供達で占められている。
このダイナー777は、表層部の空間にある子供の為のダイナーだ。時には迷える子羊もやってくる。
俺は、持っていたマグカップをテーブルに置いて、向かいのシートで俯く少女を見やった。
「きみが抱えている事を俺に話してくれないか?」
迷子のように不安げな顔を向けた彼女を安心させるように、俺は笑みを浮かべた。
〔了〕
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