PHANTOM HEAVEN 【Episode:24】

〔24〕


 さて、何から話そうか。


 まずは帰還した子供達。無事にボディとスピリットが接続できた子供達に必要なのは、リアルでの保護とケアだ。

 子供の命に危険が及びそうな家庭には、行政が間に入って子供を保護をした。同時に親達にもケアを行う事になった。

 過去の傷やトラウマと向き合うのは、とてつもなく辛い作業だ。

 虐待をしていた者の中には、過去の傷と向き合うことを拒絶し、自分のしていたことは「しつけ」や「教育」だと正当化する者も多い。

 だが、それは歪み、間違った愛情だ。その事を根気よく伝えなくてはならない。これはとてつもなく時間が掛かるだろう。

 虐待する親は、自分の肉親から虐待を受けていたケースが殆どなのだ。

 中には暴力で家族を支配するモンスターのような親もいる。誰かの命が危険に晒されている家庭には、警察の力も必要だ。

 一つ一つを命懸けでこちらも対応するしかない。

 虐待の連鎖を止めない限り、犠牲になるのはいつだって弱い立場の子供だ。

 反対に、自らの強い意思でリアルに戻る事を拒絶した子供、ボディに影響が出るために、そのまま残ることになった子供の家族の対応も必要だろう。

 実は上層部の圧力があり、ファントム・ヘヴンやチルチルとミチルの件は一切、公にすることが出来なくなった。

 全てはMEL空間中毒が引き起こした、幻であると結論付けられてしまったのだ。

 片付けなくてはならない問題は山積みだった。


 そしてカケル。

 自分が虐待をしていた後ろめたさがあるのか、義理の父親、桐谷正己は仕事にかこつけて、病院に彼を見舞う事は殆どなかったらしい。

 それは、彼が目覚めても一緒で、寧ろ一ミリでもカケルに近付いたら、ぶっ殺してやろうと心に決めていた俺には好都合だった。

 俺とリードの動きは迅速で、カケルの母……桐谷幸枝に、義理の父親から彼が性的な虐待を受けている事を伝えた。

 しかし桐谷幸枝は、ショックだったのか、漂白したような顔色で「嘘よ!」「冗談でしょう?」をひたすら繰り返す。

 おいおいおい、しっかりしてくれよ。冗談でこんな話するわけねえだろ。仕方なく、キーホルダーに保存されていた忌々しい映像……カケルのベッドに素っ裸で潜り込む伴侶の姿を見せる。

 彼女は泣き崩れて即日、被害届を提出し、俺達は速攻でクソ親父を取調室にご招待した。

 取り調べ中に、桐谷正己は虐待を認めるどころか、小遣い欲しさでカケルが誘ってきたとほざきやがったので、俺は腰の入った鞭のようなパンチを横っ面にお見舞いする。

 故意じゃない。ちょっとよろけて、握った拳が頬に当たっただけだ。予期せぬ事故ってやつ。

(テンプルにお見舞いして、腐りかけのゼリーみたいな脳をぶるんぶるん揺らしてやりたかったのを、頬で我慢した俺を褒めて欲しい)

 椅子から吹っ飛んで床に転がる桐谷正己を、リードがにこにことしながらその喉元を片手で掴んで、立ち上がらせる。オートマタ化した腕で持ち上げられた桐谷正己は、床から足が数センチ浮いた状態で、窒息しかけて顔が赤くなっていく。


「桐谷さん、証拠はあるんですよ。あなたが、翔君に性的な虐待を行っている映像がね……認めますよね?」


 息が出来ずに、ぐううっと不明瞭な声を上げつつ、桐谷正己が何とか頷くのを確認して、リードは笑みを浮かべながら、椅子に座らせる。

 俺は壁に凭れてその様子を見守りながら、こいつキレたら一番怖いタイプだな、としみじみ思った。

 リードは、優雅にスーツの下襟を正しながらにっこりとする。


「あなた、未成年の少年の買春もしてますよね。余罪も沢山ありそうだ。そっちもお話しを聞かせてもらいましょうか。ゆっくりと、ね」


 最悪な事に、この男は未成年の少年に金を払って、暴力を振るってレイプまがいの事をしていたのだ。叩けばバンバン埃が出る男だ。これなら、塀の中にぶち込めるだろう。

 被疑者をぶん殴るような、時代遅れの取り調べをしても大丈夫かって?

 さすがにマズいかな、ちょっとだけ反省して言う俺に、リードは涼しい顔で「もみ消しますよ。こういう事を言うのは憚れますが、新任の警視総監は、僕の父と昵懇の仲でして。今でも可愛がってもらっています」だそうだ。

 ビバ、権力!



 そして、ダイナー666にて。

 今夜も常連客で繁盛しており、俺は、いつもの定位置である窓際のシートで頬杖をついていた。

 その時、人の気配がして向かいのシートに顔を向ける。よお、と片頬で笑むと、待ち人は肩を竦めてみせる。

 シアンは、店内に素早く視線を走らせてからこちらを見つめる。


「まさかここに招待されるとはな」

「まあ、リアルでも良いが、ここの方が色々と安全だからな。なんか飲むか?」

「いらない。要件を言いな」


 俺は、ニヤリとしながらシートの背もたれに寄り掛かり、手を銃の形にして撃つ仕草をする。


「あんた、長距離狙撃も得意なんだな。どの空間から、ジャバウォックを撃ったんだ?」

「ファントム・ヘヴンから程近い深層空間からだ」


 異なる空間からの狙撃か。全くとんでもないな……感心していると、シアンは電脳シガレットを取り出して唇の端に挟む。


「そもそもあんたは、俺を狙っていたわけじゃないんだな。雇い主はWC2だろう?」


 シアンは、ニヒルな笑みを浮かべながら、シガレットの緑色の煙を細く吐き出す。肯定することはできないが、答えはイエスってところか。


「俺の見立てだが、あんたの仕事は、ファントム・ヘヴンを探し出し、チルチルとミチルの監視と、彼らに危害を及ぼす存在を排除することだ。そもそも、チルチルとミチルは彼らの意思で逃げ出したというが、それすらも青い鳥プロジェクトの一部で、彼らの行動を把握し、テストしているんじゃないのか?」


 シアンは、くくくと咽喉で低く笑って、青色の前髪をかき上げる。


「想像力が豊かだな。しかし、好奇心は猫をも殺すぞ、兎羽野忍」

「かもな。しかし、そう考えると、ジャバウォックを撃った理由も合点がいく」

「MEL空間は、WC2が造ったものだ。手の届かない場所に家出したと思っても、結局は親がいつでも迎えに来られるホームタウンにいる、ってわけだ」


 シアンが細く吐き出した煙が空中で鳥の形になり、溶けるように消えていく。


「親は家出した子を迎えに行くのか?」

「一連の子供達のスピリット切断は、世間では一種のMEL空間依存の症状で、原因不明となっている。二人の存在が世間に知られるのは望ましくない」

「今では、お友達もいるしな」


 シアンは、軽く肩を竦めてみせ、俺は低く笑った。


「ホームタウンとはいっても、二人は広大な超深海帯ヘイダルゾーンに身を隠してしまった。WC2も、結局は彼らの所在が分からなくなった。だからこそ、俺……いや俺やリードを泳がせていたんじゃないのか? ノアとルナの庭で俺を襲撃したのは、彼女達に接触してファントム・ヘヴンを突き止めようとしたからだ。だが、俺とリードが捜査を開始し、事態は変わった。俺達を泳がせて、ファントム・ヘヴンの場所を特定したんだろう。用なしになった今、俺はあんたの抹殺リストに載っているのか?」

「どうかな?」


 今度はシアンが「バン!」と、指で撃つ仕草をしてみせる。吐き出された煙が「NO」という形になり、思わず小さく笑う。


「暫くは、親も迎えに行くことはないだろう。わたしは、お役御免ってやつだ」

「なるほどね」


 俺は胸ポケットから名刺サイズのカードを取り出して、シアンに差し出す。シアンの片方の眉が上がる。


「ダイナー666のアドレスだ。ここは頻繁に変わるんだ。次に入店ログインしたら、アクセス可能ダイバーとして登録される」


 シアンはカードをしげしげと見つめ、そしてこちらに身を乗り出す。


「このダイナーには、良い女はいるわけ?」

「まあ……強い女なら沢山いるな」

「強い女は好みだ」


 シアンは唇の端を上げて、立ち上がり「気に入ったよ」と店の出口へと歩いていった。遠くなる姿を見送り、後ろのシートで背中合わせに座る人物に声を掛ける。


「聞いていたか?」

「ええ、勿論」


 ジゴロのような恰好をしたリードがこちらに移動してくる。彼は、前衛アーティストがやけくそで塗ったような不可解な模様のワイシャツを着ており、首にはゴールドで『MONEY』という形のネックレスをしている。マネーって何だよ、成金か。


「なんだよ、その格好は……」

「えっ、駄目ですか? ちょっと悪い男をイメージして変装しました」


 趣味の悪い男の間違いじゃないの? 言い掛けた言葉を呑み込み、俺は弱く頭を振る。それにしても、とリードは僅かに眉根を寄せて小さく吐息する。


「WC2の力は僕らが想像しているより、強大かもしれませんね」

「ああ、結局一連の出来事は一切、報道されなかったしな」


 その時、俺の前にメッセージ画面が表示される。『緊急事態発生中』と点滅している。とうとう動いたか。リードもそれを見やって、同時に表示されたアドレスに移動する。

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