PHANTOM HEAVEN 【Episode:25】

〔25〕


 てっきり、手下どもに阻まれるかと思ったが、すんなりと俺達はネオクラシカル様式の豪奢な屋敷に入る事を許される。通されたのは、高級ラグジュアリーホテルの一室のような客間だった。

 客間に踏み込んで、思わず吹き出しそうになるのを堪える。いつもは優雅にクラシック音楽でも掛かっていそうな室内には、大音量で『変質者です!変質者です!通報します!通報します!』と、エンドレスで機械的なアナウンスが流れている。

 白いアールデコ風のソファーには、スペルとその横には番犬よろしく彼の手下が立って控えている。向かいのソファーで身を縮めるように座っているのはケンで、彼は俺達に気付いてくしゃりと泣きそうな顔をした。


「オッサン……!」

「よお、ケン」


 俺の呑気な挨拶に、スペルはゆったりと足を組み替えながら、うんざりとした顔を向ける。


「この五月蠅い警報を止めてもらえないかねえ?」

「もちろん」


 俺はケンの隣に腰を下ろして、後頭部に貼り付けていた超小型のキットを取り外して、警報を解除する。ケンが「いつの間に!?」と目を丸くしてみせ、この前にダイナーで会った時にな、と片目を瞑ってみせる。


「MEL空間専用の防犯キット『キッズ見守り隊』だ。これ、電犯でもお勧めしている商品」


 スペルに、にっこりとしてみせると彼は呆れたように細い眉を上げてみせる。


「わたしは、若き青い狼をご招待しただけなんだけどねえ」

「誘拐した、の間違いでは?」


 険しい顔でリードがスペルを見つめ、バウンティハンターのボスは、涼しい顔で「まさか」と肩をすくめつつ両手を上げる。

 どうせ、半ば脅迫まがいな事をしてケンをここに呼んだに違いない。


「約束の三日が過ぎようとしているからねえ。青い鳥を捕まえられたのか、進捗を聞こうかと思ったのだよ」

「そ、それは……」


 スペルの蛇のような目に見つめられたケンが顔を強張らせて口籠り、俺は人差し指を上げてみせる。


「今日は、それも踏まえて取引にきた」

「ほう?」


 スペルが、薄い唇の端を上げてみせ、俺はフォルダを取り出して、猫足のクラシカルなテーブルに滑らせる。


「青い鳥は捕まえることはできなかったが、それ以上の怪物だ」


 スペルはフォルダから文書を取り出し、そこにある画像に目を落とす。


「ジャバウォック……新しいタイプのAIという事かね?」

「遠隔操作のできるAIで、スピリットでは中々対抗できない屈強な奴だ」


 俺の言葉にスペルの目が光った気がした。彼はいたく感心したように書類に目を通して笑みを浮かべ、鋸状の鮫のように細かく鋭い歯が覗かせた。


「これは中々、興味深い代物だねえ」

「非合法のAIで、まだMELには出回っていない。おまけに超深海帯ヘイダルゾーンにもダイヴできるときている」


 俺は「狩りの道具に使えそうだろ?」とニヤリとしてみせる。


「非常に興味深いねえ。で、そのジャバウォックはどこに?」

「残念だが、アサシンダイバーがウィルス入りの弾丸でデリートしちまった。しかし、製作者ならまた造ることはできる。その製作者情報が今回の取引のブツってわけだ」


 製作者の情報が記載されている、もう一つのファイルを道具箱から出して、ひらりと揺らす。

 遠隔操作だから、製作者本人の情報まで辿りつけないと高を括っているのかもしれないが、こっちもダイヴのプロだ。ジャバウォックを刺した時にKATANAに付着した痕跡と、ぶん殴った時にタッチした微かな情報を辿って割り出したのだ。

 ケンを救う為にリードに了承を得て、今回の取引に使用をさせてもらう事にしたのだ。


「どうする、スペル」


 俺は目に力を込めて、じっとスペルの青白い顔を見つめる。スペルは冷たく微笑み、手元のジャバウォックの画像を一瞥する。


「良いだろう。青い鳥の件はこれで帳消しにしよう」


 俺は内心安堵しながら、ファイルをテーブルに置き、スペルが早速、中を確認する。


「製作者は、針替雅貴……キットの会社の代表だが、ここ最近じゃ売り上げが落ちているのだねえ。しかも、経営が苦しくなり、負債を抱えている。おや、随分とケミカルジュースがお好きなようだねえ」

「叩けばもっと何かが出てくるかもしれないな。まあ、しかしお友達になる切っ掛けとしては、これだけでも上等だろう?」


 そう片方の眉を上げてみせると、スペルは「ククク」と咽喉で低く笑う。


「彼とは、末永く良いお友達になれそうだねえ」


 取引成立。針替は、一生スペルの『お友達』として、骨の髄までしゃぶりつくされるだろう。せいぜい、MEL空間で好き勝手にやらかしたツケを払うんだな。

 スペルは書類を横に控えている手下に渡し、ようやく緊張の解け始めたケンに顔を向ける。


「ラビット・パンチに感謝することだな、ブルーウルフ。次に我々の狩場を荒らしたら……分かるね?」


 ケンは深く頷き、ソファーから立ち上がると、深々と頭を下げる。


「二度としません。すみませんでした」

「バウンティハンターとして稼ぎたかったら、いつでも我々の元を訪ねるといい。将来有望な若いハンターはいつでも歓迎だよ」


 顔を上げたケンは、きっぱりと首を横に振った。


「俺、リアルでやることがあるから」

「それは、どんな事かね?」


 スペルが興味深そうに小首を傾げ、ケンが晴れやかな顔で「サッカーの大会があるんだ」と告げる。スペルが珍しく可笑しそうに肩を揺らした。

 俺とリードは、横目で「一件落着だな」と頷き合う。


 屋敷の外に出て、リードが心底ほっとしたように吐息する。


「彼らが取引に応じてくれて良かったですよ」

「まあな。まあ、ジャバウォックは新しいタイプのAIだし、金の匂いがするから乗ってくるとは思ったけどな。良かったな、ケン。これでスペルからは狙われなくなったぞ」


 そうケンの頭をぐしゃぐしゃと撫でると、彼は擽ったそうに「やめろよお」と、笑いながら俺の手から逃れる。リードが可笑しそうに相好を崩し、ふと思い出したように呟く。


「それにしても、まさか針替がジャバウォックの開発者だったとは……」

「あの野郎、金の為にチルチルとミチルを狙ったんだろうな。二人を誘拐して、ジャバウォックの開発に使おうとしたか、それともWC2から金を引き出そうとしたのか……」

「ピジョン君を襲ったのも、僕らがファントム・ヘヴンに辿りつかないよう、妨害の為だったのでしょうね」

「もしくは、ピジョンの集めた情報をロブろうとしたんだろうな」


 こればっかりは針替に聞かないと確証は得られないが、逃げ出したチルチルとミチルが真莉奈に接触することを、あの男は当然予測できたはずだ。

 そこでチルチルとミチルを確保しようとしたが、ジャバウォックが制御できずに、真莉奈はボディとスピリットが切断された可能性が高い。

 針替からジャバウォックの資料をロブった際に、開発当初に制御不能になって暴走した記録が残されていた。


「いずれにしても電脳空間のいざこざは、電脳空間でカタを付けるってやつだ」

「殴るだけが解決法じゃない、ってことですか」

「そういうことだな」


 俺達の話を大人しく聞いていたケンが、改まった様子で頭を下げた。ケンは少し照れくさそうに鼻の下を人差し指で擦る。


「あのさ、本当にありがとう。俺の事を助けてくれて、あとカケルの事も……」

「僕らは警察官として、当たり前の事をしただけだよ」


 そうリードがケンの肩に手を置き、俺も深く頷く。


「カケルは元気か?」

「うん。学校にも来てるよ。だけど……遠くに引っ越すんだ」


 ケンが寂しげに眉を下げ、それを誤魔化すように笑いながら、俺達を見上げる。


「でもさ、MELだったら、どこに住んでいても会えるし。あと、カケルとの最後の試合が控えているんだ」

「そうか。じゃあ、勝たないとな」

「うん、実はこれから練習なんだ」

「練習、頑張ってね」


 ケンが大きく頷いて、じゃあと手を振ってログアウトしていく。それを見送り、俺達もリアルへと戻った。

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