第17話 ブラック・エンジェル
「キョンキョン、彼氏が来たわよ♪」
アシスタントの娘が男を部屋の中に案内した。そしてその男はドアの前に立つ福田と向かい合った。身長は一九〇センチくらいあるだろうか。いかにも高級そうなコートを来た肩幅の広い男からはとてもいい香りがする。福田がそっと男の顔を見上げると、口元に髭を生やし、髪をオールバックにして細いサングラスをかけた男が福田の顔を見下ろしていた。その迫力に福田は思わず目をそらした。
「ター君!早かったわねぇ。仕事中なのに急に呼び出しちゃってごめんね」
(この人がキョンキョンの彼氏?)
福田はびっくりした。
「・・・かまわねぇよ!」
口数は少ないが、それだけでも迫力を感じる。
「さあ中に入って!」
キョンキョンにうながされて男は中に入って、キョンキョンの隣に座った。
「紹介するわ。私の彼氏のター君。名前は・・・」
「ター君でいいよ!」
「そうね。それでこの人は私の恩人の小野っちとその部下の福田君よ」
「よろしく」
ター君が軽く立ち上がって小野と福田に握手を求めた。
「よろしくお願いします」
福田はさっきの印象があったせいで仰々しく挨拶をした。その間にキョンキョンはター君の飲み物を注文しに行った。
「ター君とは付き合って半年になるんだけど、彼は金融ブローカーの仕事をしているから、その業界については結構詳しいのよ」
「ところで俺に何の用なんだ!?」
ター君がキョンキョンに聞いた。ぶっきらぼうな聞き方は、間接的に小野や福田に対して言っているように感じた。
「実はね、今年のはじめに福田君が交通事故に巻き込まれたんだけど、その事故で亡くなった人の死に方が不審だったようで、いろいろと調べて回っているのよ・・・もしかしたらター君ならわかるかも知れないと思って呼んだの」
「交通事故なんてよくある話じゃねぇか?警察は事故だって言ってるんだろ?それでいいじゃねぇかよ」
何だかター君は面倒臭いという態度を露骨にだしている。福田は少し場の雰囲気が冷え始めているのを感じ取っていた。そしてチラッと小野を見たら腕組みをした状態でニコニコしている。この人がそんな態度を取ったときは、だいたい心を閉ざしているときだ。
キョンキョンはター君に福田や小野から聞いた話を伝えた。
「何だそりゃ?」
ター君は小さくため息をつきながら言った。そしてゆっくりと福田の方に視線を向けた。
「そんで何かわかったのか?」
低く迫力がある声色に福田は思わずのけぞった。
「い、いや・・・小野さんから諸角さんと事故でなくなった人の接点のようなものを探るためにここに来たんですけど、どうも違うのかなって思うんです」
福田は仰々しく答えた。ター君はじっと福田の目を見て黙って話を聞いていた。ター君の視線が目の奥まで貫通しそうなほどの鋭さで、福田は緊張していた。やがて、何かを考えるようにター君は俯いた。しばらく部屋の中に張りつめたような沈黙が漂う。
「その事故で死んだ人は何ていう人なんだ?」
「・・・名前は吉岡靖って言います」
「よしおかやすし?・・・・・・聞いたことあるな・・・そいつは何歳だ?」
「確か五十四歳です。身長は一六〇センチ前半で禿げ上がって小太りの人です」
「・・・・・・・・・・・・」
ター君はしばらく考え込んでいた。やがて胸ポケットから携帯電話を取り出して電話をかけはじめた。
「ああ、俺だ!ちょい悪いんだけどお前は吉岡靖っていうオッサンを知ってるか?・・・・・・あん?吉岡だよ!・・・そう!年齢は五十代でチビデブのハゲだ!何だかわからねえけど、そいつが事故ったから、助けようとしたら背中に刺し傷があったらしい・・・えっ?何?・・・・・・マジかよ!?」
ター君が絶句していた。何か手がかりがあったのか?三人はター君の会話に集中していた。
「ああ、知ってる!そりゃあちょいとヤバい話だな・・・ああ!わかった。すまんな、ありがとう!」
しばらくしてター君は電話を切った。そしてキョンキョンが注文したウィスキーをグイッと飲み、煙草を吸い始めた。
「今、極道している仲間に聞いてみたんだけど、今年のはじめにヤバいところの金を動かしている人間が運用に失敗したらしいんだけど、それから間もなくそこに関わった奴ら全員が消えちまったんだ!その中に吉岡靖っていう名前の人間がいるんだそうだ」
「えっ!?」
福田は何かとても嫌な予感がした。背筋が一気に寒くなった。
「俺も何かその名前を聞いたことがあるって思ったんだけどよ!吉岡はヤバいとこの金を使って相場を張る関東を拠点にした仕手集団だよ。組織は”リレーションシップ”って名乗ってんだけど、相場の世界じゃあ”R銘柄”って言われてんだ」
「リレーションシップ?仕手って何です?」
福田は聞きなれない言葉に首をかしげた。
「お前そんなことも知らねえのかよ!?仕手っていうのはだな、上場している会社の株を買い占めてから株価を操作して売り抜けて利ザヤを稼ぐ奴らのことだ。悪い噂を流して空売りを仕掛けて底値で買い占めをやってから操作して売り抜けたりもする。リレーションシップはその中でもイケイケの方だったんだよな」
福田はター君が言っている言葉の大半の意味がわからなかった。でも何度も質問をしたら怒られてしまいそうだから、知ったかぶりをしてみせた。
「吉岡さんがそんなことをしていたなんて・・・・・・」
「ああ、普通のヤツは知るわけねぇよ!あのオッサンは元証券マンだったんだ。でも親父の会社を継ぐために証券業界を離れたんだけど、十年くらい前にリレーションシップを立ち上げてからはいくつもの武勇伝を作っていたんだ。しかしようあのオッサンはなかなか謎の多い人間だぞ」
「吉岡産業・・・吉岡さんは飼料問屋の吉岡産業の社長でした!」
「そうそう、それだよ!でもよぉ、最近運用に失敗して結構ヤバいところの金を溶かしたようだな」
「ヤバいところ・・・ですか?」
福田の心臓の鼓動が早くなる。嫌な予感が現実のものとなるときに感じる寒気もあわせて彼に襲いかかる。ター君は小さく笑みを浮かべるとサングラスを外してテーブルの上に置いた。さっきまで迫力のあるルックスが、サングラスを外すと細く垂れた目が可愛く感じさせる。
「ブラック・エンジェルだよ」
「ブラック・エンジェル・・・・・・?」
ター君からは相変わらず聞きなれない言葉が出る。福田は助けを求めるように小野の方を見た。
「さあ、俺はわからん」
小野は福田の心を悟ったのか福田が質問する前に答えた。福田は困惑気味な表情を浮かべながらキョンキョンの方を見た。
「黒い天使・・・普通は会社の事業運営に出資する個人のことをエンジェルっていうんだけど、それが闇の住人だったり出資したお金が闇に環流したりする場合にその出資者のことをブラック・エンジェルっていうの」
「なるほど・・・吉岡さんがブラック・エンジェルのお金を溶かしたというんですか?」
ター君は煙草の煙を吐き捨てると無言で頷いた。そこには小さな諦めに似たようなため息がうかがえる。福田の心臓の鼓動がよりいっそう激しく打ち出した。この先に知ってしまうことがどれほど怖ろしいことなのかを予感させていた。ター君はウイスキーグラスをゆっくり持ち上げて、口元へ近づけながら言った。
「お前、三月くらいにあった死体遺棄事件を知ってるか?八王子市内の公園で頭部のない裸のオッサンが発見されたってやつだよ」
「死体遺棄事件・・・あっ!知ってます。頭のない死体公園に捨てられてあったってやつですよね。あの事件は身元不明でしかも進展がないままでしたよね」
「最近聞いた話なんだが・・・あの死体は園田っていう男だろうと言われているんだ」
「・・・・・・!?」
(園田・・・?)福田は頭の中に詰まっている吉岡靖に関する情報を片っ端から洗い出した。”園田”という名前にどこか心当たりがあるが、思い出せない。
「その男はやり手の金融ブローカーでな、結構エグい手を使って株を仕入れたりするので有名なんだが、あいつはリレーションシップのメンバーなんだよ。今年の初めあたりから行方不明になっていたんだが、まさかあんなむごい死に方するなんてな・・・」
「知らなかった・・・!!」
「吉岡のオッサンが死んだのは二月だったよな?園田もその頃だろ?そうなると二人は同じ理由で殺されたと考えてもおかしくねえんじゃないか?」
今、福田の頭の中で二つの事件を結びつける共通点に出会ったような気がした。でもそれを心の底では否定したい気分でいた。これから知ることになるだろう事実にはとても嫌な予感がする。いっそのこと吉岡は事故死として片づけた方が良いのではないか?
「まさか・・・八王子の死体遺棄事件と吉岡さんの死が共通しているなんて・・・いったい誰がそんなことを!?」
「もう答えが出ているんじゃねぇか?」
ター君はいたずらっぽい笑みを浮かべて福田を見た。小野とキョンキョンは息を殺すように二人の会話を見守っている。その沈黙が余計に重苦しい雰囲気を生み出していた。
「ブ・・・・・・・ブラック・エンジェル!?」
ター君は福田の答えを確認するとソファーにもたれかかった。先ほどの沈黙が彼にも重かったのだろうか。福田は自分が発した答えを頭の中で何度も反芻している。そして改めてター君に質問した。
「吉岡さんはブラック・エンジェルのお金を溶かしてしまったために、闇からの制裁を受けたというんですか・・・そのブラック・エンジェルっていったい誰なんですか?」
ショックが大きかったせいか福田は過呼吸の状態でター君に答えを急かした。
「リレーションシップの後ろにいたブラック・エンジェルはなぁ、今木戸っていう元ヤクザの親分だよ」
「今木戸!?まさか・・・・」
張りつめた室内で突然福田が叫んだせいで、小野がビクッと身体を震わせた。
「お前今木戸を知っているのか?」
ター君が興味深そうに身を乗り出して、笑顔を見せて言った。
「今木戸という人はサンクチュアリという会社を経営している人ですよね?」
「おうそうだよ!よく知ってるな。あの人はとても慎重な人だから滅多に人前になんか顔を出さないんだが、お前はどこで今木戸さんのことを聞いたんだ?」
「・・・・・・・・・」
福田はカッと目を開いたまま、じっと目の前の灰皿を見ていた。そして少しずつ震え出していく。その様子は明らかにター君の質問に意識がいっていないようだ。
「おい、どうしたんだよ!?」
ター君の言葉にもやはり応答がない。その沈黙でター君が苛立ちを覚えていることに気づき、小野が福田の身体を揺さぶった。そのとき福田が勢いよく立ち上がった。
「すんません、ちょっと用事を思い出しました」
そう言うと荷物を抱えて部屋を飛び出した。
「何だあいつは!?」
ター君が呆れた顔でつぶやいた。
店を出た福田は早速真一の携帯に電話を入れた。何回かコールした後に電話がつながった。
「はい、吉岡です・・・・」
「もしもし、福田ですけど!」
「ただいま電話に出ることができません。メッセージをどうぞ」
「もしも・・・!!」
真一の電話は留守番電話に切り替わるはずが、メッセージがいっぱいで、すぐに切れてしまった。そこで福田は再び真一の携帯電話にかけた。しかしまた電話は留守番電話になり切れてしまった。
「出てくれよ!お願いだ・・・出ろ!出ろよ!!」
電話をかけるたびに福田の脳裏に恐ろしい予感が駆け巡る。新宿駅に向かって人混みをかき分け雪道を走りながら何度も何度も電話をかける。
次第に息が荒くなっていく。そのとき、アイスバーと化したアスファルトに足を取られて福田は転倒した。そしてその勢いで手に持っていた携帯電話が前方へ飛んでいった。
「頼むから電話に出てくれよ・・・あんたの・・・・・・あんたの目の前に親父を殺した人がいるんだ!!」
福田は地面を這うようにして携帯電話に手をのばした。その目からどんどん涙が溢れてくる。それを見て、道を行き交う人々が何か異様な光景を見ているかのような表情を浮かべ、避けて歩く。
やっと携帯電話を手にしたとき、その刺すような冷たくさがとてつもない悲しみと恐怖を福田の心に響いてきた。福田はそれを両手で握りしめるとそこにうずくまって声をあげて泣き出した。
さっきまで止んでいた雪が再びシトシトと、そして静かに降り始めていた。降りゆく雪の源を辿れば、延々と続く闇がただただ広がっていた。
深淵 谷田響平 @kods0829
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